剣客商売五 白い鬼 [#地から2字上げ]池波正太郎   目次  白い鬼  西村屋お小夜  手裏剣お秀  暗殺  雨避け小兵衛  三冬の縁談  たのまれ男   解説 常磐新平     白い鬼  竜野庄蔵《たつのしょうぞう》は、十五年ぶりに江戸へ出て来て、あの[#「あの」に傍点]怪物を見た。  見た以上は、放《ほう》り捨てておくわけにもゆかなかった。      一  むかし、秋山|小兵衛《こへえ》が師事していた無外流《むがいりゅう》の名人・辻平右衛門《つじへいえもん》が麹町《こうじまち》九丁目の道場を閉鎖し、ひとり、飄然《ひょうぜん》として、山城《やましろ》の国|愛宕《おたぎ》郡|大原《おはら》の里へ引きこもったのは、およそ三十年ほど前のことだ。  そのとき、竜野庄蔵は、まだ紅顔の十八歳であり、辻道場へ通いはじめてから、二年ほどになっていたろうか。  庄蔵は、上州《じょうしゅう》沼田三万五千石・土岐伊予守頼煕《ときいよのかみよりおき》の家来・竜野|庄右衛門《しょうえもん》の子に生れ、父母と共に芝《しば》の藩邸内の長屋に住み、毎朝、元気よく麹町の道場へ通って来たものだ。  美少年というのではないが、色白のふっくらとした愛らしげな顔だちで、剣術のすじ[#「すじ」に傍点]はよくなかった。  しかし、いかに叩《たた》きのめされても、 「いま一度、おねがい申しますッ」  ほとんど泣き声に近い声を張りあげ、何度も立ち向って来る。  辻平右衛門先生は、 「おい、泣き弁慶《べんけい》よ。わしが稽古《けいこ》をつけてやろう」  とか、 「稽古が終ったら、わしの腰をもんでくれい」  とか、何かにつけて、庄蔵を可愛《かわい》がっていたようである。  それだけに、江戸を去るとき、平右衛門は秋山小兵衛と庄蔵をよび、 「これ、庄蔵。これよりは秋山小兵衛を師とおもい、稽古にはげむよう」  と、いってくれたものだ。  小兵衛が、やがて四谷《よつや》の仲町《なかまち》に小さな道場をひらくと、竜野庄蔵はすぐさま入門をした。  そして、小兵衛が道場をたたむ前に、父母と共に国もとの沼田城下へ帰った。父・庄右衛門が国もとへ転勤になったからである。  父母が亡《な》くなってのち、妻を迎え、子をもうけ、家をついで沼田藩士となった竜野庄蔵は、もう五十に近くなってい、白いものがまじった髪の毛もうすくなり、ゆいあげた髷《まげ》が小さい。  寒中だというのに、庄蔵は血色のみなぎった顔に浮く汗をふきふき、小肥《こぶと》りの体をゆすりあげるようにして、日本橋を南から北へわたろうとしている。  年はとっても、元気がよいところは少年のころをしのばせるものがあり、大きな双眸《ひとみ》が絶えずくりくり[#「くりくり」に傍点]とうごいているのであった。  このたび、竜野庄蔵は公用で三日前に、江戸藩邸へ到着した。  明日は、沼田へもどらねばならぬ。  そこで今日、ようやくに自由となった一日を秋山小兵衛のもとですごそうと、昼前に藩邸を出て、いま、庄蔵は小兵衛の隠宅へ向いつつある。  庄蔵は国もとへ帰ってからも、第二の師・秋山小兵衛との文通を絶やさなかった。  小兵衛が若い女房《にょうぼう》をもらったと手紙を出したものだから、 (もう、六十になられたろうに……とんでもない。とんでもない。小兵衛先生の寿命がちぢまってしまうではないか……)  と、庄蔵は真剣に心配をしている。  庄蔵は昨日、藩邸の小者に手紙をわたし、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の小兵衛隠宅へ届けさせておいた。  これを見た小兵衛が、おはる[#「おはる」に傍点]に、 「おい、これ……」 「あい、あい」 「おはる。お前な、泣き弁慶というのを見たことがあるかえ?」 「あれ、見てねえよう」 「見てはいないが、知っているのか?」 「知らねえですよう」 「そうか。明日、見せてやる」 「あれ、まあ……此処《ここ》へ来るのですかね?」 「来るとも。汗っかきの、急勝《せっかち》の……それだから剣術がいつまでたっても上達しない泣き弁慶がな、明日来るのさ」 「あんれ、まあ……」 「おもしろいぞ、おはる」 「けれど、先生。うれしそうだねえ」 「そう見えるか?」 「見えますよう」 「そりゃ、うれしいさ。出来のわるい、可愛い弟子が十五年ぶりにやって来るのじゃ。たんと[#「たんと」に傍点]、御馳走《ごちそう》をしてやっておくれ」 「あい、あい。わかっていますよう」  さて……。  いましも日本橋へさしかかった竜野庄蔵が、 「とんでもない、とんでもない」  と、つぶやきつつ、橋をわたりきったとたんに、 「あっ……」  おもわず、低く叫び、立ちすくむかたちとなった。  正月二十一日の昼下りで、あたたかく晴れわたった日本橋の上は人びとが織るがごとくに行き交っている。  その中に、いましも日本橋の北詰から橋をわたりかけようとしている男の横顔をみとめて、竜野庄蔵は背すじに寒気《さむけ》が疾《はし》った。 (か、金子|伊太郎《いたろう》……まさに……)  であった。  たしか、もう三十をこえているはずだが、依然、その美貌《びぼう》はおとろえていない。  総髪《そうがみ》をきれいに梳《す》きあげ、透きとおるような色白の顔に細く濃い眉《まゆ》。隆《たか》い鼻すじ、切長の両眼《りょうめ》。大小を帯した細身の体躯《たいく》に一つ紋の黒い着物、茶の袴《はかま》をつけ、何かの台上に乗っていて、その台をだれかに引いてもらっているように上体がうごかず、すっすっ[#「すっすっ」に傍点]と金子伊太郎が橋上へかかるのを見とどけて、 (さて、どうしよう……?)  一瞬、おもい迷った竜野庄蔵だが、 (金子を見たからには……)  あとをつけて、その居所をたしかめねばならぬ。  沼田藩士である以上は、 (金子を見逃すわけにはゆかぬ……)  のである。  見逃してもよいが、それでは庄蔵の気がすまぬ。しかし、 (おれ一人では、到底、金子伊太郎を捕えることが出来ぬし、斬《き》って殪《たお》すことも出来ぬ。なれば尾行して金子の居所を突きとめ、藩邸へ帰り、これを報告することがもっともよいのだ)  何よりも、このときの庄蔵の胸をかすめたのは、 (金子が一日生きておれば、その一日だけ、世の人びとに、非常な迷惑がかかる……)  このことであった。  意を決した竜野庄蔵は身を転じて、日本橋を北から南へわたり返し、金子伊太郎の尾行を開始した。  この日……。  庄蔵は、秋山小兵衛の隠宅へ、ついに、姿を見せなかった。  酒も肴《さかな》も、充分に仕度をして、 (いまか、いまか……)  と、愛弟子《まなでし》の来訪を待ちかねていた小兵衛の老顔は、夜がふけるにつれて、しだいに引きしまってきた。 「先生。いったい、どうしたのだろうねえ、お客さんは……」 「おはる。これはどうも、何かあったにちがいない」 「あったって、何がですよう?」 「わからぬ。ともあれ、尋常のことではないようじゃな。もし、どうあっても来られぬというのなら、あの男はかならず、ことわりの使いを寄こすはずじゃよ」 「そういうもんかねえ……」 「そういうものじゃ」 「先生。腹がへったねえ」 「うむ。そうだ、な……」  仕方なく、おはると共に、おそい夕餉《ゆうげ》をすまし、寝床へ入った小兵衛だが、この夜は、まんじりともしなかったようだ。  翌朝になると……。  秋山小兵衛は、朝餉《あさげ》もそこそこに隠宅を出て、芝の沼田藩邸へおもむいたのである。      二  沼田藩邸は、芝の江戸見坂(港区|芝西久保巴町《しばにしくぼともえちょう》)にあった。  小兵衛が江戸見坂の下で町駕籠《まちかご》を乗り捨て、表の潜門《くぐりもん》から来意を告げると、門番の知らせをうけた田中|宗作《そうさく》という中年の藩士が駆けあらわれ、 「これは、秋山先生でございますか。私、かねがね、先生の御噂《おうわさ》を竜野庄蔵よりうかがっておりまして……」  と、いう。 「それよりも、竜野《たつの》は、あの……?」 「それが先生。大変なことに……」 「どういたしました?」 「腕を……左腕を切り落されました」 「何と申されます」  重傷で、竜野庄蔵の意識は混濁しているというが、 「とりあえず、顔のみにても見とうござる」  と、ねがい出て、小兵衛は藩邸内の田中宗作の長屋へ案内をされた。  江戸へ出張して来た庄蔵は、父の代から親交のあった田中の長屋へ寝泊りをしていた。それで田中も、小兵衛のことを知悉《ちしつ》していたのである。  田中の妻女や娘が懸命に看護していて、藩医も手当をつくしたので、 「どうやら、一命をとりとめましたようで……」  田中宗作が、そういった。  田中家には、四、五名の藩士がつめかけてい、庄蔵が寝ている一間のとなりの部屋で、額をあつめ、緊迫の表情で何やらささやき合っている。  庄蔵は、すこし前に藩医があたえた鎮静のための薬湯《やくとう》をのんだとかで、うつらうつらとねむっていた。  小兵衛は、その枕元《まくらもと》へすわり、しばらくの間、凝《じっ》と庄蔵の寝顔を見まもっていた。  庄蔵の童顔は青ぐろく浮腫《むく》み、ねっとりと脂汗《あぶらあせ》にぬれていたけれども、 (む……これなら、大丈夫)  小兵衛は、見きわめをつけた。  そして、となりの部屋へ移り、田中宗作に、 「いったい、どうしたのでござる?」 「それが……」  田中は、妻女が出した茶菓を小兵衛にすすめて、 「いまだ、はっきりとしたことはわからぬのでございますが……」  と、語りはじめた。  他の藩士たちは、すでに辞去している。  竜野庄蔵が、何者かに左腕を切り落されたのは、芝《しば》・白金《しろかね》の樹木谷《じゅもくだに》のあたりだったという。  そのあたりは、むかし〔地獄谷〕などともよばれ、罪人の首斬《くびき》り場があったのだそうな。  三田・南代地町の崖下《がけした》の雑木林のあたりで、庄蔵は斬られた。  ちょうどそのとき、近くの織田丹後守《おだたんごのかみ》(大和・芝村一万石)の家来が二名、公用の騎乗《きじょう》で小者二名を従え、雑木林の向うからあらわれなかったら、 「おそらく、竜野庄蔵の一命はなかったものとおもわれます」  と、田中宗作が小兵衛にいうのだ。  左腕を手首の少し上のところから切り落された庄蔵が、それでも必死に崖下の細道を逃げんとする背後へ、曲者《くせもの》が白刃《はくじん》を振りかざして肉薄したとき、織田家の臣が馬であらわれた。  曲者は、黒い怪鳥《けちょう》のように身をひるがえし、小暗い雑木林の中へ消えた。  織田家の侍たちは、すぐさま、庄蔵の手当をしてくれた。  さすがに、血止めの仕様も心得たものであった。  庄蔵は身分と名を明かし、 「当家の大事にござれば、何とぞ、沼田藩邸までお送り下されたし」  激痛に堪《た》えつつ、懇望《こんもう》した。  小者が近くの織田屋敷へ駆けつけ、織田家では駕籠を用意し、応急の手当をほどこした竜野庄蔵を乗せ、家来四名がつきそい、沼田藩邸へ送り届けてくれたのである。  ときに、七ツ(午後四時)すぎであった。  沼田藩邸へ運び込まれた庄蔵は、すぐさま、手当をうけたが、うけながら、 「日本橋にて、金子|伊太郎《いたろう》を見かけ、後をつけましたが、伊皿子《いさらご》から細川|越中守《えっちゅうのかみ》様中屋敷南側の細い坂道を下ったところで、金子めが待ち伏せていて、いきなり、斬りつけてまいったのでござる」  と、報告をした。  藩邸内は、色めきわたった。  沼田藩主は代が替り、いまは、土岐美濃守定経《ときみののかみさだつね》であるが、折しも国もとの沼田へ帰っている。 「で……その、金子伊太郎なるものは、いかなる男なのでござろう?」  小兵衛が尋ねたとき、すでに田中宗作の面《おもて》には、 (しまった。うっかりと口をすべらせてしまった……)  後悔の色がありありと浮んでいたので、小兵衛は、 (これは、沼田藩に関《かか》わり合いのあることらしい。となれば、一介の隠居にすぎぬわしが耳に入れることもないし、口をさしはさむこともない。庄蔵の左腕が無くなったのは可哀相《かわいそう》じゃが、それもどうやら、主家のためにはたらいたゆえに、そうなったらしい。ま、仕方がないことじゃな……)  それ以上の質問をひかえ、またも、庄蔵の枕頭《ちんとう》へすわった。  二刻《ふたとき》(四時間)ほどして、竜野庄蔵が目ざめた。 「あ……」  小兵衛を見て、庄蔵が両眼をうるませ、 「まことに、昨日は……」 「おお。久しぶりじゃなあ……」 「も、申しわけなく……なれど、先生。よう、おわかりでございましたな、私が、このような始末になったことを……」 「わからぬほうが、どうかしている。ま、もう、しゃべるな。しずかに……な、しずかにしていなさい」 「は……」 「お前、男ぶりがあがったのう」 「………?」 「しっかりとした顔つきになったわえ」 「と、とんでもございません。こ、このような醜体を、お目にかけまして……」 「何をいう。心得があればこそ、左腕のみですんだのではないか」 「いきなり斬りつけられ、かわしましたが、かわしきれませなんだ」 「さ、もうよい。やすめ、口をきくたびに体の精力《せい》がうしなわれるぞ」 「先生。おなつかしゅう存じます」 「おお、おお。さ、もうよい。傷が癒《い》えたなら、ゆるりと語り合おうではないか。わしも、こうしてお前を見て、安心をしたわえ」  長くいると、庄蔵《しょうぞう》の興奮と苦痛をさそうばかりだとおもい、秋山小兵衛は辞去することにした。  表門まで送って出た田中宗作へ、小兵衛は「くれぐれもよろしゅう……」と挨拶《あいさつ》をし、帰途についた。  あかるいうちに隠宅へ帰った小兵衛が入浴をすまし、炬燵《こたつ》へもぐりこんでいると、そこへ秋山|大治郎《だいじろう》が訪ねて来た。 「おお。酒の相手に来てくれたか」 「飯田粂太郎《いいだくめたろう》は昨日から母ごのもとへ帰っておりますし、手つだいの女房《にょうぼう》が風邪を引きましたので、飯の仕度をするのも面倒になったものですから……」 「このごろは横着になったものよ」  台所で庖丁《ほうちょう》の音をさせながら、おはる[#「おはる」に傍点]が、 「若先生。今夜は、うめえものをたんと[#「たんと」に傍点]こしらえますよう」  声を投げてよこした。 「は、はは……大治郎。よいあんばいに、暖かい日和《ひより》がつづくなあ。外を歩いていると汗ばむほどじゃ」 「今日は、いずれへ?」 「お、それそれ……」  小兵衛が、竜野庄蔵の一件を語るうちに、酒の仕度ができた。  酒がすむと、今夜は〔とろろ飯〕であった。 「あ……」  何か、おもい出したらしく大治郎が箸《はし》を置き、 「今日、田沼様|稽古《けいこ》の帰りに、竜閑橋《りゅうかんばし》のたもとで、弥七《やしち》どのに出会いました」 「ほう、そうかえ。あいつ、このごろ顔を見せぬが……」 「それが、去年の暮ごろから、大分《だいぶん》に面倒な事件《こと》が起ったとかで……」 「ほほう……」  四谷《よつや》の御用聞き・弥七は、すこしやつれて、顔色も冴《さ》えなかったという。  弥七は大治郎に、 「いやもう、おはなしにも何もならない事なので、若先生のお耳へ入れるようなものじゃあございません。なんとしても、こいつだけは御縄《おなわ》にしませぬと……」  そういっただけで、あわただしく別れて行ったそうな。そういったときの弥七の眼《め》は、むしろ殺気に近い光を帯びていた、と、大治郎は語った。 「なるほど、そりゃあ、大変なことらしいな。新年早々、物騒つづきで、こいつ、今年の卦《け》はよくないぞ」  この夜、大治郎はめずらしく隠宅へ泊り、父と枕をならべてねむった。  おはるが、 「今夜だけ、若先生に貸してあげますよう」  と、いったものである。      三  それから五日ほどの間、小兵衛は竜野《たつの》庄蔵のことが気にかかりつつも、沼田藩邸へ見舞いに行けなかった。  小川|宗哲《そうてつ》が碁を囲みにあらわれたり、老中・田沼意次《たぬまおきつぐ》に招かれたり、何かとせわしい日々を送っていたわけだが、 (そうじゃ。明日はひとつ、庄蔵を見舞ってやろう。もう、痛みもやわらいだのではないか、な。そうそう、あいつは浮世小路《うきよこうじ》の松屋の浮世|団子《だんご》が好物だった。行きがけに寄って、買って行ってやろう)  そんなことを考えながら、水の底のように暮れてゆく冬の庭先に立っていると、 「先生。田中何とかいうお侍が見えましたよう」  おはる[#「おはる」に傍点]が、居間から声をかけた。 「田中……おお、そうか。お通ししなさい」  こたえた瞬間、小兵衛は厭《いや》な予感がした。  果して……。  顔色青ざめ、蹌踉《そうろう》として居間へあらわれた田中宗作が、 「秋山先生……」  がっくりと肩を落し、 「竜野庄蔵、先刻、亡《な》くなりましてございます」  ほとばしるようにいった。 「う……」  小兵衛は、うめいた。  傷は癒《なお》るかに見えたが、心ノ臓がおとろえ、昨夜から容態《ようだい》が急変し、重傷の苦痛がそれ[#「それ」に傍点]を更に悪化させ、 「手当の甲斐《かい》もなく……」  今日の午後に、息を引きとってしまったというではないか……。  庄蔵は、息絶えんとする間際《まぎわ》に、沼田城下にいる妻子の名をよび、さらに、 「あ、秋山先生に、よろしゅう……」  と、いったそうだ。  これをきいた小兵衛が満面に血をのぼせて、 「これ、田中うじ」  ぐい[#「ぐい」に傍点]と、田中宗作の腕をつかみ、 「こうなれば……こうなっては、ぜひとも、庄蔵の腕を切り落した金子|伊太郎《いたろう》なる者の身性《みじょう》を聞かねば、秋山小兵衛おさまりませぬぞ!!」  と、叫んだ。 「は……」 「は[#「は」に傍点]、ではない。いいなさい。いうてくれ、たのみます」 「せ、先生……」 「決して口外はせぬ。わしは、庄蔵の敵《かたき》を討ってやりたい。それのみじゃ。そのことのみじゃ」 「は、はい……」  田中は意を決したらしく、 「これは、私一存にて、先生へのみ申しあげるのでございますが……」 「わかっておりますとも」 「このことを申しあぐるためには、わが藩の恥をも申さねばなりませぬ」 「さようでござるか……いや、何事も、おまかせねがいたい。可愛《かわい》い弟子の主家に対して、秋山小兵衛かならず御無礼はいたしませぬ」 「では、申しあげます」  田中宗作が語りはじめようとするとき、小兵衛は、おはるに、 「入って来てはいけないよ」  と、命じた。  すると田中が、おはるのことを、 「先生御息女であられますか?」  と、尋《き》いたものだ。  いつもの小兵衛なら、きっと冗談の一つや二つは出たろうけれども、このときは、そんなことはどうでもよいといった顔つきで、 「はい、はい」  さからわずにうなずき、 「さ、おはなし下さい」  田中をうながした。  それは、三年前の初夏のころであったという。  沼田城下・馬喰町《ばくろちょう》の外れに、浅山|一伝流《いちでんりゅう》の道場を構える野村|房之介《ふさのすけ》という剣客がいた。  野村房之介は、沼田城下の須賀《すが》神社の神官の三男に生れたが、少年のころから剣を好み、先《ま》ず、前橋の下条卓馬《しもじょうたくま》にまなび、長ずるにつれて江戸へも出たし、諸国を遍歴したのち、六年前に故郷の沼田へもどり、道場を構えた。  実家が城下の神官だけに、道場もかなり大きいものが出来たし、入門する沼田藩士もしだいに増えた。  野村房之介は、三年前の事件が起ったとき三十五歳で、その年齢にしては人柄《ひとがら》もよく練れており、また剣術の教え方もうまい。  ゆえに、沼田城下ではただ一つの町道場として、評判も高くなり、 「さようでございます。竜野庄蔵も流儀は異なっておりましたが、野村道場へ折々に通っていたようでございます」  と、田中宗作はいった。  そういえば、沼田から小兵衛へよこした庄蔵の手紙にも一度か二度、そんなことが書きしたためてあったようだ。  さて……。  事件が起る半年ほど前に、野村道場の食客となった男がいる。  これが、金子伊太郎であった。  野村房之介は、妻女のお順《じゅん》や、門人たちへ、 「金子伊太郎は、私が、高崎《たかさき》の御城下にある浅山一伝流・北山|源右衛門《げんえもん》先生のもとにいたころ、共に修行にはげんだ人」  と、伊太郎を引き合せた。  北山源右衛門の名は、かねてから沼田城下へもきこえている。  しかし、数年前に病歿《びょうぼつ》して、その後は高崎城下の北山道場が消滅したということだ。  こうして金子伊太郎は、野村道場の食客となり、門人たちへも稽古《けいこ》をつけることになった。 「なかなか[#「なかなか」に傍点]のものだ」 「ことによると、野村先生より上かも知れぬな」  などと、門人たちはうわさをした。  それほどの腕前でいながら、金子伊太郎は傲慢《ごうまん》なところもなく、また指導も物やわらかで上手なのだ。門人たちの人気もよかったし、なにしろ独身《ひとりみ》の美男であったから、城下の女たちの眼《め》にもとまり、伊太郎が稽古に立つと、野村道場の武者窓へも近辺のむすめたちの顔がおそるおそるならぶようになったとか……。  だが、伊太郎は女たちへは目もくれぬ。 「女なぞ、この世の中に存在せぬほうがよろしい」  といったように、いつも冷然と無視しきっていた。  こうして半年ほどがすぎたとき、野村房之介の妻女お順が、 「金子伊太郎さまに、出て行っていただくわけにはまいらぬでしょうか……」  と、野村にいい出した。  お順は、そうしたことをいわぬ女であるはずだから、野村も不審におもい、いろいろ、問いつめて見たが、 「金子さまが当家におられますと、不吉でなりませぬ」  いつもは温和《おとな》しいお順が、断固として後へ引かぬ。 「その理由《わけ》をきかなくては、金子に出て行ってもらうこともならぬ」 「理由といったものではございませぬ。女の勘でございます。どうあっても、出て行っていただきとうございます」  蒼白《そうはく》となりながらも、お順は必死の面持《おももち》で、 「もしも、おゆるしがなければ、金子さまが出て行かれるまで、私は房太郎をつれ、実家《さと》へもどっていたいと存じます」  と、いった。  これは、相当の決心をしていることになる。  房太郎は野村夫婦がもうけた男の子で、当時五歳。  温厚な野村房之介は、いろいろに考えて見たけれども、妻が色をなしてまで金子伊太郎を嫌《きら》う理由がわからなかった。伊太郎と妻の間に何か妙なこと[#「妙なこと」に傍点]があったわけでもない。  そもそも伊太郎があらわれた当初から、お順は気に入らなかったようだ。我慢に我慢を重ねたのち、たまりかねて夫にいい出たものである。伊太郎のほうも、はじめから、お順を無視しつづけてい、両人が口をきき合うことなど、ほとんど無かったといってよい。食事の世話だけをうけている伊太郎は洗濯《せんたく》も自分でしたし、たまさかに野村に小遣をもらうと、二日三日を留守にすることはあったけれども、そのことを、お順が不快におもったわけでもないだろう。      四  野村|房之介《ふさのすけ》は熟考の末に、決意をした。  門人たちの世話もよくするし、自分にとってもよき妻であり、房太郎にもよき母であるお順が、めずらしくおもいせまっての願いとあれば、これを無下《むげ》にしりぞけるわけにもゆかぬ。それにまた、金子|伊太郎《いたろう》の美貌《びぼう》が城下の女たちの口の端《は》へのぼるようになり、道場のまわりを娘たちがうろうろするようになったことも、野村は、 (あまり、よいことではない)  と、おもっていた。  その所為《せい》でもあるまいが、門人たちの稽古《けいこ》ぶりも、このごろは何となく気が浮いている[#「気が浮いている」に傍点]ように見える。  野村房之介は或《あ》る日の夕暮れに、金子伊太郎を城下外れの薄根川《うすねがわ》のほとりへさそい出した。 「何もいわぬ。道場を去ってもらいたい」  と、金五両を出し、 「路用《ろよう》につかってもらいたい」 「出て行けと、いわれる?」 「いや、去ってもらいたいと、たのんでいるのだ」 「理由をおきかせ下さいませんか」 「む……」 「去ることは何でもありません。私も、近いうちに、お暇《いとま》をさせていただくつもりでいたのです」  それなら、いまここで、 (よけいなことをいわなくともよかった……)  と、野村は悔いたが、もう遅い。 「野村先生。これは、私の修行の為《ため》でもあります。理由をおきかせ下さい。自分に悪いところがあれば、これを直さねばなりませぬ」  まじめな事をいっているのだが、伊太郎の口もとは、初夏の夕闇《ゆうやみ》の中で薄く笑っている。それが野村には不快であった。 「おきかせ下さいませんか、どのようなことをいわれても恨みにはおもいません」  その伊太郎の言葉が、更に野村房之介の不快をつのらせた。 「妻が、おぬしのことを嫌っている」  吐き捨てるように、野村はいった。  金子伊太郎は沈黙し、野村に背を向けて、 「わかりました」  いうや、すっすっ[#「すっすっ」に傍点]と歩みはじめた。 「金子。何処《どこ》へ行く?」 「旅へ出ます」 「いまからか?」 「さようです」 「ばかな……帰って仕度もあろう。それに、この金を……」 「いりませぬ」 「と申して……急に、何も……」 「野村先生。さらばです」 「う……」  野村にとどめる余地というよりも、隙《すき》をあたえず金子伊太郎が、川岸の夕闇に溶けてしまった。  野村房之介は、何か、ちからがぬけたようなかたちになり、ぼんやりと道場へ帰って来て、妻女に、 「金子にいうた。出て行ったぞ」 「まあ……なれど、着替えやら何やら、残したままで……」 「いらぬといった」 「……?」  お順が棒をのみこんだような顔つきになった。そのときのお順の顔は、あきらかに怯《おび》えていた。そして怯える理由が、お順自身にもはっきりとはわからぬ。  しかし、日がたつにつれ、お順は明るい笑顔を取りもどした。伊太郎が残して置いた品物は行李《こうり》に入れ、戸棚《とだな》の奥へ仕まいこまれた。  門人たちへ、野村は、 「金子は故郷へ帰った。急用ができてな」  と、いったのみである。  異変は、伊太郎が去って十日後に起った。  その夜は、門人であり、沼田藩士の鈴木|藤七《とうしち》と鳩原《はとはら》喜平が酒をもってたずねて来たので、内弟子の林又三郎をふくめ、酒宴となった。十八歳の又三郎は、沼田藩|馬廻役《うままわりやく》・林瀬兵衛の次男だが、みずから希望し、金子伊太郎が去ったのちに道場へ住みこみ、修行をはじめた。  四ツ(午後十時)になったので、野村房之介は妻女を先へ寝かし、 「愉快だ。のみあかそう」  と、いうことになった。  それから、半刻《はんとき》(一時間)もせぬうちに、奥の、お順と房太郎がねむっている部屋で、魂消《たまぎ》るような悲鳴が起った。 「何だ……?」 「は、早く……」  野村を先頭に、合わせて四人が大刀をつかんで廊下へ飛び出すまでに、まぎれないお順の悲鳴と絶叫がつづいている。 「お順!!」  叫んで、廊下の突当りにある寝間の襖《ふすま》へ野村が駆け寄ったとき、その襖が内側から颯《さっ》と開き、黒い影が躍り出して来た。  幅四尺の廊下である。 「あっ……」  野村房之介が、黒い影を金子伊太郎と見て、飛び退《しさ》ろうとしたが、背後から押しつめて来た鈴木藤七に体が打ち当り、おもわずよろめくところを、伊太郎が突き入れた大刀が、存分に野村の胸を突き通した。  廊下が血にけむって、凄《すさ》まじい修羅場《しゅらば》と化した。  金子伊太郎が、せまい廊下を怪鳥《けちょう》のように飛びまわり、刃《やいば》を揮《ふる》った。  鈴木も鳩原も林少年も、即死であった。  野村房之介は、辛うじて寝間へ入ったが、そこで息絶えた。  そのときには、すでに伊太郎の姿が消えている。  沼田藩の役人が検屍《けんし》に来て、顔をそむけた。  男たちの死様《しにざま》はさておき、寝間で、お順が、右の乳房と陰所《いんしょ》を切り抉《えぐ》られて死んでいたのである。  五歳の房太郎は生き残った。かすり傷も負っていない。  房太郎のことばで、犯人が金子伊太郎であることが、明確となった。  沼田藩では、すぐさま人数を八方に繰り出し、伊太郎の追跡にかかった。 「その追手《おって》のうちの四名ほどが、金子伊太郎に斬殺《ざんさつ》されましてございます」  と、田中宗作が秋山小兵衛に語った。  そうなれば、沼田藩としても放《ほう》り捨てておくわけにはゆかぬ。殿さまの美濃守定経《みののかみさだつね》は「草の根をわけても金子めを探し出し、斬《き》って捨てよ」と、命じたそうだ。  しかし、封建の世である。沼田領外へ逃げた犯人を沼田藩が人数をたのんで探しまわるわけにはゆかぬ。他国には他国の領主がいて、他国の制度・政治が施《し》かれている。  そこで沼田藩は、三年後のいまでも、金子伊太郎を探しもとめ、旅に出ている藩士が十余名もいるそうな。  その、目ざす犯人・金子伊太郎を竜野庄蔵《たつのしょうぞう》が日本橋で見かけた。尾行せずにはいられなかったろう。 「なるほど……」  小兵衛は、うなずいた。  野村房之介の妻お順は、殺害のされ方が、あまりにも異常であったので、沼田藩では、いまだに、 「金子伊太郎と、お順が密通をし、お順がそれを嫌うようになって、伊太郎の退去を夫にせがんだ。ために伊太郎は、お順を恨み、凶行におよんだのであろう」  という見方がすくなくない。  しかし、竜野庄蔵は、田中宗作に、 「それはちがう。私は野村道場へよく出かけて知っているが、そのようなことはない。金子伊太郎という男の血が狂うているのだ」  と、いった。  庄蔵は伊太郎を、あくまでも〔性格異常者〕と看《み》ていたようだ。 「秋山先生は、いかがおもわれます?」 「私も、竜野庄蔵と同じ意見ですな」 「ははあ……」 「それで、田中うじ。野村房之介殿は金子伊太郎と、上州高崎《じょうしゅうたかさき》の北山|源右衛門《げんえもん》道場で知り合うたと、いうておられたそうな」 「さようでございます。十余年も前のことらしくおもわれます。金子伊太郎は北山道場へ住み込んでいて、老先生の身のまわりの世話を、まめまめしくいたしておったそうで……」 「ほう……」  沼田藩でも、ぬかりなく、高崎城下へ藩士を送って、そのころの北山道場を知る人びとの口から、金子伊太郎に関して、あつめられるだけの情報を得たらしい。 「それを、お聞かせねがえぬか」 「は、それは……」  田中宗作は一瞬ためらったが、ここまで打ち明けてしまったのでは仕方もないとおもい直したらしく、小兵衛に語りはじめた。      五  つぎの日の昼すぎになって、秋山小兵衛が、おはる[#「おはる」に傍点]に、 「今夜は、四谷《よつや》の弥七《やしち》のところへ泊る。お前も戸締りをして、関屋村《せきやむら》へ泊っておいで」 「先生。また、何か起ったのですかね?」 「うむ。どうもな、とんでもない化け物が江戸へやって来たらしい」 「どんな化け物ですよう」 「何やら、毛饅頭《けまんじゅう》に恨みを抱いている奴《やつ》らしい」 「まんじゅうに、何で恨みをもつだよう、先生……」 「ま、いい。ま、いいわえ」  おはるは、まだ、毛饅頭の意味を知っていない。  小兵衛が、四谷|伝馬町《てんまちょう》の弥七の家へ着いたとき、弥七は、まだ帰っていなかった。  弥七の女房《にょうぼう》は〔武蔵屋《むさしや》〕という料理屋を経営している。小兵衛は、武蔵屋の奥の間で、女房がもてなしの酒肴《しゅこう》をたのしみつつ、弥七の帰るのを待った。  弥七は、五ツ(午後八時)すぎに帰って来た。  げっそりとした顔つきで、奥の間へあらわれた弥七が、 「どうも先生。お待たせをいたしまして、申しわけもございません」 「いそがしいそうだな」 「はい。先日、道で若先生に……」 「おお、聞いた。お前をそれほどまでに苦しめているからには、相当な悪党らしいのう」 「まったく、どうも……ひどい野郎なので」 「いそがしいのに、わしがたのみを引き受けてもらうつもりはないのじゃが……お上《かみ》の御用をつとめるお前の意見が聞きたくて、やって来たのじゃ」 「いったい、何のことでございましょう?」 「泊めてもらうよ」 「ええもう、そのほうがよろしゅうございます。私も、今夜は先生と一緒に気晴らしをしとうございますよ」  弥七は女房に、 「もっと、酒をもって来い」  と、いいつけた。  女房は、うれしそうな顔をした。  このところ弥七は、酒ものまずに塞《ふさ》ぎこんでいたものと見える。 「よいか。これから、わしが申すことを他へ洩《も》らしては困る」 「わかりましてございます」 「実は、ほれ、お前にもはなしたことがある沼田藩士の竜野《たつの》庄蔵な……」 「はい。むかしの、先生の御門人だったという……」 「そうじゃ。その竜野が、このほど、江戸へ出て来て死んだ。いや、殺されたといってよい」 「何でございますって……」 「まあ、聞いてくれ、弥七」  小兵衛は、竜野庄蔵のことから金子|伊太郎《いたろう》について、語りはじめた。  はなしがすすむにつれ、黙って聞いている弥七の両眼が、しだいに血走ってくるのに、小兵衛は気づいた。 (ほう……弥七が、身を入れて聞いていてくれる)  そうおもいながら、小兵衛が語り終え、 「弥七。お前は何とおもうな?」 「こいつは、先生……」  弥七が形をあらため、 「どうやら、的は一つでございますぜ」  と、いったものだ。  弥七は、いま、血眼《ちまなこ》になって、或《あ》る事件を探っている。  去年の十二月の初旬から、およそ一ヵ月の間に、江戸市中の三ヵ所で、同じような殺人事件が起った。  はじめは、中目黒村で、四十がらみの女房が殺された。物盗《ものと》りではない。白昼のことであった。場所は竹藪《たけやぶ》の中を通っている細い道においてである。  村人が発見した女房の死体は着衣のままで、下半身が露出しており、陰所が切り抉《えぐ》られていた。まぎれもなく、これは性格異常者の犯行であった。  ついで……。  年も押しつまった十二月の二十八日に、四谷谷町の竜谷寺《りゅうこくじ》裏の空地で、これも陰所と左の乳房を切り抉られた女の死体を、竜谷寺の僧が発見した。  この女は、近くの仲町《なかまち》の煙草屋《たばこや》利七の女房でおよし[#「およし」に傍点]という。三十二歳で利七との間には子が二人いた。  農婦も町女房も、近辺へ用足しに出かけた帰途を襲われたらしい。  四谷の、そのあたりは弥七の担当であったから、すぐさま彼は探索にかかった。  新年の挨拶《あいさつ》に、いつもかならずやって来る弥七のかわりに、女房が小兵衛の隠宅にあらわれたとき、 「まことに申しわけもございません。弥七が御用のすじ[#「すじ」に傍点]で、いそがしく飛びまわっておりますもので……」  女房は、そういった。  そのときは小兵衛も、あの義理堅い弥七が姿を見せぬというのは、よほどの事件なのにちがいないと、おもっていたまでである。  弥七も町奉行所の同心たちも、この二つの事件に、まったく手がかりがつかめなかった。  目黒と四谷、犯行の現場は離れているけれども、同一の犯人と見てもよい。現代とちがって、このような異常犯罪はめずらしいことなのだ。  そして、手口があざやかである。だれも犯人を見ていない。唯一《ゆいいつ》の目撃者は惨殺《ざんさつ》されてしまっている。現代のように科学捜査が発達していない当時にあっては、ただもう足を擦りへらして聞きこみをおこなうよりほかに、探索の道はなかった。  弥七も町奉行所も、 (これは、犯人を捕えぬかぎり、このような犯行が続発するおそれ[#「おそれ」に傍点]がある)  と、感じた。  なればこそ、弥七も必死であった。  単なる殺人事件ではないだけに、うわさ[#「うわさ」に傍点]が日毎《ひごと》に、市中へひろまりつつある。町奉行所でも懸命になり、御用聞きや密偵《みってい》を督励し、聞きこみをやらせているが、なんといっても、人相も姿かたちもわからぬし、犯人が残していった証拠《しるし》もないのだから、 「まるで、雲をつかむような……」  探索が、つづいているのだという。  そして、年が明けた正月二十一日の午後に、三人目の犠牲者が出た。 「何じゃと、この二十一日に……」  弥七から聞いて、小兵衛が、 「ちょうど、その日じゃ。竜野庄蔵が、わしのところへ来る途中、金子伊太郎を見かけて後をつけ、腕を切られたのは……」 「なんでございますって……」  弥七の眼《め》が煌《きら》めいた。      六  場所は、本所《ほんじょ》の外れの、津軽|越中守《えっちゅうのかみ》・松平豊前守《まつだいらぶぜんのかみ》両下屋敷の間の、幅二間ほどの路上である。  殺害されたのは、本所柳原町六丁目に住む笠屋権四郎《かさやごんしろう》の女房およね[#「およね」に傍点]で、二十八歳。当日、およねは、中ノ郷横川町の実家へ用足しに出かけた帰途、襲われたと見てよい。  昼下りの、明るいうちのことで、実に大胆きわまる犯行だ。  通行人がおよねを発見したとき、まだ、微《かす》かに息が通っていたという。切り抉《えぐ》られた陰所からしたたり落ちる血が、約五間ほどもつづいていたところを見ると、襲った犯人が去ったのち、およねは助けをもとめ、細道を南へ這《は》って来たものらしい。  発見した近くの旗本屋敷の小者が、およねを助け起したとき、もう、口をきくこともできず、すぐにおよねは息絶えた。 「もしやすると、金子|伊太郎《いたろう》が、その笠屋の女房を殺害して帰るところを、竜野《たつの》庄蔵が見かけたのやも知れぬな」 「それにしても、本所の外れと、日本橋でございますが……」 「なあに、道順さ。それに時刻《とき》が合っている」 「なるほど……」  弥七《やしち》の調べによると、殺された三人の女房に、いくつかの類似点がある。  先《ま》ず、三人とも肉置《ししお》きのゆたかな、大柄《おおがら》な女であるということ。ただし、顔だちに似通ったところはない。  つぎに、三人とも、はたらき者であるということ。  そして、三人とも気丈な性格で、夫や子供たちの身のまわりから家の中にいたるまで、垢《あか》ひとつ塵《ちり》ひとつ残すまいとするような、いわゆる「きれい好き」であること。 「なるほど、な……」  と、今度は秋山小兵衛がうなずいた。 「とにかく先生。こいつは、おもいもかけないことでございました。ひとつ、その金子伊太郎に的をしぼって見たいと存じます」 「溺《おぼ》れるものは藁《わら》をもつかむ、というやつかえ」 「藁どころではございません。こいつは先生、たしかに、筏《いかだ》ほどはございますよ」 「ふむ……ときに、弥七」 「はい?」 「このことだがな。どうだえ、お前とわしとでやって見ぬか……」 「奉行所のほうへは、黙っているのでございますか?」 「まあ、な。うかつに手を出すと、逃げてしまうかも知れぬ」 「ですが先生。この上、もし、別の女が……」 「そのことよ。わしも、それをおもうと、胸が苦しくなる。だが、もう二、三日、待って見てくれぬか?」 「はい。ようございます」  二人は、空が白むまで、語りあかしたようである。  翌朝。小兵衛は駕籠《かご》をよんでもらい、帰途についた。  まっすぐに隠宅へ帰ったのではない。大治郎の道場へ立ち寄り、弥七の家でしたためておいた手紙を大治郎へわたし、 「その手紙をな、沼田藩邸の田中|宗作《そうさく》殿へ、とどけてほしいのじゃ」 「承知いたしました」  今日は、田沼家の稽古《けいこ》は休みである。  大治郎は、すぐに道場を出て行った。  小兵衛が隠宅へもどったのは、それから間もなくのことだ。橋場の船宿から舟を出してもらい、大川(隅田川《すみだがわ》)をわたって帰ったのである。  おはる[#「おはる」に傍点]は、まだ関屋村からもどっていない。  小兵衛は寝床をとって、しばらくねむることにした。 「先生……先生、お起きなせえよう。お客さんですよう」  おはるにゆり起されて目ざめると、いつの間にか、夕暮れになっているではないか。 「あ、これはいかぬ。客は、先日見えた田中さんかえ?」 「あれまあ、よく、わかるもんだよう」 「居間へお通しなさい。それから酒の仕度をな」 「あい、あい」  小兵衛は着替えてから居間へ出て行った。 「これは田中うじ。わざわざ恐縮でござる。私が御屋敷へまいるより、このほうがよいとおもいましてな」 「何事でございましょう」 「さようさ」  小兵衛が、誠意をこめ、 「竜野庄蔵の容態《ようだい》が急変する前に、当日の模様を、庄蔵はくわしく申しのべておりましょうな?」 「はい」 「それをひとつ、お聞かせねがいたい」 「さよう……」  ちょっと、ためらった田中も、こうなっては仕方がないとおもい直し、庄蔵が藩の目付役《めつけやく》に申したてたことを語りはじめた。  当日……。  日本橋から金子伊太郎の尾行を開始した竜野庄蔵は、通一丁目から芝口橋へ通ずる江戸の本通りを行き、芝口橋をわたった。  金子伊太郎は東海道の往還をまっすぐに、芝口三丁目から柴井町《しばいちょう》、神明町《しんめいちょう》へすすみ、芝神明宮・門前にある〔上州屋吉兵衛《じょうしゅうやきちべえ》〕という蕎麦《そば》屋へ入ったという。  小兵衛も行ったことはないが、上州屋の名は聞いていた。  小兵衛と親交の厚い剣客・牛堀九万之助《うしぼりくまのすけ》は、上州・倉ヶ野の生れで、 「秋山さん。ぜひ、芝神明前の上州屋の蕎麦を食べて見て下さい。これはどうも上州生れの者には、なつかしい蕎麦の食べ方をさせる店でしてね」  こういったことがある。  別に、どうというのではないが、くろい太打ちの蕎麦を、生姜《しょうが》の汁《つゆ》で食べさせる。他に薬味は決してつかわぬ。それが上州ふう[#「上州ふう」に傍点]なのだという。  牛堀のみか、他のだれかにも上州屋の蕎麦のことを、小兵衛は聞いたことがあった。  で……。  金子伊太郎が上州屋で蕎麦を食べ、酒をのんで出て来るまで、竜野庄蔵は外で待ってい、またも、尾行を開始した。 (庄蔵に、伊太郎が気づいたのは、それから後じゃな……)  と、小兵衛は直感した。  伊太郎は、芝・増上寺を右に見て金杉橋《かなすぎばし》をわたり、田町四丁目のあたりから右へ切れこみ、坂の多い道を曲りくねりつつ、樹木谷《じゅもくだに》の方向へ、庄蔵をいざなって行ったかのようにおもえてならぬ。 (そうじゃ……金子伊太郎も、上州の生れじゃという……)  小兵衛の脳裡《のうり》に、何か、ひらめくものがあった。 「田中うじ。三年前のあのとき、金子伊太郎の身性《みじょう》につき、そちらで調べられたことを、いま一度くわしく、お聞かせ下さるまいか」  秋山小兵衛が田中宗作に両手をつき、「たのみます。おねがいでござる」と、いった。      七  金子|伊太郎《いたろう》が目ざめたとき、まだ、雪は熄《や》んでいなかった。  昨日の夕暮れから降り出した雪である。  かなり積っているにちがいないが、その雪景色を見る気にもなれぬ。  伊太郎は、病気と称し、もう半月ほども外へ出ていない。  ここは、芝《しば》・白金《しろかね》十一丁目と目黒の六軒茶屋町の、ちょうど境にある鎌作観世音《かまつくりかんぜおん》・境内の裏手の細道を、西へ突きぬけたところの百姓家であった。  主人夫婦は、もう五十をすぎてい、鎌作観音の門前に、葭簀《よしず》張りの茶店を出している。  朝になると、我が家を出て茶店へ行ってはたらき、夕暮れに帰って来る。息子が一人いるそうだが、これは、日本橋本石町四丁目の真綿《まわた》問屋〔大黒屋三郎兵衛〕方へ住み込んでいる若い番頭だそうな。  去年の秋の暮に、金子伊太郎は江戸へ出て来て、はじめのうちは旅籠《はたご》で暮していたが、目黒不動尊を見物[#「見物」に傍点]に出た帰途、この老夫婦がやっている茶店でやすんだ。  他に客はなく、伊太郎は退屈しのぎに、夫婦へ声をかけた。亭主《ていしゅ》を与作、女房《にょうぼう》がおさい[#「おさい」に傍点]という。  こういうときの伊太郎は、若く美しい顔だちの上に、言葉づかいも丁寧だし、声も細く、やさしいのである。むしろ、たよりなげに、あわれな風情《ふぜい》が感じられるし、伊太郎もまた、充分に、そのこと[#「そのこと」に傍点]を意識しているのだ。  これが、恐るべき異常殺人鬼だとは、だれの目にも映らぬ。  語り合っているうち、伊太郎は、 (ふむ……このあたりに隠れ住むのは、よいな)  ふと、おもいついた。  そこで、もちかけて見た。 「親の敵《かたき》を討つ身なのです」  と、いって見た。  果して与作夫婦は、おどろきもし、感動もした。この若い美しい温和《おとな》しげな浪人が、そのような大望を抱いていたのか……それならば、ひとつ、ちからになってやろうと、おもった。  伊太郎は金を出し、老夫婦の家の物置小屋を改造してもらうことにした。  伊太郎は金に困らぬ。金が無くなれば、人を斬殺《ざんさつ》して奪いもするし、盗みもする。 「敵討つ身ゆえ、拙者のことは、あまり人びとに知られたくないのです」  伊太郎は、そういった。もっとものことである。敵討ちの場合は、双方が隠密《おんみつ》の行動によって追いつ追われつするからだ。老夫婦は伊太郎の言葉を、よく、理解したようである。  百姓家の物置きに落ちつくと、伊太郎は朝から外出し、日暮れに帰ることが多かった。  編笠《あみがさ》をかぶって出る日もあれば、かぶらぬ日もある。  そして、去年の暮から今年にかけ、三人の女を惨殺《ざんさつ》したのであった。  先月の二十一日に、本所で町女房を殺した帰途、伊太郎は竜野庄蔵の尾行に気づいた。  芝神明前の上州屋で、大好物の蕎麦《そば》を食べ、田町から三田へ出て、聖坂《ひじりざか》をのぼっているときに、庄蔵の尾行を知った。  そして、樹木谷《じゅもくだに》までさそいこみ、斬《き》った。  斬ったが、身をかわされて左腕を切り落したところへ、邪魔が入り、逃げた。  以来、伊太郎は半月も外出をしていない。顔を見られたことが彼をそうさせているのであろうか……。  しかし、それにしては妙だ。伊太郎は、これまでに、二十余人の女の陰所を切り抉《えぐ》り、殺してきている。ことに沼田藩では、伊太郎の行方を追っているにちがいない。  江戸の町々を歩いていて、沼田藩の江戸詰めの藩士に顔を見られぬものでもないのだ。  それなのに、編笠をかぶらず、白面《はくめん》をさらして堂々と出歩くことがある。そういうときの伊太郎の神経のはたらきがおかしい。そうかとおもうと笠に顔を隠し、歩みぶりまで変えて外出をする。どこか、変なのである。  金子伊太郎は、中仙道《なかせんどう》を江戸から二十三里十四丁、上州・新町の宿駅に住む下駄《げた》屋・茂平《もへい》の子に生れた……ということになっている。  母親のおりき[#「おりき」に傍点]は、はじめ、新町の旅籠〔三又屋七兵衛《みつまたやしちべえ》〕方の女中をしていた。実家は武州・岡村の近くの百姓で、そこにいる兄夫婦のもとへ、おりきは寄りつかなかった。  おりきは、小肥《こぶと》りの血色のよい女で、寒中でも鼻の頭に汗をかいていた。  伊太郎は、三又屋へ泊った旅の浪人とおりきの間に生れたのである。二夜か三夜、金で浪人に抱かれたおりきは、浪人が去ったあとで身ごもったことに気づいた。  その浪人の名は、宿帳に〔金子伊太郎〕と記されてあったそうだが、もとより、真偽はわからぬ。  物堅い三又屋では、おりきを実家へ返そうとした。  おりきが仲の悪い兄夫婦のもとへ帰ることもできず、まさに、 「進退きわまった……」  ところへ、救いの手がさしのべられた。  それが、前年に女房を病気で亡《な》くした下駄屋の茂平だったのである。  伊太郎は、十二、三歳のころまで、茂平を本当の父親だと信じてうたがわなかった。  おりきは茂平との間に男の子ばかり三人も生んだが、伊太郎の美しさには到底およばぬ子ばかりであった。  伊太郎に、お前の父親は茂平どんではない、と告げたものがある。同じ新町に住む塩売りの友吉であった。それからのち、数人に、同じようなことを伊太郎は聞かされた。  ついに、おもいあまって、伊太郎が母親に問い質《ただ》すと、おりきがまた無神経な女で、 「そんなことは、どうでもいい。でもよ、そんなに尋《き》きたけりゃあ教えてやろう。お前の父《とっ》つぁんはね、金子伊太郎さまといって、そりゃもう、好いたらしいおさむらいだったのだよう」  こういって、さらに、 「お前を身ごもったとき、どうにも困ってよ。水にしてながしてしまおうとおもい、いろいろとやって見たが、とうとう生れちまった。あは、はは……ここの茂平どんが助けてくれなかったら、きっと、生れたお前に石ころでも背負《しょ》わせて、川の中へ沈めていたにちがいないよう」  と、いったものである。  邪気があっていったのではない。おりきは、そういうことが平気でいえる女だったのである。  その母親を、伊太郎は、白い眼でにらみつけた。  さ、そこで……。  その日から、伊太郎の様子が一変した。  ちなみ[#「ちなみ」に傍点]にいうと、子供のころの伊太郎の名は〔茂助〕である。  金子伊太郎の名は、彼が自分でつけたものだ。      八  十三歳の伊太郎《いたろう》が、新町の下駄《げた》屋の家を出奔してから一年目の冬に、武州・板橋の宿外《しゅくはず》れをながれている石神井川《しゃくじいがわ》のほとりで、あわれな乞食《こじき》姿になっているのを、通りかかった北山|源右衛門《げんえもん》が拾いあげた。  襤褸《ぼろ》を着て寒空にふるえている乞食姿と、伊太郎の美しい顔だちの対照がまことにあざやかでもあり、奇妙でもあるのに、北山源右衛門はこころをひかれたのであろうか……。  銭をあたえた源右衛門が、 「小僧。名はなんという?」  問うたとき、伊太郎はすらすらと、 「金子伊太郎と申します」 「何……では、武家の子か?」 「父は金子茂平と申し、去年、江戸で、病《やまい》にかかり、亡《な》くなりました」  その嘘話《うそばなし》をすこしも疑うことなくきいて、北山源右衛門のこころがうごいた。当時の源右衛門は五十五歳。生涯《しょうがい》、妻をめとらず、剣の道をきわめんとした人生は牛堀|九万之助《くまのすけ》に似ている。北山源右衛門の剣名は、関東一円にきこえてい、秋山小兵衛も、その名は耳にしていた。  北山源右衛門は、すぐさま決意をし、伊太郎を高崎《たかさき》の道場へ連れ帰り、身のまわりの世話でもさせるつもりになった。  こうして伊太郎は、ようやくに乞食暮しを脱することを得た。わずか二十|文《もん》ほどの銭を盗んで下駄屋の家を出奔してから一年。少年にしては、凄《すさ》まじい体験をしてきた伊太郎であった。  乞食仲間の男から、口にはいえぬ汚ならしい愛撫《あいぶ》をうけたことは数え切れぬし、乞食の女や、宿場の娼婦《しょうふ》が伊太郎の美しさにいたずらごころ[#「いたずらごころ」に傍点]をさそわれ、なぐさみものにしようとしたこともある。  すでに、少年の伊太郎は三人の女を殺していた。自分をなぐさみものにしようとした女を、である。石塊《いしくれ》で撲殺したり、くび[#「くび」に傍点]をしめたりした。女の陰所を切り抉《えぐ》るようになったのは、もっと後のことである。  北山源右衛門の高崎道場には、約百名の門人がいた。そのうちの半数が、高崎八万二千石の城主・松平右京亮《まつだいらうきょうのすけ》の家来であった。  源右衛門は、伊太郎に剣術を教えるつもりは毛頭なかった。よく気がついて、身のまわりの世話が行きとどくので、まことに便利だとおもい、伊太郎を可愛《かわい》がった。伊太郎の父親の在所を尋ねたが、伊太郎は、そうしたことを、これまでに一度も亡父から聞いたことがない、と、こたえた。その〔嘘〕が、源右衛門にも見ぬけなかった。白面の、あわれな少年が、うつ向き加減に語るのを聞いていると何《なに》も彼《か》も真実におもえてくるのであった。  或《あ》る日の夕暮れに……。  北山源右衛門は、たわむれに、十五歳になった伊太郎に木刀を持たせ、剣術の手ほどきをして見た。  すると、意外に、 「すじ[#「すじ」に傍点]がよい」  のである。  何よりも、身のうごきが敏捷《びんしょう》をきわめているのだ。 (これは、もの[#「もの」に傍点]になるやも知れぬ)  と、源右衛門は直感した。  武士の子に生れながらも、薄倖《はっこう》の身の上で、その素姓も知らぬままに、父母をうしなった伊太郎とおもいこんでいる北山源右衛門は、 (もしも、伊太郎が一人《ひとり》前の剣士として、世に出て行けるようになれば、それにこしたことはない)  と、おもった。  伊太郎もまた、自分でも、おもいもかけなかった素質を剣術に見出《みいだ》したといってよい。  このときから、北山源右衛門と伊太郎は〔師弟〕になった。  伊太郎の進境は、目ざましかったという。  上州・沼田の剣客・野村|房之介《ふさのすけ》が、北山道場に滞留し、修行にはげんだのは、それから数年後のことで、そのときに、野村と伊太郎は約二年間、共に北山道場で暮したことになる。  そして……。  北山源右衛門が病歿《びょうぼつ》したとき、多勢の門人たちは、金子伊太郎を無視した。当時、門人たちの中で伊太郎よりすぐれた剣士は一人もいなかったというのだ。それにもかかわらず、氏素姓《うじすじょう》も知れぬ伊太郎は、北山道場の後継者にはなれなかった。  北山源右衛門は、いまでいう脳溢血《のういっけつ》で倒れ、意識不明のまま、三日後に亡くなった。  伊太郎は、道場の内紛をよそに、ふらりと高崎を出て、行方知れずとなってしまった。  その後、北山道場は後継者がないままに閉鎖されてしまった。ぬきん出た技倆《ぎりょう》と人格をそなえた門人がいなかったからであろう。  それから、四年後に……。  金子伊太郎が、沼田城下の野村房之介道場へあらわれたのであった。  こうしたいきさつ[#「いきさつ」に傍点]の半分ほどは、沼田藩士が高崎へ出張《でば》って調べあげてい、それは田中|宗作《そうさく》の口から秋山小兵衛の耳へとどいている。 (雪が……雪が熄《や》んだら、上州屋の蕎麦《そば》が食べたい)  百姓家の物置小屋の寝床にもぐったまま、いま、金子伊太郎は、そのことをおもいつづけている。  くろく、ふとい蕎麦。それを、生姜《しょうが》の搾《しぼ》り汁《じる》をたらしこんだ汁《つゆ》にたっぷりとつけてすすりこむ。これは、むかし、生母のおりき[#「おりき」に傍点]や義父の下駄屋・茂平と共に、何かにつけて味わった上州《じょうしゅう》の蕎麦の味であった。  たとえようもなく、その、少年のころの味わいがなつかしい。汗まみれになって蕎麦を打っている母の姿には憎悪《ぞうお》以外の何ものも感じないが、打ちあがった蕎麦は別のことだ。  あのときの蕎麦と同じようにして食べさせる店を、伊太郎は去年、久しぶりに江戸へ出て来て、見つけたのである。  それが、芝神明《しばしんめい》前の上州屋であった。 (早く……早く、雪が熄まぬかな……)  たのしげな、童児のような表情を浮べている金子伊太郎であった。  雪なので、茶店をやすんだらしい女房《にょうぼう》が、あたたかい粥《かゆ》を煮て、伊太郎の小屋へあらわれた。 「金子さん。おかげんは、どうでござんすかね?」 「あ……もう、大分に、よくなったようです」 「お粥をもって参じました」 「ありがとう、ありがとう」      九  三日後の朝。  金子|伊太郎《いたろう》は、目黒の百姓家を出た。  眩《まばゆ》いばかりの陽光が天にも地にもみなぎっている。さすがに二月(現代の三月)に入ると、そこはかとなく日射《ひざ》しがちがってきたかのようだ。雪がはれてのち、風も絶えて暖かい日和《ひより》がつづいているのである。  はじめ、伊太郎は編笠《あみがさ》をかぶっていた。  しかし、白金《しろがね》の通りを東へすすむうち、いつしか編笠を除《と》り、手に持った。  いつものように袴《はかま》をつけた伊太郎は、雪解けのぬかるみ[#「ぬかるみ」に傍点]がまだ消えていないので高下駄《たかげた》をはいている。  透きとおるように白い面長《おもなが》の顔へ、微《かす》かに血がのぼっている伊太郎であった。  編笠をかぶっているときの伊太郎は、むしろ、うつ向きかげんに歩む。  ところが笠をぬぐと、しだいに面《おもて》をあげ、道行く人びとをながめまわすようにして歩くのである。  ことに伊太郎は、行きずりの女たちの眼《め》が、自分の顔にそそがれたときの一瞬を、無意識のうちに待ち構えている。  伊太郎の美貌《びぼう》を、単に、 (まあ……きれいなおさむらいさま……)  と、見る女たちのほうが多い。  だが、その中に、なんともいえぬ嫌悪《けんお》の色を眼に浮べる女が、たまさかにはいる。伊太郎が見返すと、そうした女たちの眼の色が今度は嫌悪から恐怖に変り、顔をそむけるように、急いで伊太郎から遠ざかって行くのであった。  日によって、このごろの金子伊太郎は、そうした女に出合うのを待ちのぞんでいるようなところがある。  そうした女たちは、伊太郎の過去と、何人もの女の陰所を切り抉《えぐ》った血の匂《にお》いを嗅《か》ぎつけてしまうのであろうか……。  感能の冴《さ》えた女ほど、それ[#「それ」に傍点]とはわからぬながらも、伊太郎の全身からただようものに、はっ[#「はっ」に傍点]と嫌悪をおぼえ、見返してくる男の眼光に恐怖を感じるにちがいない。  そのときどきの程合いと、こちらの気合しだいで、金子伊太郎の五体が復讐《ふくしゅう》のよろこびに、むしろ戦慄《せんりつ》することがある。 (女め!!)  むらむらと殺気がふきあがり、その場で斬殺《ざんさつ》することもあれば、後をつけて行き、人気《ひとけ》の絶えた場所で、先《ま》ず当身《あてみ》をくらわせ、木立や墓地の中へ引きずりこみ、女の下半身を刀の切先ではねひろげ、一気に陰所を抉る。  露呈された女の下腹の黒い茂みが瞳孔《どうこう》へ飛びこんで来て、それを目がけて刀を突き入れるとき、金子伊太郎の五体は、たとえようもない激烈な快感に突きつらぬかれるのだ。  このようになってしまったのは、野村房之介の妻女を殺したときからである。  野村道場へ身を寄せたときの金子伊太郎には、 (ひとかどの剣客になって見たい……)  という希望が、まだ、ちろちろと燃えていたといってよい。  上州・新町にいる母親のおりき[#「おりき」に傍点]を殺害したのも、沼田を逃げてからのことである。  それは、雨がふりけむる初夏の夕暮れのことで、宿場町の裏道を、野菜の籠《かご》を抱えて下駄屋の家へ帰って来るおりきと、すれちがいざまに、伊太郎が斬《き》った。 「う……」  叫びもせず、おりきは、くびすじ[#「くびすじ」に傍点]の急所を深ぶかと切りはねられ、泥道《どろみち》へのめりこんだ。  おそらく、おりきは我が子の仕わざとはおもわなかったろう。  伊太郎は菅笠《すげがさ》をかぶり、雨合羽《あまがっぱ》を着ていた。  おりきの死体は、間もなく発見されたが、すでに、伊太郎は新町の宿場を遠ざかっていた。  それは、二年前のことであった。  金子伊太郎は、麻布《あざぶ》の四ノ橋へ向う途中、三鈷坂《さんこざか》で、向うから子供の手をひいて来る三十がらみの町女房とすれちがった。  その女房は、ふと、伊太郎を見るや、 「あ……」  わずかに声をあげ、十歳ほどの女の子をいきなり抱きあげ、身をすくめるようにして駆けはなれて行った。  ふり向いた伊太郎の足が一歩、町女房の方へ向った。  切長の両眼が青白く冴えきって、伊太郎の紅《あか》く薄い唇《くち》がひくひく[#「ひくひく」に傍点]とふるえる。  だが、伊太郎は町女房を追わなかった。  人通りもあったし、いまひとつ、彼の気分がもりあがらなかったのやも知れぬ。  伊太郎は舌打ちをし、ゆっくりと四ノ橋へ向って歩み出しながら、ふたたび、編笠をかぶった。  四ノ橋を北へわたって、新堀川《しんぼりがわ》沿いの道を東へ……芝・増上寺の境内をぬけた金子伊太郎が、芝神明前の蕎麦《そば》屋・上州屋へ入ったのは、四ツ半(午前十一時)ごろであったろう。  上州屋は、朝五ツから店を開け、そのかわりに午後は八ツ半(三時)に店をしまう。  通路の幅二間の土間をはさんで、両側に入れこみ[#「入れこみ」に傍点]の座敷。すでに、ちらほらと客が入っていた。伊太郎は片隅《かたすみ》へすわって、先ず、酒を注文する。  上州屋の酒は燗《かん》をしない。今戸焼の茶碗《ちゃわん》になみなみと冷酒《ひやざけ》をくんで出す。  蕎麦は、朱塗りの箱の蓋《ふた》のような容物《いれもの》へ、くろい太打ちの冷たい蕎麦をこんもりと盛って来る。  汁《つゆ》のかげんがどうなっているのか知れぬが、秋山小兵衛にいわせると、 「わずかに味噌《みそ》が混《まじ》っている……」  そうな。  その汁へ、生姜《しょうが》の搾《しぼ》り汁をたらしこむ。 「妙に、うまい」  のである。  ことに、金子伊太郎にとっては、自分の手で殺した生母おりきが打ち、生姜の香りがする汁《つゆ》で食べさせてくれた蕎麦の味が、ほうふつ[#「ほうふつ」に傍点]として口中にひろがるのをおぼえずにはいられなかった。  そのときに、母親をおもい出すこともないではない。  おもい出すときの伊太郎は、蕎麦を憎々しげに睨《にら》みつつ、食べる。 (畜生め……おれを……このおれを生んで、石ころを背負《しょ》わせ、川へ投げこもうとおもった、と……畜生め、畜生め、女め、畜生女め……)  だが、今日の伊太郎は、妙に、のんびりとした空《うつ》け顔で、蕎麦を食べはじめた。  それを、入れこみの座敷の、向う側の片隅にいた男が見ていた。  男は、四谷《よつや》の弥七《やしち》の下働きをしている密偵《みってい》・傘屋《かさや》の徳次郎であった。      十  この日。  金子|伊太郎《いたろう》が上州屋へあらわれる前に、秋山小兵衛は数度、上州屋の蕎麦《そば》を味わっていた。  沼田藩が金子伊太郎の居所を捜索していることは知っていたけれども、小兵衛は、おもうところあり、単独で、的を上州屋ひとつにしぼった。  牛堀九万之助《うしぼりくまのすけ》がいう上州好みの蕎麦を出す上州屋へ入った金子伊太郎も、上州・新町で生れ育ったという。 (そこが、おもしろいわえ)  なのであった。  上州屋の商売の仕方は頑固《がんこ》そのものであって、件《くだん》の蕎麦と冷酒。この二つしか客に出さぬ。寒中でも暖かいものは何一つ出さないのである。  そうした特殊な蕎麦屋を知っていて、異常殺人鬼の金子伊太郎が入って行くというのは、まさに伊太郎が、上州屋の蕎麦を、 「好む……」  からに、ほかならぬ。  果して……。  そのとおりであった。  四谷《よつや》の弥七《やしち》は、芝神明宮近くの浜松町三丁目に住む御用聞きの梅吉と親しくしている。  そこで、浜松町の梅吉にたのみ、上州屋へ同道してもらい、沼田藩士・田中宗作の口から、秋山小兵衛の耳へ入った金子伊太郎の人相や姿かたちを告げて、 「こういう男が、ここへ来るかね?」  尋《き》いて見ると、主人夫婦をはじめ、小女にいたるまで、 「ああ、それなら……」  すぐに、おもい出してくれた。  なんといっても、ひときわ美しい顔だちの金子伊太郎が、身につけているものは質素な剣客ふうの着物なのだから、尚更《なおさら》に、 「目立つ……」  のである。  伊太郎が、去年の十二月の中ごろから、数度、上州屋へ来ていることをたしかめた秋山小兵衛は、弥七と梅吉にたのみ、上州屋へすじ[#「すじ」に傍点]を通してもらい、傘屋の徳次郎を上州屋へ泊り込ませることにしたのである。 「傘徳。こいつは、いのちがけだぞ。もし、その化け物野郎が上州屋へあらわれ、そいつの後をつけるにしても、よほどに、うまくやらなくてはいけねえ。勘づかれたら、いのちはねえものとおもえ。それでもいいか?」  四谷の弥七が念を押したところ、傘徳は事もなげに、 「ようござんす」  こたえたそうな。  そこで、今日……。  上州屋を出た金子伊太郎の尾行を開始した傘屋の徳次郎だが、鼻唄《はなうた》なぞをうたいながら、まったく、気を楽にしていたのである。  それでいて、菅笠《すげがさ》をかぶったり、ぬいだり、歩きぶりを変えたり、羽織をぬいだり着たりするという神経のくばり方をして、見事に、金子伊太郎の居所を突きとめたのであった。  伊太郎は、上州屋で冷酒を茶碗《ちゃわん》に三杯のみ、蕎麦を二盛《ふたも》り平らげると、もう江戸市中をうろつく気にもならなくなったらしい。  よいこころもちで、 「うむ……食った、食った……」  編笠の内でつぶやきつつ、踵《きびす》をめぐらして、目黒へ帰って行った。  傘屋の徳次郎が、秋山小兵衛の隠宅へ駕籠《かご》を飛ばして駆けつけて来たのは、七ツ(午後四時)ごろである。 「そうか、そうか……いや、御苦労、御苦労」  いつになく、小兵衛は昂奮《こうふん》を顕《あらわ》にして、金一両を「御褒美《ごほうび》だよ」と、傘徳にあたえ、 「このことを弥七につたえてもらいたいが、そのついでに、せがれの大治郎のところへ寄って、こっちへ来るようにつたえておくれ」 「かしこまりましてございます」 「大変だろうが、今夜から明日にかけて、お前にもはたらいてもらわねばならぬ」 「承知しております」  傘徳は、いそいそ[#「いそいそ」に傍点]と帰って行った。  しばらくして、秋山大治郎が小兵衛宅へあらわれた。  夕餉《ゆうげ》のときになっている。  おはる[#「おはる」に傍点]が、すかさず、酒肴《しゅこう》の仕度をととのえた。 「ま、のめ」 「はい」 「実は、な」  と、小兵衛が、傘徳の報告を大治郎へ打ちあけ、 「お前は、なんとおもうな?」 「と、申されますのは?」 「わしはな、わし一人で、竜野庄蔵《たつのしょうぞう》の敵《かたき》を討ちたいとおもっているのじゃが……」 「いや、父上……」 「沼田藩に、このことを知らせぬということも、気がすまぬし……」 「そのとおりだと存じます。竜野さんは、なんといっても沼田藩士としてはたらき、そのために亡《な》くなられたのですから……」 「うむ、うむ」 「これは、やはり、沼田藩へお知らせなさるべきでしょう」 「そうおもうか?」 「はい」 「む……よし、そうしよう」 「それにしても……」 「何じゃ?」 「父上の炯眼《けいがん》、おそれ入りました」 「何を……?」 「いえ、その、上州屋とか申す蕎麦屋で辛抱づよく、見張りを……」 「あ、そのことか。大治郎、人間はな、幼いときに口にしたものの味は、生涯《しょうがい》忘れぬものよ。わかりきったことだわえ」 「はあ……なるほど……」 「お前だって、亡くなった母親の手料理を忘れてはいまい」 「はい」 「それ、見よ。ときに大治郎。そろそろ、腰をあげるか」 「はい。明日にのばしてはなりますまい」 「お前、わしの手紙をもって、沼田藩邸へ行ってくれるかえ?」 「承知いたしました」  大治郎が帰ったのち、小兵衛は、おはるに、こういった。 「ちょいと、出て来る。帰りは……そうじゃな、ちょいと、おそくなるやも知れぬ。しっかりと戸締りをして、先に寝ていなさい」      十一  金子|伊太郎《いたろう》が潜む百姓家を、沼田藩士十名が包囲したのは、翌日の払暁《ふつぎょう》であった。  秋山小兵衛の知らせを、沼田藩では大いに感謝したそうである。江戸の藩邸には、かつて野村|房之介《ふさのすけ》道場にまなんだ藩士が二名いて、この中の鈴木|平馬《へいま》は兄の藤七《とうしち》を、当夜、伊太郎の凶刃《きょうじん》にうしなっていた。  十名は、いずれも、 「腕におぼえ[#「おぼえ」に傍点]のある……」  藩士たちばかりで、これを指揮するのは、目付役《めつけやく》・矢部|市右衛門《いちえもん》で、矢部は一刀流の名手だという。  ともかく、あまりに多人数を繰り出しては人目にもつくし、それになんといっても、ここは将軍家|御膝元《おひざもと》の江戸府内である。沼田藩が伊太郎を討つことに支障はないが、もし、これが町奉行所の耳へでも入ったなら、江戸市中でも犯行を重ねている金子伊太郎ゆえに、町奉行所としても放ってはおけぬはずだ。伊太郎を奉行所に連行されてしまっては、沼田藩として取り返しのつかぬことになる。それだけに、秋山小兵衛が密《ひそ》かに探り、密かに告げてくれた配慮を沼田藩の重役たちはよろこんだのである。  十人の討手《うって》は一人、二人と藩邸を出て、目黒へ向った。  伊太郎の小屋へ打ち込むのは、翌朝の空が白むころに決められた。でき得るなら夜のうちに仕止めてしまったほうがよいのだが、そうなると夜の闇《やみ》にまぎれ、敏捷《びんしょう》な伊太郎に逃走されてしまうおそれ[#「おそれ」に傍点]があったからだ。  案内は、いうまでもなく傘屋の徳次郎で、小兵衛・大治郎の秋山|父子《おやこ》は、四谷《よつや》の弥七《やしち》と共に、わざと遠くはなれた目黒不動・門前にある〔稲葉屋《いなばや》〕という料理屋で、一人、二人とあつまって来る沼田藩士を待った。  弥七は、女房《にょうぼう》が料理屋をしている関係で、この稲葉屋とは昵懇《じっこん》にしていた。  時刻をはかり、散り散りに稲葉屋を出た一行は田圃《たんぼ》道をえらび、権之助坂《ごんのすけざか》の下へ出たところで合体し、坂をのぼりきって、松平主殿頭《まつだいらとのものかみ》下屋敷の角を西へ切れこんだ。  しばらく行って、田圃道へ入り、今度は北へすすむと、前方に、こんもりと竹藪《たけやぶ》が見えた。 「さ、こちらへ……」  傘屋の徳次郎が、竹藪の中の道ともいえぬ道へ入って行き、 「あの、板屋根の小屋の中におりますよ」  と、目付・矢部市右衛門にささやいた。  微《かす》かに空が白み、夜の闇がいつしか桔梗色《ききょういろ》に明るみ、それでいて尚《なお》、すべてが水の底に在るようにたよりなげな暁闇《ぎょうあん》が、まだ未練たらしくただよっている。 「よし」  うなずいた矢部が、すぐさま、九名の藩士を三手に分けた。  前方に、金子伊太郎の小屋が見え、その向うの石井戸をはさんで、茶店の老夫婦が住む百姓家が斜めにのぞまれる。小屋は荒壁の外見《そとみ》で、小さな窓が切ってあった。  討手は、三方から近づき、出入口が一つしかないことをたしかめたので、その戸口と窓の下をかため、いっせいに刃《やいば》を抜きはらった。  秋山父子と弥七、傘徳は竹藪の陰から、これを見まもっていた。  矢部市右衛門が刀を振って合図をするや、藩士二人が用意の大槌《かけや》を揮《ふる》って戸を叩《たた》き破った。  その、叩き破られた戸が倒れるか倒れないかという一瞬に、小屋の中から躍り出した黒い影が、破られた戸を内側から突き飛ばすようにして討手の前へあらわれた。  金子伊太郎であった。  戸を打ち破り、いちおうは名乗りをあげ、伊太郎をよび出すつもりでいただけに、討手は虚を衝《つ》かれたといってよい。何しろ、戸を打ち破った二人が大槌を手につかんでいたままだったことを見ても、伊太郎の突進がいかに大胆で猛烈なものだったかがわかる。討手が小屋を包囲する気配に、早くも伊太郎は気づき、気づくや否《いな》や、いささかも躊躇《ちゅうちょ》することなく迎撃の構えをとったにちがいない。 「あっ……」 「金子……」 「うぬ!!」  討手が口ぐちに叫んだとき、大槌を放《ほう》り捨て、あわてて大刀の柄《つか》へ手をかけた二人の藩士が絶叫をあげて転倒している。  二人は頭を打ちつけ合い、もつれ合うようにして倒れた。  たちまちに二人、斬《き》って殪《たお》した金子伊太郎は豹《ひょう》のように身を屈《かが》め、獣《けもの》じみた姿勢となって、すっすっ[#「すっすっ」に傍点]と擦り足に恐れげもなく討手の刃の中へ近寄って来るではないか。  矢部市右衛門が何か叫び、奮然として伊太郎の前へ肉薄した。  と見るや、信じられないほどの柔軟さで伊太郎の細い体がくるくる[#「くるくる」に傍点]と廻《まわ》りながら、斜めうしろへ後退し、包囲している藩士たちの、いちばん右端にいた鈴木平馬の胴を切りはらった。 「うわ……」  平馬が、のめった。  討手の包囲の輪がくずれ、大刀を振りかざした矢部が激昂《げっこう》し、 「おのれ、こやつ!!」  体勢が伸び切ったままに大刀を打ちこんだ。  火花が飛んだ。矢部の一刀を払いのけざま、伊太郎がするり[#「するり」に傍点]と飛び退《の》き、別の藩士を斬り殪したかと見る間に、 「たあっ!!」  はじめて気合声を発し、矢部市右衛門へ襲いかかった。 「むう……」  矢部の手から刀が落ちた。  よろめいた矢部が、がっくりと両膝をついた。  なんとも凄《すさ》まじい金子伊太郎の反撃に、たちまち、五人が餌食《えじき》となった。伊太郎の剣法がどうのというより、殺人の現場を何回となく踏みわたって来た伊太郎の経験が、藩士たちの〔道場剣術〕を、まったく寄せつけぬといってよい。ことに矢部市右衛門が殪れて、討手は動揺した。  これを見ていた秋山大治郎が、たまりかねたらしく、 「父上。私、出ます」 「お前の手が汚《よご》れるわえ。わしがやる」  と、いいざま、小兵衛が竹藪から走り出て行った。  伊太郎は身をひるがえし、竹藪へ駆け込もうとしていた。  その前へ秋山小兵衛が立ちふさがり、 「小僧。逃《のが》さぬぞ」  しずかにいうや、藤原国助《ふじはらくにすけ》の大刀を引きぬき、なんと大上段に振りかぶった。背の低い小兵衛は、かつて、このような刀の構え方をしたことがない。 「あ……」  おもわず、見ていた大治郎が声を発した。  金子伊太郎は、身を屈め、刀を小脇《こわき》へそばめるように構えた。  その背後から伊太郎へ襲いかかろうとする藩士たちを、小兵衛が、 「危ないぞ。引っ込んでいなさい!!」  と、叱《しか》りつけた。  同時に、小兵衛は大刀を振り下ろした。  伊太郎との間合いは約四間である。  それなのに小兵衛は一歩もすすまずに大刀を振り下ろしたのだから、これは当然、空間《くうかん》を切り裂いただけのことであった。  大治郎は、おのが眼《め》をうたぐった。  伊太郎も度肝をぬかれたらしい。  転瞬……。  振り下ろした大刀の柄から左手をはなしざまに小兵衛が、右手一つにつかんだ大刀を大きく後方へ引き、反動をつけておいて、矢庭《やにわ》にこれを金子伊太郎へ投げつけたものである。  国助の大刀は生きもの[#「生きもの」に傍点]のように伊太郎の胸板目がけて飛び疾《はし》った。 「あっ……」  おもいもかけぬ奇襲を、あわてた伊太郎が身をひねり、辛うじてかわした。  国助の刀が伊太郎の体すれすれに疾りぬけ、背後の榎《えのき》の老木へ突き刺さった。  それよりも早く秋山小兵衛が、差添《さしぞえ》の波平安国《なみのひらやすくに》の脇差を抜きはらって、地を低み飛ぶ燕《つばめ》のごとく走りかかり、 「鋭!!」  よろめいた体勢を立て直さんとする伊太郎の左の膝頭を切り割って飛びぬけた。 「うわ……うう……うおう、うおう……」  倒れ伏した伊太郎の絶叫が、そのまま、獣じみた泣き声に変ってゆく。  膝頭を完全に断ち切られたのでは、いかな伊太郎といえど、どうすることもできぬ。まだ生きていながら、彼は死人《しびと》も同然であった。 「さ、引っ捕えて藩邸へ連れ帰り、その化け物の首を打ち落すがよろしかろう」  と、小兵衛が、沼田藩士たちにいった。  夢からさめたように、藩士たちが伊太郎へ飛びかかった。  あたりに、血の匂《にお》いが生臭くたちこめている。  大治郎が榎の幹から引き抜き、ぬぐい[#「ぬぐい」に傍点]をかけて差し出した大刀を鞘《さや》におさめ、秋山小兵衛が、 「さ、行こうか……」  といって、竹藪の方へ歩み出した。  大治郎・弥七・傘徳《かさとく》が後につづく。  沼田藩士たちは小兵衛に礼をのべる余裕もうしない、昂奮《こうふん》の極に達し、折り重なるようにして金子伊太郎を縛りあげつつ、罵《ののし》り喚《わめ》き、撲《なぐ》ったり、蹴《け》ったりしはじめた。  茶店の老夫婦は外へも出て来ない。あまりの恐怖に家の中で竦《すく》みあがっているのだろう。  朝の光が、田の面《も》にひろがりはじめた。  その光の中へ歩み出しながら、秋山大治郎が、 「父上のお手際《てぎわ》、おそれ入りました」  声をかけると、小兵衛は笑いもせず、 「ああした化け物は、先《ま》ず、息の根を止めてしまうことが第一だ。こちらが殺《や》られてしまっては、あいつを始末する者がいなくなる。そうなったら、これから何人もの女が、ひどい目に合うことになるからのう。わしはな、こういうときには手段《てだて》をえらばぬのさ」  と、こたえ、 「それにしても竜野庄蔵《たつのしょうぞう》……」  いいさして、絶句した。  歩みをとめぬ小兵衛の老眼に、見る見る熱いものがふきこぼれてきた。     西村屋お小夜《さよ》      一  陰暦二月(現代の三月)中旬《なかごろ》に降った雪が晴れてから、ここ数日の間は、急ぎ足で道を歩いているときなど、 「単衣《ひとえ》が欲しくなる……」  ほどの陽気がつづいていた。  その日の昼下りに……。  佐々木|三冬《みふゆ》は、実父であり、幕府老中でもある田沼主殿頭意次《たぬまとのものかみおきつぐ》の屋敷から、三日ぶりに根岸《ねぎし》の寮(別荘)へ帰ろうとしていた。  例によって三冬は、若衆髷《わかしゅわげ》に御納戸色《おなんどいろ》の小袖《こそで》、茶の袴《はかま》。四ツ目|結《ゆい》の一つ紋をつけた黒縮緬《くろちりめん》の羽織。細身の大小という美しい男装である。  この日。三冬は、日暮里《にっぽり》の妙六寺《みょうろくじ》に墓守《はかもり》として住みこんでいる留造《とめぞう》という老爺《ろうや》を訪ねた。留造は、三冬の剣術の恩師・井関忠八郎《いぜきただはちろう》の道場で長年にわたり下男奉公をしており、かの〔井関道場四天王〕事件があった後、道場が閉鎖された為《ため》、伝《つて》をもとめて妙六寺へ身柄《みがら》を引きとられた。  なにぶん、日暮里と根岸は近い。  そこで留造は、暇ができると三冬の寮へあらわれ、老僕《ろうぼく》・嘉助《かすけ》と世間ばなしをするのが、何よりのたのしみらしい。三冬もまた、こころにつけて、留造へ小遣をあたえたりする。  その留造が、この正月に引いた風邪をこじらせ寝込んでしまったと聞き、 (このように、陽気が暖こうなったけれど、留造の病気は、どのようなぐあい[#「ぐあい」に傍点]かしら……?)  神田橋《かんだばし》御門内の父の屋敷を出たとき、ふと、そうおもい、湯島天神下の菓子舗〔東屋庄兵衛《あずまやしょうべえ》〕方の〔南京落雁《なんきんらくがん》〕を買いもとめ、上野山内から天王寺へぬけ、妙六寺の留造を見舞った。  もしも、この日。佐々木三冬が留造見舞いの事をおもいつかなかったら、むろん、三冬の身に異変は起らなかったろう。  留造は、もう床をはらってい、泪《なみだ》で老顔をくしゃくしゃ[#「くしゃくしゃ」に傍点]にしながら、菓子折と見舞いの金を押しいただいた。 「先《ま》ず、よかった。むり[#「むり」に傍点]をいたすなよ」  三冬は、きげんよく帰途についた。  留造が、 「お嬢さま」  と、よんでくれたことが、妙に、うれしい。  お嬢さまといわれた瞬間に、三冬の脳裡《のうり》を秋山|大治郎《だいじろう》の面影《おもかげ》が掠《かす》めてゆき、稽古《けいこ》中の大治郎の体からただよう香《こうば》しい汗の匂《にお》いまで思い起された。  何故《なぜ》か、わからぬ。  だが、明日は、田沼邸の稽古の休み日ゆえ、浅草の道場にいるはずの大治郎を訪ね、 (久方ぶりにて、たっぷりと稽古をつけていただこう)  三冬が、そう思っていたことは事実だ。  以前は「お嬢さま」などとよばれても、 (なんじゃ、女なぞ……)  と、むしろ不快になった三冬であったし、また、どの人びとも「三冬どの」とか「三冬さま」と、よぶ。女ながら亡《な》き井関忠八郎|直伝《じきでん》の一刀流の名手で、少女のころから男装を解いたことのない三冬なのである。  三冬は、石神井川《しゃくじいがわ》用水のながれに沿った道を東へすすみ、金杉村新田《かなすぎむらしんでん》のあたりから左手の畑道へ切れこんだ。  東から北へかけて、いちめんの田畑がひろがり、西側は東叡山《とうえいざん》の木立。そのころの根岸の里の景観は田園そのものであった。  何《なに》とはなしに、土の香《かお》りが一入《ひとしお》濃くなったような気がする。木立の枝々も、うっすらと細かにけむって見え、 (春が、そこまで来ている……)  佐々木三冬は、時雨岡《しぐれのおか》の不動堂の近くまで来て立ちどまり、澄みきった午後の大気を胸いっぱいに吸いこんだ。  右も左も、こんもりとした木立で、行手《ゆくて》がひらけてい、川のせせらぎが聞えた。これは石神井川用水が曲りくねって、ふたたび、三冬の前へあらわれることになる。小川をわたれば、三冬の寮の裏手へ出る。 (おや……?)  ふたたび、歩み出しかけた佐々木三冬が、おもわず聞耳《ききみみ》を立てた。  左側の木立の奥から、ただならぬ、人の呻《うめ》き声を聴いたようにおもったからだ。 (だれか、怪我《けが》でもしているのか?……それとも、急病に打ち倒れた人でもいるのか?……もし、そうだとしたら、捨ててはおけぬ)  しずかに木立の中へ、三冬が踏み入った。  まだ事態が、はっきりとわからぬ。  三冬の左手は大刀の鍔元《つばもと》へ、軽くかかっている。  呻き声が、しだいに、はっきりと聞えてきた。  木立の中に、何やら、うごくものを三冬は見た。  目を凝らした佐々木三冬が、わなわな[#「わなわな」に傍点]とふるえ出した。  木立の中の、去年の落葉が積ったままの、その上で、生きもの[#「生きもの」に傍点]が二つ、激しくうごいている。  生きものは人である。男と女である。  ここ数日の異常な暖かさのためもあってか、二人とも思う存分に着衣を乱し、浅ぐろくて骨張った二本の足と、白くふっくりとした二つの腿《もも》とが、三冬から見ると、何ともいえぬかたちに搦《から》み合っているのだ。  むろん、佐々木三冬とて、彼らが何をおこなっているかは充分にわかる。  だが、わが眼《め》にそれ[#「それ」に傍点]をたしかめたのは、はじめてのことであった。 (こ、このようなことを、このようにして……)  汚《けが》らわしいとおもい、身を返して木立から出てしまおうとしたが、何故か知らず、そのまま三冬は木陰に屈《かが》みこんでしまったのである。  男が、仰向けになった女の上へおおいかぶさっているらしい。露出した男の下半身が二間の向うに見え、女の白い脚が宙を蹴《け》っているかのように、三冬にはおもわれた。 (こ、このようなまね[#「まね」に傍点]を、夫婦《めおと》になれば、いたすのであろうか……あ、汚らわしい)  汚らわしいのなら、早く去ってしまえばよいものを、三冬は、 (もしも、秋山大治郎どのも、どこぞの女《ひと》と夫婦になれば、このようなまねをなさるのであろうか……そうだとしたら、大治郎どのも汚らわしい)  烈《はげ》しい動悸《どうき》が左の乳房の下の肌《はだ》を破って、外へ飛び出して来そうにおもえる。  三冬は全身にあぶら[#「あぶら」に傍点]汗をかき、必死に呼吸をととのえようとして、ととのえきれぬ。  女が、あられもない声を発し、しきりに甘えて何か男へよびかけつつ、 (気が狂ったのでは……?)  と、おもわれるほどに身悶《みもだ》えをしている。  はだけきった女の胸から乳房がこぼれて見えた。  男も夢中で、何かいいかけているのだが、三冬の耳へは言葉としてつたわって来ない。  三冬もまた、無我夢中になっていたのである。  それは三冬にとって、おそろしく長い時間のようにおもわれたが、実際は、ごく短い間だったといってよい。  女の体からはなれた男の横顔が、はじめて三冬に見えた。  見て、おもわず、 「あっ……」  三冬は、低く叫んでしまった。  男の顔には見おぼえがあったからだ。  三冬の声を聞いた男が、あわてて顔をそ向け、まだ仰向けに寝たままだった女がはね[#「はね」に傍点]起き、三冬を睨《にら》みつけた。 「あ……」 「あっ……」  女と三冬が同時に、動転の声をあげた。  あわてふためき木立を走り出た三冬は、一散に寮へ向って駆けた。いや、逃げたといったほうが適切だったろう。  三冬は女の顔にも見おぼえがあった。  そして、女も男も、三冬を知っているはずだ。      二 (だからというて、どうということはない。たまたま行き合せて、あのようなことに……)  その夜、寮の寝間の床へ入ってからも、佐々木|三冬《みふゆ》は、なかなかにねむれなかった。  あのときの自分をも(汚《けが》らわしい……)と悔む。悔みつつ、あのときの男と女の、おどろくべき姿態が脳裡《のうり》からはなれてくれぬ。 (大治郎どのも、妻となる女《ひと》に、あのようなまね[#「まね」に傍点]をなさるのか……?)  またしても、このことである。 (それにしても、はしたないことを……)  つぎには、あのような場面を、つくづくと見ていた自分に呆《あき》れる三冬なのだ。  あの男は、三冬の寮と竹藪《たけやぶ》ひとつをへだてた東側の寮に住み暮している。  その寮は、日本橋通り本町三丁目の薬種問屋〔松屋|伊兵衛《いへえ》〕のものだ。松屋の痰解散《たんげさん》という痰咳《たんせき》の妙薬は江戸でも名高い。  男は、松屋伊兵衛の長男で利太郎《りたろう》といい、二十四歳になる。  利太郎は、去年の秋ごろから体をこわし、根岸の寮へ移って静養をしていた。  利太郎が来るまでは、松屋の寮に、だれも住んでいなかった。 「実は、かようなわけで……」  と、松屋の老番頭が利太郎と共に、三冬の寮へあらわれたのは、去年の師走《しわす》に入ってからであった。物堅い商家だけに、近辺の家へ挨拶《あいさつ》に出たのだ。そのころになって利太郎は、いくらか元気を取りもどしたらしい。  折しも三冬は寮にいたので、利太郎に会った。  妙に、なよなよ[#「なよなよ」に傍点]とした商家の若旦那《わかだんな》など、佐々木三冬にとってはいささかの関心もない。 「さようか。こなたこそよろしゅう……」  といい、あとの応対は老僕・嘉助《かすけ》にまかせ、三冬はさっさ[#「さっさ」に傍点]と自分の居間へ引きあげてしまったものだが、そのとき、颯爽《さっそう》として美しい若衆姿の三冬を、利太郎は唖然《あぜん》として見送ったものだ。  今年に入ってから二度ほど、三冬は利太郎を見かけている。根岸の畑道を、下男か中年の女中につきそわれて散歩している姿を、である。 (大分に、体もよくなったと見ゆる)  三冬は、そうおもっていた。  おそらく、松屋の寮にいるものは利太郎をはじめ、下男も女中も、たぶん、三冬を女とはおもっていまい。  それだけに、尚更《なおさら》、はずかしい。  見ていた自分が、見られた利太郎に、 (見られた……)  ことを、三冬は恥じている。 「もし……もし、三冬さま……」  寝間の襖《ふすま》の向うで、老僕・嘉助の声がした。 「爺《じい》やか、何じゃ?」 「あの、もし、お体のぐあい[#「ぐあい」に傍点]でも悪いのではございませんか?」 「どうして?」  切りつけるように三冬が反問する。 「何やら、あの、おやすみになれませぬようで……」 「それがどうした?」 「いえ、その……」 「かまうな!!」 「は、はい」 「早《はよ》う、やすむがよい」 「はい。それでは……」 「うむ、うむ……」  嘉助が去った。  三冬は、ねむろうと焦《あせ》って両眼を閉じ、寝返りを打った。 (寝不足の顔を、明日、大治郎どのに見られては……)  切に、そうおもう。  以前の佐々木三冬には、こうした神経のはたらき[#「はたらき」に傍点]が、まったく無かったといってよい。そのことに、三冬自身が気づいていない。だが、 (それにしても……)  と、このときはじめて、三冬は利太郎と抱き合っていた女のことをおもい出した。  昂奮《こうふん》がさめやらぬまま、女の顔をおぼえていたことは別にして、何故《なぜ》、あの女が松屋利太郎と、 (あのようなまね[#「まね」に傍点]をしていたか……)  に、おもい至らなかったのである。  どうも、二人の男女の取り合せが奇妙に感じられてならぬ。  女は、下谷池《したやいけ》の端仲町《はたなかちょう》の書物問屋〔西村屋佐助〕の次女で、名をお小夜《さよ》といったはずだ。  佐々木三冬の実母・おひろの実家は、これも下谷の五条天神前にある書物問屋〔和泉屋《いずみや》〕で、当主の吉右衛門《きちえもん》は、三冬の伯父にあたる。三冬の母は田沼|意次《おきつぐ》邸へ侍女奉公に出ているうち、意次の手がつき、三冬を生んだのであった。  三年ほど前に、神田橋《かんだばし》門内の父の屋敷を出て、和泉屋所有の根岸《ねぎし》の寮へ移るとき、二た月ほど、三冬は和泉屋で暮したことがある。  三冬が、はじめてお小夜を見たのは、そのときであった。  同業者でもあり、割合に親密な間柄《あいだがら》の西村屋佐助がお小夜をつれ、浅草寺参詣《せんそうじさんけい》の帰途、和泉屋吉右衛門方へ立ち寄ったことは、すこしもふしぎでない。  折しも伯父の居間にいた三冬は、西村屋にお小夜を引き合わされたが、すぐに、自分の部屋へ去った。  女武芸者の三冬を見た西村屋は驚嘆の眼《まなこ》をみはっていた。  そのとき、たしか、お小夜は十七歳だと聞いている。  両手をついて三冬へ挨拶したお小夜へ、あまり関心もなく、 「佐々木三冬です」  と名乗ったが、たしかに、顔は見とどけた。  肉のうすい、痩《や》せこけた少女であり、 (どこか、体でも悪いのではないか……?)  三冬は、そうおもった。  それが、ちょうど一年前の春に、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の秋山|小兵衛《こへえ》隠宅を訪問しての帰るさ、浅草|広小路《ひろこうじ》の人込みの中で、三冬は西村屋の主人《あるじ》に声をかけられた。このときも西村屋はお小夜をつれてい、浅草寺へ参詣に行った帰り途《みち》だといった。 (ほう。すっかり、丈夫そうになったな、西村屋のむすめごは……)  と、三冬はお小夜を見て、そうおもった。  西村屋の傍《そば》にいなかったら気がつかぬほどに、お小夜は面変《おもがわ》りをしていた。白粉《おしろい》ものらぬような、乾き切って青ぐろかった肌《はだ》だったのに、いまは血色がみなぎっている。三冬に挨拶をしたときの声も二年前とはちがって、明るくはずんでいた。 「お小夜も、今年は嫁にまいりますので……」  と、西村屋佐助がいった。  むろん、そうしたことに三冬は関心をもたぬ。 「ごめん」  ひと通りの挨拶が終ったところで、さっさと西村屋|父娘《おやこ》に別れた。  根岸の竹藪で、松屋の若旦那・利太郎に抱かれていたお小夜の顔は、そのときのままであった。  ところで……。  去年の初夏になって、三冬は和泉屋へ立ち寄ったとき、伯父の吉右衛門から、おもいがけぬことを聞いたのである。 「三日前の晩に、西村屋さんに盗賊どもが押し入って、西村屋さん御夫婦と、若夫婦が殺されてしまいましたよ。そればかりではない。ほれ、三冬さまも御存知の、下のむすめのお小夜さん。あの娘《こ》が盗賊どもに攫《さら》われてしまったそうな。おどろいたの何の……まったく、物騒な……奉公人も五人とか六人、殺されていたそうですよ。盗み奪われた金高のことはよくわからぬけれども、池の端のあたりでは大変な騒ぎだったといいます」 「それは、それは……」  気の毒なことだともおもい、惨酷《ざんこく》な盗賊どもの所業に怒りをおぼえたが、三冬にとって、それ以上の関心は湧《わ》いてこない。伯父は、奉行所の調べがすんだのちの西村屋の後始末に尽力をしたらしい。しかし、西村屋は夏がすぎるころには店を閉ざしてしまったと聞いている。      三  だから、いささか、 (おかしい……)  ではないか。  凶悪な盗賊どもに誘拐《ゆうかい》されたまま、この一年の間、消息を絶っていた西村屋のお小夜《さよ》が、今日、忽然《こつぜん》と根岸の竹藪《たけやぶ》にあらわれ、病みあがりの松屋利太郎と、三冬《みふゆ》にいわせれば、 「猥《みだ》らがましいふるまい[#「ふるまい」に傍点]を……」  していたというのは、いったい、どういうことなのであろう。 (そうじゃ……)  と、このとき、三冬は、去年、浅草広小路で西村屋|父娘《おやこ》に出合ったとき、お小夜が近いうちに嫁入りをすると西村屋がいっていた言葉をおもい出した。 (すると、その相手というのは、松屋の利太郎どのだったのか……?)  そのことは、和泉屋《いずみや》の伯父に尋《き》けばわかるのにちがいないが、もし、そうだとすると、お小夜と利太郎は人目を忍んで出合っていたことになる。 (お小夜は、盗賊どもの手から逃《のが》れて来たのであろうか……?)  先《ま》ず、そのように看《み》るべきであろう。それでなくては利太郎と会えるはずがない。 (これは、いったい、どのようになっているのであろう……?)  今度は、先程の昂奮《こうふん》とは別な興感にとらえられてしまい、 (ああ、もう……これでは、いつになっても、ねむれるものではない)  夜に入っても汗ばむほどに暖かく、三冬の五体はじっとりと汗ばんで、寝苦しくてたまらぬ。いつしか口中も乾き切っている。  三冬は、そっと寝床から起きあがった。  廊下へ出る。  老僕《ろうぼく》・嘉助《かすけ》は台所のとなりの小部屋にねむっている。 (嘉助を起さぬように……)  と、そこは武芸の心得がある佐々木三冬だけに、音もなく台所へ出て行き、水瓶《みずがめ》の柄杓《ひしゃく》へ手をのばした。  このとき三冬は、手燭《てしょく》の灯《あか》りを持っていない。  眼《め》は闇《やみ》になれていたし、剣術に鍛えぬかれた三冬の視力は常人のおよぶところでなかった。それに住みなれた家の内部は、知りつくしている。  柄杓へ水を汲《く》み、これを一口ふくんだとき、三冬は、眼前の戸口の外に、異常の気配を感じた。  強《し》いていうなら、それは殺気というべきものである。  三冬は、戸口の傍へ、そっ[#「そっ」に傍点]と屈《かが》みこんだ。  戸口の斜め向うに格子窓《こうしまど》がある。  そのあたりで微《かす》かな音がしたので、見あげていると、今度は窓の障子が外側から音もなく開いた。これは格子を断ち切らなくては不可能のことであったが、そのような物音はきこえなかった。  たちまちに窓の外から、黒い人間の首があらわれ、つづいて肩が胴が……そして覆面の小男が、するすると台所へ下り立った。  すでに、三冬は台所から出ている。  湯殿の前の小廊下に屈んで、様子を見ていた。  右手に柄杓一本を持ったのみだが、さすがに三冬は、いささかもうろたえぬ。 (何者か、見きわめてくれよう)  であった。  小男が、台所の戸を内側からひらいた。  すると、大小を横たえた覆面の男が二人、外から潜入して来た。  間髪を入れず、三冬は台所へ躍り出し、先ず、小男のひ腹[#「ひ腹」に傍点]へ当身《あてみ》をくれておき、 「何者だ!!」  するどく誰何《すいか》した。  気絶をした小男が倒れる音と、後から入って来た浪人ふうの曲者《くせもの》二人が何か叫んだのとが同時であった。  何とおもったか三冬が、すい[#「すい」に傍点]と曲者の前へ柄杓を突き出した。  それを刃《やいば》と感じたのかして、 「うわ……」  曲者が、大刀を引き抜き、打ちはらった。  柄杓の首が切れて飛んだ。  三冬は手に持った柄杓の柄《え》をそのまま、まことに自然な動作で、曲者の顔へ突き込んだ。 「ぎゃあっ……」  凄《すさ》まじい悲鳴をあげ、その曲者が戸や柱へ打ち当りつつ、狂人のごとく戸外へ転《まろ》び出て行った。  柄杓の柄で眼の玉を突き刺されたのである。 「ぬ!!」  残る一人は刀の柄《つか》へ手をかけたらしいが、急に恐ろしくなったらしい。こやつも外へ逃げた。  戸口へ出た三冬は、二人が庭を突切り、垣根《かきね》を越え、道の向うの竹藪の中へ逃げ込んで行くのを星あかりに見た。 「三冬さま……三冬さま、何事でございますか……」  嘉助が、手燭の灯りを持ち、不安の声を発しつつ、台所へあらわれた。 「爺《じい》や。案ずるな。早く、何か縄《なわ》のようなものを持っておいで」 「あっ……こ、これは?」 「曲者じゃ」 「物盗《ものと》りで……」 「私か、お前のいのち[#「いのち」に傍点]を奪《と》りに来たらしい」 「げえっ……」  小男を縛りあげ、これを嘉助の部屋へ移してから、三冬は屋内にくまなく灯りをともし、身仕度をととのえた。  窓の格子が三本ほど、鋭利な刃物で切り取られている。その刃物は、小男の腰に在った。革袋の鞘《さや》がはめられてい、形状は鎌《かま》を小さくしたようなもので、これまでに三冬も嘉助も見たことがない刃物だ。  覆面をはぎ取られた小男の顔は四十を二つ三つはこえていよう。 「こいつめ、和泉屋さんの赤猫《あかねこ》のような顔をしている」  と、嘉助がいった。  三冬は、笑った。そういわれて見ると、なるほど、伯父の家に飼われている赤毛の老猫《ろうびょう》に似ていた。 「これ、赤猫よ。おのれは何者だ。なんのために、この家《や》へ入った。たれにたのまれたか?」  赤猫はこたえない。  死んでも白状はせぬという面構《つらがま》えになっている。 「いわぬなら、いわぬでもよい。いつまでも、そうしておれ」  赤猫をそのままにして、三冬は嘉助を自室へ入れ、 「朝になったら、坂本から町駕籠《まちかご》をよんで来ておくれ」 「ど、どうなさいますので?」 「彼奴《きゃつ》めを大治郎どのの道場へ連れて行く。お前も、いっしょにおいで」 「ははあ……」 「お前は、すこし、ねむっておくがよい。私が起きていよう」  さすがに三冬も、このまま、ねむってしまうほど豪胆ではない。  夜が明けて、人が出はじめてから、嘉助は坂本二丁目の〔駕籠|辰《たつ》〕へ行き、駕籠をよんで来た。  手足を縛った赤猫を駕籠へ入れ、三冬と嘉助は根岸の寮を出た。 〔駕籠辰〕では、佐々木三冬と田沼家の関係をうすうすは知っている。  それは、この駕籠屋が、五条天神門前の和泉屋へ以前から出入りをしているからだ。  町駕籠で、妙な男[#「妙な男」に傍点]を運んで来た三冬を迎え、大治郎はおどろいた。 「どうなされた?」 「お知恵を拝借に……」 「私でよろしいのですか?」 「秋山小兵衛先生は御風邪を召していると、うかがいました」 「さよう。それで、私で間に合せようと申される?」 「ま、お口のわるい。それよりも先ず、朝餉《あさげ》を馳走《ちそう》していただけませぬか。私も爺やも、まだ……」 「汁《しる》と飯のみですが、よろしいか?」 「はい。我慢をいたします」  今日も、よい日和《ひより》らしい。  飯田粂太郎《いいだくめたろう》少年が〔赤猫〕を軽がると両手に抱え、道場へ運ぶと、柱へくくりつけてしまった。 「まあ、粂太郎がちから持ち[#「ちから持ち」に傍点]になったこと……」  呆《あき》れたように、三冬がいう。大治郎の道場へ住みこむようになってからの粂太郎は、めきめきと体が大きく、たくましくなった。大治郎がつける稽古《けいこ》も、このごろは相当に強《きつ》くなっているらしい。粂太郎の腕や足に生傷の痕《あと》が数え切れぬほどなのを、三冬は見とどけた。  食事がすむと、三冬は大治郎を前庭へさそい出し、 「実は、昨日……」  と、語りはじめた。 「寮の近くの木立の中で、松屋の息子と、西村屋のむすめが、あの……あの……」 「あの?」 「はい。あの、会《お》うていて……」 「ははあ。会うていた……」 「はい。それを、私が通り合せて、見かけたのです」 「二人とも、三冬どのと顔見知りだという……」 「はい。それは、いま申しあげたような……」 「ふむ。それで、昨夜、乱入して来た曲者と、その二人の男女とが、何やら関《かか》わり合いがあると申される?」 「はき[#「はき」に傍点]とは知れませぬ。なれど、私が捕えた赤猫めは、まさに盗賊。それも手足《てだ》りの者と見うけました」 「ふむ。忍び入った手口が、ですな」 「さよう」 「なるほど。その西村屋のむすめというのは、凶盗どもに引き攫《さら》われたという……」 「なれば、そこのところが……」 「ふうむ。気になる……」 「はい」 「二人が、ひそかに会うているのを三冬どのに見られたので、その夜のうちに、いのちを奪おうとした……そういわれる?」 「いかにも」 「どうも、わからぬ」 「私にも、よくはわからぬのです、大治郎どの」 「あの男を此処《ここ》へ運んだことを、一味の者が見とどけているやも知れませんな」 「むしろ、それをのぞみました」 「私の道場へ、今度は曲者どもをおびき寄せようと申される?」 「いけませぬ?」 「いや、かまわぬが」  大治郎は、この朝の佐々木三冬が、これまでの三冬と別人のように感じた。そもそも、声がちがう。言葉づかいに変りはないが、声が甘やかにひびく。何やら、自分に甘えて物をいっているような気がしてならぬ。  われ知らず、秋山大治郎の胸がさわいで来た。  三冬は、ひた[#「ひた」に傍点]と大治郎を見入っている。  くろぐろとした双眸《そうぼう》が、これまでに見たこともない妖《あや》しいかがやきを帯びている。  大治郎は眼を逸《そ》らし、 「さて……あの赤猫を、どうしたらよいか……」  と、つぶやいた。      四  大治郎と三冬《みふゆ》は相談した結果、秋山小兵衛の手を煩《わずら》わさぬことにきめた。  小兵衛は風邪をひいたというが、事実は、またしても、 「食べすぎた……」  らしいのである。  この前のこともあり、いい年寄りが、 「見っともないから、風邪にしておけ」  と、小兵衛がおはる[#「おはる」に傍点]に命じたというのだ。 「まったく、このごろの父は、どうかしています。何か、子供に返ってしまうような……」 「やはり、お年なのでしょうか……」 「いずれにせよ、今度は父の知恵を借りずに、三冬どのといっしょに始末をつけましょう。いかが?」 「はい。大治郎どのといっしょに……」  と、三冬はうれしげにこたえた。 「いささか、父の真似《まね》のようですが、ここは、弥七《やしち》どのに手つだってもらわねばなりますまい」  こういって大治郎は、四谷《よつや》の御用聞き・弥七のもとへ、飯田粂太郎《いいだくめたろう》少年を使いに出した。 「三冬どの。私は、あの赤猫めを見張っています。あなたは伯父ごの和泉屋吉右衛門《いずみやきちえもん》方へ行き、西村屋の内情を、知れるかぎり尋ねていただこう」 「はい。それで、嘉助《かすけ》は?」 「和泉屋方へ、当分はお預けになったらいかが。ひとりで根岸《ねぎし》へ帰してはあぶない、ということもある」 「そういたします」  三冬は嘉助をつれて、すぐに下谷《したや》へ向った。 (今夜、私は、大治郎どのの道場へ泊ることになるやも知れぬ……)  そうおもうと、歩むうちにも何やら知れず気が昂《たかぶ》り、顔へ血がのぼってくる。三冬の眼《め》も充血していた。嘉助が、おろおろしながら、三冬の後について来る。  大治郎は、三冬たちを送り出してから、道場へもどった。  赤猫は柱に括《くく》りつけられたまま、いやに物しずかな様子で、瞑目《めいもく》しているのだ。 「おい。これ……何か、食べるか?」  赤猫が、かぶり[#「かぶり」に傍点]を振って見せた。 「腹が空《す》いているのではないか?」 「三日や四日、食わねえでも平気ですよ」  はじめて、赤猫が口をきいた。落ちつきはらった低い声である。 「名は何という?」  こたえず、赤猫は細目を開け、大治郎を見て微《かす》かに笑った。あきらかに冷笑である。その笑いに対し、秋山大治郎もにっこり[#「にっこり」に傍点]と笑いかけた。このほうはまったく邪気のない微笑だ。すると赤猫は、わずかにうろたえ、ふたたび瞑目してしまった。 「どうして、あのようなことをしたのだ?」 「人にたのまれたことでございますよ」 「金で、か?」 「さようで」  ここまでは素直にこたえたが、 「だれにたのまれた?」  という大治郎の問いには、かぶり[#「かぶり」に傍点]を振るばかりで口をひらこうともせぬ。  大治郎は苦笑をした。われながら尋問がまずいとおもわざるを得ない。 (父上なら、どうなさるか……?)  いったん、赤猫を釈放してやり、これを尾行することも一つの方法だし、あくまでも責めつけて白状させるか、または、赤猫を救い出しにやって来る者たちを待つか……。  大治郎は、あまり興味がわかぬ。弥七が来てくれたら、その意見に従うつもりだ。むしろ、弥七の手へ赤猫を引きわたし、お上《かみ》の手へ万事をまかせてしまうほうがよいと、考えている。  いったん、自分の部屋に入ったが、ふと、おもいついて道場へもどり、大治郎が赤猫にこういった。 「これ、昨夜、お前たちが殺害しようとしたお方は、御老中・田沼|主殿頭《とのものかみ》様のむすめごで、佐々木三冬というお方だ。それを承知でしたことか?」  俄然《がぜん》、赤猫の顔色が変った。 「私は嘘《うそ》をいわぬ。三冬どのがもどられたら、尋《き》いて見るがよい」  いい捨てておいて、さっさと部屋へ引きあげた。 (かなり、利《き》いたようだ)  その反応が、どう出るかである。  飯田粂太郎より先に、佐々木三冬がもどって来た。  大治郎は、三冬と、赤猫の前へ行くより先に、三冬の報告を聞くことにした。  和泉屋吉右衛門は、三冬から昨夜の異変をきいて、ひどくおどろいたらしい。 「いや、その、西村屋さんとは、同業でもあるし、店も近しというわけで、寄合《よりあい》の席でも親しくし、行き来もしていましたが、向うさまの内情までは、よく知りませぬよ。私が看《み》たところでは、お内儀のおまつ[#「おまつ」に傍点]さんも、上の娘のおきね[#「おきね」に傍点]さんも別にどうということはない。おだやかな人たちばかりだし……二年前に、おきねさんの婿《むこ》になった房次郎さんというのも、上方《かみがた》から来たそうだが、愛想《あいそ》のよい、それにまた、若いにしては、この商売の道をよくわきまえていなさるようにおもえましたよ。  さよう、ただ、つぎのむすめ……昨日、三冬さまが見たというお小夜《さよ》さん。あのむすめも、はじめはどうも、体が弱そうだし、無口だし、それを西村屋さんも苦にしていなすったようだが、お前さまも知ってのとおり、去年の、あの事件《こと》がある前ごろには、すっかり元気になり、何やら縁談もととのいかけたとききましたが……」  と、吉右衛門は語った。 「どこへ嫁入ることになっていたのでしょう?」  と、三冬。 「さ、そこが、どうも西村屋さんは、私と親しくなっても、身内のことを、あまり、くわしくはなしたがらない。私は御存知のように、なんでもはなしてしまうほうなのだけれど……それで、こっちが、もう一枚、皮をぬいで、肚《はら》を打ち割ろうとおもうときに、西村屋さんはひょい[#「ひょい」に傍点]とかわしておしまいなさる。何かにつけて、どうも、そういうところがありましたよ、三冬さま」  と、和泉屋吉右衛門は、わが妹の生んだ三冬ながら、老中・田沼|意次《おきつぐ》の子でもある佐々木三冬に対して、ことばづかいが丁寧になるのは、いたし方もないことだ。 「伯父さまは、私が田沼の子だということを、西村屋へは……」 「いや、そこまでは、まさかに……私の縁類のむすめ[#「むすめ」に傍点]とだけ……剣術に取り憑《つ》かれた、ふしぎなむすめとのみ……」 「まあ……」  また、吉右衛門は、つぎのようなことも知らせてくれた。 「西村屋さんが池《いけ》の端仲町《はたなかちょう》へ店を出しなすったのは十七、八年ほど前のことで……そういえば、西村屋さんは大坂から江戸へ出て来たのだと、いつか、耳にはさんだことがあります。ですから上方には、いまもだれやら縁者がいるのでしょうね。それで、上方から養子をもらったりするというわけなのか……」  西村屋は、相当の資本をもっていたので、高価な書物やオランダわたりの蘭書《らんしょ》などもどしどし[#「どしどし」に傍点]仕入れ、たちまちに商売の手をひろげたので、同業者の妬《ねた》みも、かなりあったという。  西村屋夫婦と、若夫婦が殺害され、お小夜も誘拐《ゆうかい》されたあと、和泉屋は奉行所にたのまれ、財産の整理にあたったが、金蔵《かねぐら》の中の金品が残らず、盗み奪《と》られていたばかりでなく、文庫の中の書類や手紙などにも念入りに手をつけた痕《あと》が見えた。  結局は、店の中の書物のみの整理に終ってしまい、これは奉行所が引き取った。 「それというのも、江戸には西村屋さんの身内はだれ一人いない。生き残った奉公人は女中や小僧ばかりで、番頭・手代などは皆殺しにあってしまったのですから、奉行所でも、手がつけられぬというておりましたよ。ええ、もう、上方の何処《どこ》に親類がいるのやら、それもわからぬということで……まあ、いまにしておもえば、あの西村屋さん、ふしぎなお人だということになる。ほんとうに、ねえ、三冬さま……」  和泉屋吉右衛門は居ても立ってもいられなくなったらしい。 「これはもう、一時も早く御奉行所なり、田沼様なりへ御届けなさるがよい。御奉行所では、きっと、私などにはいえぬ事柄《ことがら》まで、お調べなすったということもありましょうから……」  と、三冬へすすめた。 「はい。伯父さまのおっしゃるとおりにいたしましょう」  三冬は、さからわずに、嘉助を預けて引き返して来た。 「なるほど……」  大治郎も和泉屋吉右衛門の言葉を聞かされて、先刻よりは、この事件に興味を抱いたらしい。  いつの間にか、夕闇《ゆうやみ》がたちこめてきている。  今日いちにちが、まことに早かった。 「間もなく、弥七どのも見えようし、万事はそれから……」  いいさした大治郎の両眼が、急に、するどく光った。 「大治郎どの……」 「しずかに……」 「え……?」 「だれか、道場の外へ忍び寄って来たようです」  声ともいえぬ、大治郎の低い低いささやきであった。  三冬が、大刀を引き寄せ、片膝《かたひざ》を立てた。      五  大治郎と三冬《みふゆ》がいる六畳の部屋のとなりの三畳が粂太郎《くめたろう》少年の部屋で、部屋は二つきりだ。小廊下をへだてて、十五坪の道場がある。部屋の障子も道場の板戸も開け放しにしておいたから、大治郎が見ると、廊下をへだてて、彼方《かなた》の道場の柱に縛りつけられている赤猫《あかねこ》の横顔が見えた。もっとも、彼がどのような表情をうかべているかは、夕闇《ゆうやみ》にまぎれて定かでなかった。  そろり[#「そろり」に傍点]と大治郎が、大刀をつかんだ。  その瞬間であった。  前庭に面した道場の出入口の板戸が音をたてて引き開けられた。  間髪を入れずに、秋山大治郎が道場へ駆け込んだ。  同時に、戸外から射込まれた一条の矢が、赤猫の体のどこかへ突き立った。  赤猫が悲鳴を発した、その前面へ立ちふさがった大治郎が大刀を抜き放ち、つづく二の矢を切りはらった。 「うぬ!!」  自分が楯《たて》となって、赤猫をかばいながら、大治郎は、 「三冬どの、赤猫を……」  叫びつつ、じりじりと戸口へすすむ。  引き開けられた一枚の板戸の幅は四尺である。  敵は、前庭の木立の陰から、矢を射かけているらしい。  別の一人が板戸を引き開け、すかさず木陰から赤猫を射た。夕暮れの暗さの中で、敵は第|一矢《いっし》を命中させたのである。よほどの手並《てなみ》と看《み》てよい。  やはり、敵は、今朝からの始終を見張っていたのだ。  ぴゅっ[#「ぴゅっ」に傍点]……と、三の矢が大治郎を襲った。  これを切りはらった大治郎は、一気に戸口から外へ飛び出し、右手に刀を構えつつ、左の後手《うしろで》に、板戸を閉めた。  四の矢は、大治郎の面上を目がけて射込まれた。  これは身をひねってかわしたので、矢は閉めたばかりの板戸へ突き立った。  木陰から弓矢を持って男が飛び出し、逃走にかかると、別の木陰から、もう一人の男があらわれ、共に逃げた。実に、逃足が速い。どうやら覆面をしているらしく、二人の顔かたちをたしかめることはできなかった。二つの黒い影が下の田圃《たんぼ》の道の方へ、たちまちに消えてしまった。  大治郎は追おうともせぬ。  飯田《いいだ》粂太郎が四谷《よつや》の弥七《やしち》と共に、道場へもどって来たのは、それから半刻《はんとき》(一時間)ほど後のことになる。  弥七は、それから一刻ほどを大治郎の道場ですごしてから、ひとりで帰って行った。  つづいて、飯田粂太郎が出て、浅草・今戸の本性寺《ほんしょうじ》へ行き、和尚《おしょう》へ大治郎の手紙をわたした。  本性寺には、大治郎の母であり、秋山小兵衛の亡《な》き妻でもあるお貞《てい》の墓があるし、嶋岡礼蔵《しまおかれいぞう》の墓もあった。つまり、この寺を小兵衛は菩提所《ぼだいしょ》と定めていたのだ。  しばらくして、粂太郎は、本性寺の和尚と寺僧ひとりを案内し、道場へもどって来た。  読経《どきょう》がはじまる。  通夜《つや》であった。  赤猫は、ついに死んだものと見える。  翌朝になって、座棺《ざかん》が担《かつ》がれて道場を出て行き、本性寺へ送りこまれた。  むろん、大治郎・三冬・粂太郎が、これにつきそって行った。  この間、秋山道場には、まったく人の気《け》がなかった。ろく[#「ろく」に傍点]に戸締りもしてなかったようである。  四谷の弥七が、道場へあらわれたのは、この日の夕暮れ近くになってからだ。 「若先生。奉行所の方へも、いろいろ当って見ましたが、西村屋一件のことは、どうもよく、わからぬらしいので……」  と、弥七はいった。  弥七の配下の密偵《みってい》・傘《かさ》屋の徳次郎が、いま、西村屋の生き残りの下女や小僧たちの身元を洗い、江戸にいる者に会って、当夜の様子を聞きこんでいるそうな。奉公人は六人が盗賊どもに殺され、七人が生き残った。そのうちの四人が在所へ帰っている。こうしたことは、すべて奉行所でわかっていた。  西村屋事件を担当した町奉行所の同心の一人で、井上精次郎というのが、弥七に、こういったそうである。 「いまでも、放《ほう》り捨ててあるわけじゃあねえ。折にふれては探りをかけてもいるのだが、皆目、見当がつかねえのだ。いや、実にもって、酷《むご》い盗人《ぬすっと》どもだ。おれも、あんなのは見たことがねえ。ときに弥七。お前の縄張《なわば》り内でもねえのに、なんで嗅《か》ぎまわっているのだ。何か、おい。うめえ手がかりでもあったのか?」  弥七は、 「それだったら、旦那《だんな》に申しあげますでございます。いえ、なに、西村屋の前を通りかかりましたら、もう店が替って、薬屋になっておりましたので、ひょい[#「ひょい」に傍点]と気にかかりましたから……」 「どうして、気にかかる?」 「西村屋の旦那とは、五条天神の和泉屋《いずみや》さんのところで、二、三度、お目にかかったことがございますんで」 「和泉屋……あの、御老中の、田沼様の御息女の……女武道《おんなぶどう》の何とやらいう?」 「はい、さようで」 「ふうん……」  井上も、田沼老中と和泉屋、和泉屋と西村屋の関係はすでにわきまえている。  ゆえに、うかつ[#「うかつ」に傍点]なことを尋《き》けないとおもったらしい。 「そうか。ふむ……お前は和泉屋どのと親しいのか」 「可愛《かわい》がって、いただいております」 「そうか、ふうん……」  弥七は、薬種問屋・松屋|伊兵衛《いへえ》の悴《せがれ》・利太郎《りたろう》のことも探り出してきてくれた。 「三冬さま。利太郎は、昨日のうちに根岸《ねぎし》の寮を引きはらい、本町の松屋へもどりましてございます。はい、寮のほうには、だれも残ってはおりませぬ」 「さようか……」 「そこで、松屋のほうへも、ほんのすこし、探りを入れて見たのでございますが……」 「ふむ、ふむ……?」 「利太郎は、もうすっかり、体のぐあい[#「ぐあい」に傍点]がよくなって、根岸にいるのは退屈で仕様がないといい出し、帰って来たのだそうで。昨夜、松屋では尾頭《おかしら》つきで内祝いをやったそうでございます」 「なるほど」 「あ、……肝心なことを忘れておりましたよ」 「どのような?」 「やはり、西村屋のお小夜《さよ》は、利太郎のところへ嫁入りをするはずだったのだそうでございます。それが、西村屋があんなにひどい[#「ひどい」に傍点]ことになり、当のお小夜が盗人どもに勾引《かどわか》されるというわけで……利太郎は、もう、がっかりしてしまい、一日中、考えこんでいたあげく、ぶらぶら病《やまい》で根岸へ引きこもったらしいので。はい。これは近所から聞き込んだのでございますがね」 「すると……」  と、大治郎が、 「その、お小夜が突然あらわれ、根岸の寮にいた利太郎と、戸外《そと》の木立の中で、つまり、その、忍び逢《お》うていたという……」  いいさして、三冬を見やると、たちまちに佐々木三冬のえりもとからくびすじのあたりへ、紅《あか》く紅く血がのぼってきて、三冬は、うつ向いてしまった。  大治郎と弥七は、これを見て、 「……?」  おもわず、顔を見合せた。  台所では飯田粂太郎が襷鉢巻《たすきはちまき》で、夕餉《ゆうげ》の仕度に大童《おおわらわ》であった。      六  それから三日後の、夜のことであったが……。  武州・豊島郡・船方村の、古い百姓家の中に、西村屋のむすめ・お小夜《さよ》の姿を見出《みいだ》すことができる。  そこは、現代の東京都北区堀船四丁目のあたりになるだろう。  ところで、この家は、船方村の百姓・喜左衛門《きざえもん》のもので、家族は喜左衛門夫婦に、独身者《ひとりもの》の悴《せがれ》・喜蔵《きぞう》の三人暮しだ。荒川|辺《べり》のこのあたりには、ほとんど百姓家がなく、寺院が点在しているのみで、喜左衛門たちも竹藪《たけやぶ》にかこまれた家を出て、かなり離れた南の耕地ではたらくのである。村の人びととは、ほとんど交際《つきあい》をせぬ喜左衛門へは、だれも訪れない。  なんでも喜左衛門夫婦は、二十年も前に、先代の夫婦養子として摂津《せっつ》の国(大阪府)から此処《ここ》へ来たのだそうな。  お小夜は、洗い髪を無造作に束ねてい、いま流行の、紺地に赤の三筋立《みすじだて》の唐桟縞《とうざんじま》の着物を着て、炉端《ろばた》にすわっているところなぞは、ちょっと得体の知れぬ女に見える。  年齢も二十《はたち》の女とはとてもおもえぬ。先日、松屋利太郎と密会のところを三冬《みふゆ》に見られたときのお小夜は、眉《まゆ》を剃《そ》りあげて鉄漿《かね》をつけ、どう見ても町女房《まちにょうぼう》の風体《ふうてい》であったが、もちろん、逆上していた佐々木三冬は、そこまで我が眼《め》にたしかめてはいなかった。  お小夜の前には、五十男の喜左衛門がい、女房は台所で何かやっているし、喜蔵は土間で籠《かご》を編んでいる。  百姓家にしては、屋内が小ざっぱりとしており、分《ぶん》不相応に大きな湯殿があった。  みんな、黙っている。  喜左衛門は茶をのみ、お小夜は茶わんの酒を、おもい出したようにすすりこむ。  風が鳴っていた。  日が落ちるとすぐに吹き出した風が、強くなるばかりである。 「橋場の外れの、妙な剣術の道場へ引っ張って行かれた土竜《もぐら》の弁助は、うまく、死んだそうだのう」  と喜左衛門が、だれにともなくいった。 「松田先生の弓にあっては、かなわない。はじめの一矢《ひとや》で死んでしもうたと、よ」  こたえたのは、喜蔵である。お小夜は一言も発しなかった。 「それで、いちおう、安心か……」 「いや、まだ、わからねえとよ」 「いったい、どうなっているので?」  と、喜左衛門が、お小夜に、 「やはり、松屋への押し込みをやってのけるのですかね?」 「わたしは、知らない」 「でも……」 「お頭に、お尋《き》き」 「とんでもねえことで……」  喜蔵が喜左衛門を見て、微《かす》かにくび[#「くび」に傍点]を振り、口に手指を当てた。お小夜には、はなしかけるなというのらしい。  このとき、風に騒ぐ川波を乗り切り、西の方から荒川をわたって来た一|艘《そう》の小舟が、喜左衛門宅の裏手へ着いた。  そこには、川面《かわも》へ板を突出してあり、簡単な舟着場《ふなつきば》になっている。  舟からあがったのは、町人姿の若者と浪人らしい大男の二人で、残る一人は舟に残った。これは船頭らしい。  二人が裏の戸を叩《たた》くと、喜左衛門の女房が戸を開けた。浪人は土間から納戸《なんど》へ入って行き、若者は炉端へやって来た。  喜左衛門|父子《おやこ》が、若者を迎えて頭を下げた。 「お小夜。お前が下手にうごいたので、松屋の悴は本町の店へ帰ってしまったぞ」  と、若者がいった。 「下手にうごいたのは、私ではない」  お小夜は相変らず無表情な顔と、抑揚《よくよう》のない声で、 「松田先生が早合点《はやがてん》をなすって、あの女の剣術つかいの家へ押しかけたからいけないのですよ」 「だが、お前と利太郎が、ああしている[#「ああしている」に傍点]ところを見られてしまったからには仕方もねえ。こっちは、お前をつかって利太郎の口から、松屋の店の内外《うちそと》を探りかけていたのだからな」 「あの女の剣術つかいは別に何も、気づいてはいなかった。ただ、私の顔を見たものだから、びっくりしただけ」 「そうともかぎらねえ。うち[#「うち」に傍点]のお頭は、知ってのとおり、たとえ、わずかな邪魔でも、そのままにはしておかぬ人だ」 「だから、どうしたというの。もう一度、利太郎をさそい出して見れば、何も彼もわかるとおもう」 「お前は、まだ、松屋の悴に未練があるらしい」 「あったところで、どうしようもない」 「ま、いい。それは、お頭が決めなさることだ。さあ、行こう」 「どこへ?」 「お頭が、よんでいなさる」  そこへ、納戸から先刻の浪人のほかに、三人の浪人があらわれた。そのうちの一人は、右の眼を厚く包帯している。 「忠五郎さん。われわれは、どうします?」  と、浪人の一人が尋いた。 「松田先生から連絡《つなぎ》があるまで、此処の地下蔵へ隠れていてもらいたい」  若者が胸を反《そ》らし、傲然《ごうぜん》とこたえる。 「よし、わかった」  そのとき、裏の戸を叩く音がした。  女房が戸へ近づき、小さな〔のぞき穴〕から外を見て、 「船頭の松吉どんが来ましたよ」 「何、松吉が……?」 「へえ」 「開けてやれ」  と、忠五郎がいった。  戸が開いた。舟に居残っていた船頭が蹌踉《そうろう》として入って来るのを炉端から見ていた忠五郎が、 「おい。どうした……?」  いいさして、愕然《がくぜん》となった。  船頭のうしろから、もう一人の男が土間へ入って来た。  秋山大治郎である。  大治郎は抜きはらった大刀の切先《きっさき》を、船頭の背中へつけたまま、 「逃げてもむだ[#「むだ」に傍点]だ。この家は奉行所の捕方に囲まれている」  といった。 「な、なんだと?」 「おのれは何者だ?」  浪人どもが、惑乱してわめきながら、いっせいに抜刀した。 「赤猫《あかねこ》……いや、土竜の弁助という男は、一矢では死ななかった。みんな、お前たちのことを白状した。あの男は殺されても口を割るような奴《やつ》ではない。それを、お前たちが殺そうとした。土竜は、だから怒っている」  いいざま、刀を構えつつ左手へまわりこんで来た浪人へ、大治郎の剣がななめに疾《はし》った。 「う……」  峰打ちの一刀に胴をはらわれ、その浪人は、のめりこむように転倒している。  風の中で、呼笛《よぶこ》が鳴りはじめた。  一ヵ所ではなく、この家のまわりの諸方で呼笛が鳴り、それが、しだいに近づいて来る。  お小夜は、紙のように血の気の失《う》せた顔をふせていたし、忠五郎はふところから短刀《あいくち》を引き抜いた。  浪人たちの刃《やいば》の前へ、大治郎が、じりじりと近づく。  喜左衛門と喜蔵が表の戸を引き開け、逃げようとした。  前庭の向うの木立へ、いくつもの高張提灯《たかはりちょうちん》が押し立てられ、町奉行所の捕方が包囲の輪をせばめて来つつある。  喜左衛門が絶望の声をあげた。  三人の浪人は、咆哮《ほうこう》を発し、大治郎へ切りつけて来た。      七  捕えられた、お小夜《さよ》の自白によって、すべてが判明した。  お小夜の父・西村屋佐助は、元盗賊であった。すくなくとも十年前までは……。  むかし、西村屋佐助は、兄の佐十郎と共に、上方《かみがた》から中国すじにかけて跳梁《ちょうりょう》した盗賊で、配下は三十余名におよんだという。  十七年前に、佐助は妻子をつれて江戸へ移り、書物問屋の主人《あるじ》におさまった。  はじめは、盗賊|稼業《かぎょう》の足を洗う[#「足を洗う」に傍点]つもりで江戸へ出て来たのではない。やがては、兄・佐十郎と共に、江戸へも盗みの手を伸ばすつもりで、そのための〔基地〕を設けたわけだ。これを盗賊の世界では〔盗人宿《ぬすびとやど》〕とよぶ。佐十郎も当時、大坂の心斎橋《しんさいばし》の三ツ寺筋で〔万草紙本類《よろずそうしほんるい》おろし〕の看板をかかげ、河内屋《かわちや》佐十郎と名乗り、おもてむきは書物問屋の主人として暮し、此処《ここ》が兄弟の本拠だったのである。  ところで……。  西村屋佐助が江戸へ出て来た翌年に、兄の佐十郎が病死した。ついに、佐十郎は弟と共に、将軍家|膝下《ひざもと》の大江戸で大仕事をすることもなく、世を去った。  そこで、佐十郎の悴《せがれ》・梅之助《うめのすけ》が、父の跡をつぎ、配下の盗賊を束ねることになった。  これがどうも、江戸の佐助には、気に入らなかったようだ。 「梅之助では、とてもいっしょにはやれぬ。あの男は、まぎれもなく兄の子だし、私の甥《おい》なのだが、若いときから血なまぐさいまね[#「まね」に傍点]をしても平気なやつだったからね」  と、西村屋佐助は顔を顰《しか》めた。  これが、そもそも、佐助をして、 (本当に、足を洗ってしまおう)  と、決意させた原因なのである。  しかし、甥の梅之助のほうは、この叔父を手放そうとしなかった。佐助も随分と苦労苦心を重ね、何とか、梅之助との手を切ろうとした。そのためには、莫大《ばくだい》な金を送ったりしている。だが、大金を受けておきながら、梅之助は執拗《しつよう》につきまとった。  その後、数年の間に、梅之助は配下を引きつれて江戸へあらわれ、二度も商家へ押し込んだ。  佐助は、行動を共にしたわけではないが、甥のために〔盗人宿〕のつとめを果したことは事実だ。  梅之助の盗みには、かならず殺傷がつきまとう。  これが、佐助にはたまらなかった。  また、梅之助を嫌《きら》って一味を脱する者も出て来た。江戸へ逃げて来て、佐助の長女・おきね[#「おきね」に傍点]の婿《むこ》になった房次郎も、その一人である。  六年ほど前に、意を決した西村屋佐助は大坂へおもむき、梅之助と、 「手切れのはなし」  を、きっぱりとつけて来た。  このときにも、また、大金をわたしている。  それから数年の間、梅之助とは音信不通であった。 (よいあんばい[#「あんばい」に傍点]に……)  胸をなでおろした佐助に、一昨年の夏ごろから、梅之助が配下の忠五郎をさし向けて来て、 「また、江戸で盗《つと》めをしたいから、ちから[#「ちから」に傍点]になってくれ」  と、いって来た。  佐助は冷然と、忠五郎を追い返した。  佐助の女房も、二人のむすめも、佐助の過去を知っているし、房次郎をはじめ、六人の奉公人も、もとは佐助の配下だった者たちで、彼らは佐助と共に、これからはどこまでも堅気の商売をつらぬいて行こうという気組であった。  房次郎が一度、こんなことをいったそうだ。 「お父さん。こうなったら、こっちから出て行って、だれも知らぬ間に、大坂のお頭(梅之助)を殺《や》ってしまったほうがいいのじゃありませんか。手段《てだて》は、いくらでもあります」  むろん佐助は、これを、しりぞけている。  しりぞけたが、不安は去らぬ。  二度、三度と、梅之助は〔使者〕をよこし、そのたびに、佐助は追い返した。  次女のお小夜と、松屋|利太郎《りたろう》との婚約もととのったことだし、絶対に、いうことはきけなかった。  そして、到頭、怒り狂った梅之助が江戸へあらわれ、二十余名の配下と共に西村屋へ押し込み、あの殺戮《さつりく》をやってのけたのである。  そのとき、梅之助は忠五郎と二人きりで西村屋へやって来て、 「叔父ご。もう、あきらめたから安心をしなさるがいい。他《ほか》に盗人宿の見込みが立ったのでね。もう二度と顔は出さぬゆえ、今夜だけは泊めて下され」  と、獰猛《ねいもう》な顔に、つとめておとなしやかな[#「おとなしやかな」に傍点]笑みを浮べて、そうたのむのである。  佐助も、そういわれては、ことわり切れない。二人を奥庭の離れ屋へ泊めた。  夜ふけて、二人は配下の者たちを西村屋の中へ引き入れ、殺戮と同時に千二百余両を盗み奪《と》り、お小夜を誘拐《ゆうかい》して逃走した。  お小夜を殺さなかったのは、梅之助が、二十も年がちがう従妹《いとこ》に欲情をそそられたからだ。  大坂へ連れていったお小夜を、梅之助はさんざんにもてあそび、その後で、 「お前にくれてやろう」  片腕とたのむ忠五郎へ、お小夜をわたしたのである。  梅之助は、因州《いんしゅう》浪人の松田|官兵衛《かんべえ》という剣客や、浪人たちをあつめ、これを一味にしていた。彼らは殺戮のときの役に立ったからだ。      ○  あの夜……。  荒川|辺《べり》の、梅之助一味の〔盗人宿〕では、浪人四名が秋山大治郎の峰打ちに倒され、他の者は一人残らず捕えられてしまった。  また、荒川をさかのぼった川ノ口(埼玉《さいたま》県和光市・下新倉)の旅籠《はたご》・上州屋《じょうしゅうや》(これも盗人宿)に潜んでいた梅之助はじめ十余名の盗賊も、同じ夜の、略《ほぼ》同じ時刻に火付盗賊|改方《あらためかた》によって捕えられた。  ただ一人、取り逃がした者がいる。  松田官兵衛であった。  土竜《もぐら》の弁助を弓矢で襲ったのは、官兵衛である。  官兵衛は盗賊改方の捕物陣を切り破って逃げたというのだから、相当の腕利《うでき》きと看《み》てよいだろう。  このとき、松田官兵衛が捕われていたら、のちになって、ふたたび、秋山大治郎と出合うこともなかったことになる。  何しろ、盗賊一味は取り調べがすむや、たちまちに処刑されてしまったのだ。  その中で、一人だけ、お上《かみ》の、 「お目こぼしに……」  あずかった者がいた。  それは赤猫……いや、土竜の弁助であった。  なんといっても、弁助の自白によって、すべてが迅速に運んだからだ。弁助は、今度はじめて、梅之助一味の松屋押し込みを手つだうことになった盗賊である。  お目こぼしといっても、死刑をまぬがれたわけで、弁助は十五年の島送りとなった。 「はい。お小夜は助かりませんでした。可哀相《かわいそう》ですが、あの女は梅之助一味の女賊《おんなぞく》として、はたらいていたのですから……」  と、秋山道場へ訪ねて来た四谷《よつや》の弥七《やしち》がいった。  居合せた佐々木|三冬《みふゆ》が、 「お小夜は、松屋の利太郎どのを何とおもって……」 「はい。好いていたようでございますよ。ですが、もう仕方がなかったので。何しろ、隙《すき》もなく奴《やつ》らに見張られておりましたし、それにもう、利太郎を好いてみたところで、どうにもならぬことを知っていたのでございましょう」 「でも、利太郎どののほうは?」 「これはもう、無我夢中なので……根岸《ねぎし》の畑道をひとりで歩いていると、突然、お小夜があらわれたと申します。語り合ううちに、木立の中へ入って、いきなり、お小夜のほうから……」  いいさした弥七が、なんともいえぬ顔になり、 「そこを、三冬さまに見られ、利太郎はもう、すっかり仰天をしてしまったそうで……」  三冬は、うつ向いている。  顔を赧《あか》らめ、声もなく、うつ向いている。 「どうなされた?」  大治郎が、三冬に尋《き》いた。  弥七は、つ[#「つ」に傍点]と立って、外へ出て行った。 「どうなされた、三冬どの……」 「ぞ、存じませぬ」 「いったい、三冬どのは……」 「存じませぬ、存じませぬ」  佐々木三冬は、烈《はげ》しくかぶり[#「かぶり」に傍点]を振った。若衆髷《わかしゅわげ》がくずれるかとおもうばかりに、である。 「弥七どのは、木立の中で、いきなり、お小夜のほうから……と、いいましたが、いったい、あの女が松屋の息子に、何を?」 「存じませぬ!!」  と、怒ったような一声を投げるや、三冬は突然立ちあがり、外へ駆け去った。 「はて……?」  秋山大治郎は、冷えた茶を一口のみ、考えこんでいる。  すでに、花は散っていた。  目がくらむほどに明るい陽光が、道場の前庭にみちわたり、 「えい!!」  道場では飯田粂太郎《いいだくめたろう》少年が、ひとりで居合《いあい》の稽古《けいこ》をしている。 「あ……」  はじめて、納得がいったらしい。  茶わんを置いた大治郎の顔にも、見る見る血がのぼってきた。  大治郎は大刀をつかみ、何やら、あわてふためいたように道場へ出て行き、 「粂太郎。私もやるぞ」  と、叫んだ。     手裏剣《しゅりけん》お秀《ひで》      一  その日の夕餉《ゆうげ》に、秋山|小兵衛《こへえ》は〔鮒飯《ふなめし》〕を食べた。  この鮒は、おはる[#「おはる」に傍点]の父親岩五郎がとどけてくれたもので、 「あれまあ、父《とっ》つぁま。そんなもの[#「そんなもの」に傍点]を、いま、先生に食べさせたら大変だよう。先生は食べすぎて腹こわして、十日も寝たっきりでいて、ようやく昨日、床上げをしたばかりなんだから……早く、持って帰っておくれよう」  低い声でいうのならともかく、おはるは、いつもの明るい大きな地声を発し、台所へ顔を出した父親を叱《しか》りつけたものだから、居間にいた小兵衛が、すぐに聞きつけてしまい、 「何、鮒だと……よし、今夜は鮒飯にしよう」  台所へ出て来た小兵衛が、断定的にいった。 「あれ、何をいうだよう、先生。今まで、粥《かゆ》食べていたのに、鮒飯なんぞが腹へ入《へえ》ったら、腹の虫が、また騒ぎ出しますよう」 「かまわぬ。そうしろ」  むしろ、きびしい声で小兵衛が命じた。  内臓と鱗《うろこ》を除いた鮒をみじん[#「みじん」に傍点]にたたき、胡麻《ごま》の油で|炒[#「炒」は「喋」の口を火にしたもの 第3水準1-87-56]《いた》め、酒と醤油《しょうゆ》で仕立てたものを、熱い飯にたっぷりとかけまわして食べる。これが鮒飯で、むろん、ようやくに下痢《げり》がとまった小兵衛が口にすべきものではない。 「かえって、こういうときに、こうしたものを食うのが、わしにはよいのじゃ。わしの腹の虫は、そのように出来ている」  強引に、小兵衛は鮒飯をつくらせ、三杯も食べた。ただし、まだ、酒はのまぬ。  翌朝になってみると、 「それ見ろ、このとおりだ」  俄然《がぜん》、小兵衛に生気がよみがえった。  まだ渋り[#「渋り」に傍点]が残っていた腹のぐあいも、快調となったらしく、 「わしはな、子供のころから五、六年置きに、腹ぐあいが悪くなる。そういう体にできているらしい。ほんとうのことよ。そのたびに、こういうやり方[#「やり方」に傍点]で癒《なお》してきたのだから、案ずるにはおよばないのじゃ」  などと、おはるに向って大威張りである。  そのころは、秋山|大治郎《だいじろう》と佐々木|三冬《みふゆ》が、〔西村屋お小夜《さよ》〕の事件に巻きこまれていた最中で、 「せがれめ、父親の病気見舞にもあらわれぬ」  などと、床の中で小兵衛がぶつぶつ[#「ぶつぶつ」に傍点]いっていたものだ。 「さて……こうなったら、今日は凝《じっ》としてはいられぬ。どうじゃ、おはる。久しぶりで深川の八幡《はちまん》さまへでもお詣《まい》りに行こうかえ?」 「あれ、うれしいよう。それじゃあ、すぐに舟の仕度をしますから……」 「おお、たのむ」  と、いっているところへ、 「ごぶさたをしてます。先生、お変りはねえかね」  あらわれたのは、鰻売《うなぎう》りの又六であった。  例によって又六は、洗いざらしの盲縞《めくらじま》の筒袖《つつそで》の裾《すそ》を端折《はしょ》り、つぎはぎだらけの股引《ももひき》、素足に草履《ぞうり》という姿なのだが、いささかも垢《あか》じみていない。  彼は、相変らず、深川の洲崎弁天《すさきべんてん》の橋のたもとで、鰻の辻売《つじう》りをしている。 「おお。朝早くからどうした?」 「へえ、ちょいと……」  又六が、泥鰌《どじょう》を入れた桶《おけ》を出し、 「先生。食べて下せえ」 「すまぬな。うれしいぞ、又六。今夜がたのしみだよ」 「へ、へへ……」  又六も、うれしげに笑ったが、その笑いは、すぐに消えた。 「ま、あがれ。かまわぬ、あがれ。帰りは舟で送ってやろう。わしも八幡さまへ行こうとおもっていたところだが……ときに又六。お前、何か、わしにいいたいことがあって来たのではないかえ?」 「よく、わかりなさるねえ、先生……」 「お前の顔が、そういっている」 「へへえ……」 「いったい、何のことじゃ?」 「それが先生。こんなことは、まったく、余計なことかも知れねえですがね……」 「世の中の善い事も悪い事も、みんな、余計なことから成り立っているものじゃよ」 「へへえ、そんなもんですかね」 「さ、その余計なことというのを、はなしてごらん」 「へえ、実は……」  と、又六が語りすすむにつれて、秋山小兵衛の眼《め》の色が、興味を押えきれぬように光りはじめた。  又六は、老母のおみね[#「おみね」に傍点]と、深川島田町の裏長屋に暮している。  去年の暮に、又六の住居のとなりにいた〔鰻|坊主《ぼうず》〕の善空《ぜんくう》こと津田|庄之助《しょうのすけ》が去ってのち、その長屋へ浪人者がひとり、入って来た。  年齢《とし》のころは三十七、八歳になろうか。背丈の低い無口な浪人で、日中は、ほとんど留守にしている。  頬骨《ほおぼね》の張った、血色の悪い顔に、うすい痘痕《あばた》があった。人相が悪いというのでもなく、だからといってよくもない。  長屋の連中は、 「川獺《かわうそ》浪人」  などと、よんでいた。  昨夜……。  又六は卵を落した熱い味噌汁《みそしる》で大根飯《だいこんめし》を四杯もたいらげ、すぐにねむりこんでしまったが、今朝になると老母のおみねが、 「お前は、よく寝ていて知らなかったろうが、昨夜、おそくなって、となりの川獺が別の浪人をつれて帰って来てね……」  と、いい出した。  おみねは、寝床へ入っても手水《ちょうず》が近く、夜中に二、三度は起きる。  で、昨夜も起き出し、戸外《そと》の厠《かわや》へ出て行こうとすると、となりから、 「女を殺すのは、どうも嫌《いや》だな……」  という川獺浪人の声が、おみねの耳へ入った。  又六の大鼾《おおいびき》を壁ごしに聞いた川獺は、まさかに、おみねが聞いていようとはおもわなかったのだろう。  裏長屋のことで、壁一枚をへだてたとなり[#「となり」に傍点]の話し声は、あたりが寝しずまっているだけに筒抜けなのである。 (おや……ただごとではない……)  と、おみねはおもった。  女を殺す……どこの女をだろう、と、おもわず、おみねは壁に耳をつけた。それにしても、となりの二人の話し声がすべて聞えたわけではない。  およそ、つぎのような会話が、切れ切れに、おみねの耳へ入った。 「女……女というてもよりけり[#「よりけり」に傍点]だぞ。両刀を腰にした男三人が手玉にとられたという……ふむ、そうなのだ。実に、恐ろしい女だそうな。それでな……ふむ、ふむ……だからな……」  と、これは川獺浪人の声ではない。 「で……七人がかりで、やるのか?」  と、これは川獺。 「うむ。これなら大丈夫……それで、女を押えこんで……さんざんに、なぐさみもの[#「なぐさみもの」に傍点]にした上で、あの世へ送ってしまう、どうだ」 「ふうむ……」 「場所は品川台町の外れで、女が、ひとりで住んでいるらしい。それを押えつけて、な。裸に引剥《ひんむ》いて、われわれで、さんざんになぐさみものにする。え、どうだ。それで五両下さる」 「ほう、五両……」 「どうだ。え、どうだ?」 「わるくない、な……」 「明後日《あさって》だ。おぬしがよければ、明後日の昼すぎに……」 「その女、そんなに強いのか?」 「それがな、実は……」  と、あとが聞えなくなって、二人はしばらく、ひそひそと語り合っていたようだが、やがて、別の浪人が帰って行った。  おみねが、戸障子の隙間《すきま》からのぞいて見ると、たしかに浪人だったというのだ。  朝になって、おみねは、このことを又六につたえ、 「どうしよう。どこかの女のひとが、あいつらに、ひどい目に合おうとしているのだから、捨ててもおけまい」  そういうのである。  土地《ところ》の御用聞きの耳へ告げるのはわけもないことだが、又六は、 「女にもよりけり[#「よりけり」に傍点]だ。男三人を手玉にとるほどの恐ろしい女だ」  と、浪人がいった言葉が気にかかった。 (もしかすると、悪い女なのかも知れない。それなら、放《ほう》っておけばいい)  なのである。  だが、やはり気にかかる。  もしも、悪い女でないとすると、これは、とんでもないことになる。いちおう、大家《おおや》の六郎兵衛《ろくろべえ》に告げようかとも考えたが、どうも又六ひとりでは判断がつきかねた。こうしたことは、うっかりと、 (はからいかねる……)  ものなのである。ことに、相手は同じ長屋の、となりに住む浪人なのだ。  そしてまた、老母の耳が、たしかだったのかどうかも、又六にはうたがわしい。 「おふくろが、夢でも見たのじゃあねえかともおもうですよ、先生」  と、又六が小兵衛にいった。  自分ひとりでは決心がつかず、小兵衛に相談をするつもりで、隠宅にあらわれた又六であった。 「その川獺浪人は、今日も、何処《どこ》かへ出て行ったのかえ?」 「へい。おれが家を出る、すこし前に……」 「ふうむ。女を殺すのは、明日になるわけだな」 「おふくろが聞いたことが、ほんとうなら、そういうことになるですよ」 「うむ、うむ……」  小兵衛は腕組みをして、かなり長い間、考えこんでいた。  ねむたげに曇った空に鳶《とび》が一羽、悠々《ゆうゆう》と飛翔《ひしょう》している。      二  その日の昼下りに……。  目黒不動・門前の料理屋〔稲葉屋《いなばや》〕の奥座敷で、若い三人の侍があつまり、酒をのんでいる。  目黒の不動堂は、およそ千年もむかしに、慈覚大師が〔不動明王〕の本尊を安置し、開山となったそうだが、もの[#「もの」に傍点]の本に、 「……はるかに都下を離るるといえども、参詣《さんけい》の人びと常に絶えず(中略)門前五、六町が間、左右|貨食店《あきないのみせ》、軒をつらねて人びとをいこわしむ」  などとあって、当時、江戸郊外の名所である。  秋山小兵衛は、目黒不動・門前の〔桐屋《きりや》〕という店で売っている名物の黒飴《くろあめ》が大好物だ。  稲葉屋は、不動堂|惣門《そうもん》前にある料理茶屋で、この早春に、性格異常者であり、恐るべき剣客でもあった金子|伊太郎《いたろう》を討ち果したとき、秋山|父子《おやこ》と沼田藩士たちが稲葉屋へあつまったことは、すでにのべた。  稲葉屋とは、四谷《よつや》の弥七《やしち》も、女房《にょうぼう》が料理屋をしている関係で昵懇《じっこん》にしている。  だが、いま、稲葉屋名物の豆腐の田楽《でんがく》で酒をのんでいる三人は、弥七や小兵衛の知り合いではない。  三人とも、旗本の子息で、ともに年齢は二十四、五歳というところか……。  その中でも、加藤|勝之助《かつのすけ》は、三千三百石の大身《たいしん》旗本・加藤|主膳正《しゅぜんのしょう》成安の長男で、麻布《あざぶ》・飯倉《いいくら》に一刀流の道場を構える三木|郷右衛門《ごうえもん》の門人である。  つぎの木下源太郎は、千石の旗本・木下大学の次男。  三人目の川井|右近《うこん》の父は、四百石の旗本・川井|兵庫《ひょうご》である。  木下も川井も、加藤勝之助と同じ三木道場で剣術をまなんでい、三人ともに、相当なところまで行っている。  三人の中では、家柄《いえがら》からいっても剣の技倆《ぎりょう》からいっても、加藤が上で、屋敷が芝《しば》の白金《しろかね》にあるところから、この稲葉屋へはよくやって来る。父の主膳正成安は寄合《よりあい》(三千石以上の旗本で無役の者)に列しているけれども、代々裕福の家柄だそうな。  その所為《せい》か、まだ家督前の、一人息子の勝之助へも、たっぷりと小遣をあたえるらしく、三人が酒食するときは、いつも勝之助が勘定をはらう。 「いよいよ、明日の夜だな」  と、加藤勝之助が盃《さかずき》をなめながら、 「見ておれ、おもい知らせてくれる」 「明日が待ち遠しいな」 「いかにも」  と、木下・川井が相槌《あいづち》を打った。 「で、その四人の浪人どもというのは、間ちがいなく、あつまるのだろうな、右近」 「大丈夫ですよ、勝之助さん。本所《ほんじょ》の四ツ目にある貧乏道場でごろごろしている連中だが、そりゃあ、腕はたしかなものです。何しろ、相手が武家だろうが何だろうが、見境《みさかい》もなく喧嘩《けんか》を売り、打ち負かして金にしようというやつどもですから……それに、われわれ三人が加わり、合わせて七人。これでは、いかにあの女[#「あの女」に傍点]といえども屈服せざるを得ないでしょう」 「おぬし。よく、そうしたやつどもを知っておるのだな」  すると横合いから木下源太郎が、 「それは勝之助さん、右近の屋敷は本所の三ツ目にあるのです。あのあたりの人気《じんき》の悪いことといったら、あなたには到底、おわかりにならぬでしょう。ですから、いろいろな下等なたのしみ[#「たのしみ」に傍点]も知っているというわけなのですよ。うふ、ふふ……」  川井右近は、 「その貧乏道場のあるじで、釜本九十郎《かまもとくじゅうろう》というのが、私の屋敷の近くの、松平筑後守《まつだいらちくごのかみ》下屋敷の中間《ちゅうげん》部屋へ、よく博奕《ばくち》を打ちにやって来ます。そこで知り合いましてね」  いささか、得意げにいう。 「なるほど、ふむ……」 「やつどもは、かわるがわるあの女[#「あの女」に傍点]を嬲《なぶ》り物《もの》にすることが、たまらぬらしい。みんな、眼《め》を光らせていましたよ」 「それを、しか[#「しか」に傍点]と見とどけてやる」  と、加藤勝之助が呻《うめ》くように、 「そのときの、あの女[#「あの女」に傍点]の面《つら》がどのようになるか、見てやる。見てくれる」  復讐《ふくしゅう》の殺気を、満面にみなぎらせて、 「そのあとで、おれが斬《き》る。おれが、あの女を斬る!!」  いいはなったものである。  しばらくの間、三人は黙りこんで、冷えてしまった酒をちびりちびり[#「ちびりちびり」に傍点]とのんでいたようだ。  加藤のみか、川井も木下も凝《じっ》と空間の一点を見つめ、胸にこみあげて来る怒気を押えかねているような顔つきであった。  ややあって、 「お、そうだ」  加藤勝之助が、左手[#「左手」に傍点]をふところへ入れ、袱紗《ふくさ》に包んだ金を、川井右近の前へ置いた。 「一人、五両でよかったのだな、……右近」 「そのほかに五両。これは、別の者をつかって、いろいろと仕掛けをするために必要な……」 「あ、わかっておる。そこに二十五両入っている。受け取っておけ」 「たしかに……」  と、川井が金包みを取り、ふところへ入れた。これも左手をつかってである。  そこで、この三人の姿を仔細《しさい》にながめて見ると……。  三人ともに、左手をつかっている。  盃を取るのも左手なのだが、さすがに、箸《はし》をつかうときは不便だと見え、右手をつかう。しかし、何やら、箸を持つ右手が、不自由そうに、重たげに見える。  そればかりではない。  三人の、右の袖口《そでぐち》から、ちらちらと白いものが覗《のぞ》く。  それは、包帯であった。  右の手首から胸のあたりにかけて、三人それぞれに包帯をしているのは、そこに傷を受けているということだ。  そのころ、四谷の御用聞き・弥七が、手先の傘《かさ》屋の徳次郎をつれて、秋山小兵衛の隠宅へ向いつつあった。  小兵衛の手紙を鰻売《うなぎう》りの又六がとどけたとき、弥七は外出中で、半刻《はんとき》(一時間)ほどのちに帰宅し、小兵衛の手紙を読んだのである。  又六は、すでに小兵衛宅へ引き返していた。  この日の又六は、商売の鰻売りを休んでしまっている。  午後になって小兵衛宅へあらわれた弥七と傘徳を迎え、 「いや、わざわざ、すまなんだのう」  と、秋山小兵衛がいった。 「先生。また何か、起りましたので?」 「弥七。実は、そうなのじゃ」 「いったい、どんな……?」 「余計なことかも知れぬが……なれど弥七。女がひとり、七、八人の無頼どもから嬲り物にされたあげく、殺されようとしているのじゃ」 「そいつは大変でございます。先生……」 「そうおもうだろう。お上《かみ》の御用をうけたまわっているお前としては、たとえ縄張《なわばり》内のことではないにせよ、捨ててはおけぬはずだ。どうだえ?」 「そのとおりでございますとも」 「ま、いっぱいやりながら、ゆっくりとはなし合おう。といっても、わしはまだ、酒はいけない。あと二、三日、腹のぐあいが決るまではな。あは、はは……」  それから一刻(二時間)ほど、又六をまじえて、四人が密談をかわしたようである。  おはる[#「おはる」に傍点]が酒の仕度をしたけれども、弥七と傘徳は一滴も口にしなかった。  夜になった。  深川島田町の裏長屋、鰻売り又六の住居に、今夜は泊り客があった。  すなわち、傘屋の徳次郎である。  傘徳と又六は、交替で、となりに住む川獺《かわうそ》浪人・益田忠六《ますだちゅうろく》の気配に耳をすましていた。  忠六は、めずらしく夕暮れどきに帰って来て、ひとりで冷酒をのみはじめた。  かなり、のんだと見える。  五ツ(午後八時)ごろには、壁が割れるかとおもうほどの大鼾《おおいびき》をかきはじめた。  又六が傘屋の徳次郎へ、こうささやいた。 「おれが顔負けするほどの鼾をかいている。こんなことは、はじめてですよ」      三  品川台町の外れの〔雉子《きじ》の宮〕の社《やしろ》と道をへだてた西側の畑道をすこし入ったところに、百姓家を改造した剣術道場らしき[#「らしき」に傍点]ものがある。  このあたりは、現代の国電・五反田《ごたんだ》駅の東北の方に見える高台の住宅地になっているが、当時は、南から西へかけて一面にひろがる雑木林と田畑を見下ろす丘陵であって、大名や武家の下屋敷や寺院が多く、わずかに品川台町と猿《さる》町の、道をはさんだ両側が町屋となっていた。  雉子の宮は、山神《やまのかみ》の祠《ほこら》だったものを、慶長のころに徳川将軍が放鷹《ほうよう》に来たとき、その祠の中へ雉子が一羽、飛び入ったのを見て、 「以後は、雉子の宮と名づけよ」  と、いったため、その名が残っている。別当は宝塔寺《ほうとうじ》といい、丘の上の社殿を仰ぐ鳥居の右手に本堂が在る。  十日前のことだが……。  加藤|勝之助《かつのすけ》は、川井・木下の両名をつれて、品川の御殿山《ごてんやま》へ、桜花《はな》を見物に出かけた。  川井と木下は、前夜、加藤邸へ泊りこんでいる。 「今夜も泊れ」  と、加藤がいったので、二人はその気になり、御殿山の帰途、品川台町へさしかかった。  坂道の右手に、雉子の宮の社が見え、その境内に藁《わら》屋根の茶店がある。 「疲れた。すこし、休んで行こう」  と、加藤がいい、茶店へ入って行った。川井も木下も加藤のいうことには唯々諾々《いいだくだく》として従うようなところがある。二人とも次、三男坊で、それだけに気楽なのだろうし、平常から加藤勝之助にいろいろと面倒を見てもらっているので、加藤を取り巻いて離れぬ。  三人が、茶と饅頭《まんじゅう》をもらい、足をやすめていると、 「や……このあたりに、道場があるらしい」  と、川井が、彼方《かなた》を指さした。  見ると、道の向う側の畑道から、このあたりの百姓でもあるらしい若者が二人、肩に竹刀《しない》を担《かつ》ぎ、しきりに汗をぬぐいつつあらわれ、語り合いながら坂を下って行く姿が見えた。 「ほう……こんなところに、な」 「おもしろい。行って見よう」  こういって、加藤勝之助が立ちあがったものだから、二人に異存はない。  茶店から出た三人は、道を突切り、畑道へ入って行った。  ちかごろは、市中からはなれた郊外に、加藤たちからいわせると、 「まことにもって、いかがわしい……」  浪人や剣客と称する者が、百姓家などを借り受けて道場らしきものをつくり、近辺の町人・百姓たちへ、わずかな銭をもらって剣術を教えているのが多くなった。 「武士の身分をも持たぬに、武芸を習うとは、ふとどきだ」  というのが、加藤らの持論であるし、 「まして、彼らに、得体の知れぬ武芸を教えこみ、身過ぎ世過ぎをしている者は、見つけしだい、打ち懲《こ》らしめるべきである」  などと、かねがね気炎をあげていたところだから、たまったものではない。 「これは、おもしろくなって来たぞ」 「本格の剣術が、どのようなものか、見せてやろうではありませんか。どうです、勝之助さん」 「よろしい」  畑道を行くと左手へ切れこむ細道が見えた。  道は下りになってい、突当りに百姓家が見え、竹刀の打ち合う音が聞える。  前庭へ入るところへ、形ばかりの門のようなものがあり、その柱に、 〔一刀流剣術指南|杉原左内《すぎはらさない》〕  と、見事な筆でしたためられた札が掛けられ、それがもう、くろずんでいるところを見ると、昨日今日の道場ではないらしい。  三人は、前庭へ入っていった。  百姓家の二間をつぶし、床板を張り、十坪ほどの道場にしてある。  戸を開けはなった道場では、これも百姓らしい若者が二人、猛烈に打ち合っていた。  近くの子供が三、四人と老爺《ろうや》がひとり、稽古《けいこ》を見物している。 「どれが、杉原左内というやつだ?」 「さて……?」  前庭の、銀杏《いちょう》の樹陰《こかげ》に三人が身を寄せ、道場を観察した。 「おや……女がいる。女らしいぞ、あれは……」 「ふむ、なるほど」  道場の正面が一段高くなってい、つまり其処《そこ》が見所《けんぞ》というわけなのだろう。  そこに、女がひとりすわっていて、若者たちへ何かいったり、稽古を見まもったりしている。 「若い女らしい」 「よし。行って見よう」  加藤勝之助を先頭に、三人が前庭を横切り、道場へ近づいて行った。  見物の老爺が、これに気づき、三人のただならぬ血相におどろき、子供たちを追い立てるようにして前庭から出て行った。  稽古をしていた二人の若者も、いつしか離れ、見所の女と三人の侍を交々《こもごも》に見やった。 「何ぞ、御用か?」  と、女が三人に向っていった。  落ちついていて、凛《りん》とした声音《こわね》である。  黒髪を無造作に束ねて背へまわし、洗いざらした紺木綿|筒袖《つつそで》の稽古着に黒の袴《はかま》をつけた若い女の体は、のびのびと発達している。年齢《とし》のころが、よくわからぬ。まったく化粧の気もなく、日に灼《や》けた顔の黒く濃い眉《まゆ》、大きな両眼。女にしてはふとやかな鼻すじ。一文字に引きむすばれた唇《くち》。  この女にくらべれば、まだしも佐々木|三冬《みふゆ》のほうが、 「女らしい……」  といえるし、美しさにおいても格段にちがう。 「おう。いかにも用がある」  川井右近がうす[#「うす」に傍点]笑いをしながら、すすみ出て、 「杉原左内殿にお目にかかりたい」 「父はおりませぬ」 「ほう……おぬしが、むすめか……」 「何用です?」 「一手《いって》、指南にあずかりたいとおもってな」  川井がそういったとき、女の顔に、はっきりと冷笑が浮んだ。  川井も、加藤・木下も、むっ[#「むっ」に傍点]となった。 「おぬしの名は、何という?」 「こなたの名を尋ねるなれば、そちらから、お名乗りなさるが礼儀でありましょう」 「む……」 「父の留守中に、他流との立合いはなりませぬ。お帰り下さい」  ぴしり[#「ぴしり」に傍点]と、女がいった。 「他流ではない。われらも一刀流だ!!」  わめきざま、憤然として川井が、土足で道場へ躍りあがった。 「無礼な……」  女が叫んだとおもったら、いつ、手に取っていたのか、右手につかんだ木刀をすわったままで川井右近へ投げつけたものである。  木刀は生きもの[#「生きもの」に傍点]のように疾《はし》り、膝頭《ひざがしら》へ命中した。 「あっ……」  川井は両手を前へ突き出し、転倒した。 「他家へ土足で駆けあがるとは、無礼でありましょう」  女が、加藤と木下にいった。 「そうか。よし、それならば……」  加藤勝之助が草履《ぞうり》をぬいで道場へあがり、 「うぬ!!」  と、片膝を立てて大刀の柄《つか》へ手をかけた川井に、 「おれにまかせろ」 「いや、私にやらせて下さい」 「外で見ておれ!!」  加藤が怒鳴りつけた。あまりに、なさけない川井の醜体に我慢がならなかったのであろう。  稽古をしていた若者たちが、外へ飛び出し、何処《どこ》かへ走り去った。  加藤は、女を睨《にら》みすえたまま、羽織をぬぎ、大刀を脱し、板壁に掛けならべてある木刀のうち一振《ひとふり》をえらび、 「加藤勝之助」  と、名乗った。 「杉原|秀《ひで》」  と、女がこたえる。 「さ、立合え」 「なりませぬ。ここは父の道場です」 「なれど、おぬしが留守をあずかり、百姓どもの稽古を見ていたではないか」 「だからというて、何故《なぜ》、私が立合わねばならぬのです。ここは父の道場です」  正論である。道場主のゆるしを得ずに、留守の者が他人と勝手な試合をしてよいものではない。  それは加藤も心得ていた。いたがしかし、この期《ご》におよんで加藤勝之助も激昂《げっこう》に我を忘れていたと見える。あくまでも沈着に、冷笑を絶やさず、 「立合ったなら、そちらが負け」  とでもいいたげな表情で、瞬《まばた》きもせずにこちらを見つめ、しかも平然とすわったままでいる女……杉原秀に、加藤はたまりかねた。 「こやつめ!!」  と一声。  踏みこみざまに侮《あなど》りきって、片手打ちに打ちこんだ木刀の下を、女が燕《つばめ》のごとく潜《くぐ》りぬけざま、手をのばして何やら[#「何やら」に傍点]をつかみ取り、ぱっと、道場の端へ身を退《すさ》らせた。 「うぬ!!」  みごとに体《たい》をかわされ、逆上した加藤勝之助が木刀を上段に振りかぶった、その瞬間であった。  杉原秀の右手が颯《さっ》とあがり、その手の中から飛んで来た物が二箇、加藤の右腕へ突き刺さった。 「う……」  加藤の手から木刀が落ちた。 「おのれ!!」  川井と木下が大刀をぬきはらって、秀へ殺到しかけた、その右腕へも、秀が投げつけた物が突き刺さった。  秀は身をひるがえし、板戸を引き開けて、台所へ走りこみ、さらに裏手から外へ走り出ている。  秀が投げつけたのは、根岸流《ねぎしりゅう》の手裏剣術で使う〔蹄《ひづめ》〕と称する小石ほどの鉄片であった。  三人の右腕へ喰《く》い込んだ鉄片は、容易に抜き取れぬ。  激痛と激怒にさいなまれつつ、三人が左手に大刀をつかみ、前庭へ、よろめきながら出た。出て、三人が瞠目《どうもく》した。  竹藪《たけやぶ》を背にした裏手へ、いつの間にか二十人ほどの百姓たちが、手に手に竹刀や棍棒《こんぼう》をつかみ、群れあつまっているではないか。  その前に、杉原秀が立っている。  左手に、革袋のようなものを持ち、右手をまるめているのは、おそらく〔蹄〕がつかまれているのであろう。  加藤も、木下・川井も、完全に闘志をうしなっていた。  とにかく、右腕に喰い込んだ鉄片が抜けず、痛みは激しくなるばかりだ。  顔面|蒼白《そうはく》となり、左手に大刀を持ち、すごすごと前庭を出て行くときの三人の口惜《くや》しさ、いきどおろしさ[#「いきどおろしさ」に傍点]は、旗本の家に生れた彼らにとり、おそらく生れてはじめてのことだったといえよう。  恥辱は、彼ら三人のみのものではない。  加藤|勝之助《かつのすけ》は、おのれの名を名乗ってしまっている。  父の名も、三木道場の名も告げてはいないが、もしも杉原秀が、加藤の身許《みもと》をしらべる気になれば、わからぬものでもないのだ。  しかも川井が、一刀流だと、秀に言明しているし、三人の風体《ふうてい》は、どう見ても旗本の子弟なのである。  ここに至って、加藤勝之助は、 (あの女、捨ててはおけぬ)  決意をかためた。  そうなると、杉原秀の飛び道具が不気味であった。  屋敷へ帰り、加藤たちは小柄をもって皮膚を切り裂き、鉄片を抜き出したが、それが根岸流の〔蹄〕だということを、三人とも知らぬ。  それだけに、尚更《なおさら》、不気味に感じられた。 (今度こそ、仕損じてはならぬ……)  のである。  なればこそ、川井|右近《うこん》の、 「先《ま》ず、私におまかせなさい。その代り、いささか金子《きんす》が要りますが、うまく、あの女をおびき出し、さんざんな目に合わせてやることができます」  自信たっぷりにいう言葉を、加藤勝之助は受けいれたのだ。  それ以来、川井右近は本所界隈《ほんじょかいわい》の無頼どもの中から、 (これぞ……)  とおもうのに目をつけ、復讐《ふくしゅう》の手段を練りあげてきた。  杉原秀の身辺も探り取ったらしい。  そして、秀への、おもいきった報復は、 (明日に……)  せまったのである。      四  その日の昼すぎに、川獺《かわうそ》浪人の益田忠六《ますだちゅうろく》が深川島田町の長屋を出て行った。  となりの又六の住居に泊りこみ、益田を見張りつづけていた傘《かさ》屋の徳次郎が、 「又六さん。いっしょに来てくれるかね?」 「いいとも」  又六は、今日も鰻売《うなぎう》りを休んでしまっている。 「それどころじゃない。秋山先生のお手つだいをしろ」  と、老母もいったし、もとより又六も、そのつもりであった。 「いいかね、又六さん。私が川獺の後をつけるが、お前さんは私の後をつけるつもりでおいでなせえ。それでねえと、川獺が、お前さんに気づいてしまう。私はまだ、顔を見知られていねえから大丈夫だがね」 「よし。わかった」 「顔をね、隠して……あ、そこに吊《つる》してある菅笠《すげがさ》がいい」 「うん。おもしれえな」 「それどころじゃあねえ。いいかね、じゅうぶんに気をつけて下せえよ」 「うん、うん。それじゃあ、おっ母《かあ》、行って来るぜ」 「しっかりおやりよ、又六」 「さ、又六さん。急いだ、急いだ」  二人は外へ飛び出し、益田忠六の尾行を開始した。  益田は例によって、編笠をかぶり、いつもは着ながしなのだが、この日はよれよれ[#「よれよれ」に傍点]の袴《はかま》をつけている。  益田忠六が、深川から永代橋《えいたいばし》をわたり、築地《つきじ》から芝へぬけ、目黒の行人坂《ぎょうにんざか》へあらわれたとき、八ツ半(午後三時)ごろであったろう。  行人坂を西へ下って行くと、左側に五百|羅漢《らかん》の石像がならんでいる。これは、すぐる明和の江戸大火に焼死した者の迷魂を弔わんがため、ある奇特《きどく》の人が建立《こんりゅう》したとかで、このあたりの名所の一つになった。  このあたりは神社仏閣が多く、田園の風景をたのしみがてらの参詣人《さんけいにん》の往来もあって、目黒の谷にひろがる森や田畑をのぞむ行人坂の右側には、藁《わら》屋根の茶店が軒をつらねている。  坂を下って、目黒川に架る石造りの太鼓橋のたもとに〔正月屋〕という茶店がある。  川獺浪人は、その正月屋へ入って行った。 「さ、又六さん。急いで、秋山先生へお知らせしてくれ、たのむ」 「よしきた」 「先生と、うち[#「うち」に傍点]の親分は、もう、二本榎《にほんえのき》の覚真寺《がくしんじ》に来ていなさるはずだ。私はね、ふうむ……いま、川獺が入って行った茶店の筋向いに、ほれ、紺色の暖簾《のれん》を掛けた茶店が見えるだろう。あそこにいる。もし、何かあったら、連絡《つなぎ》をつけるようにしておくからね」 「よし、わかった」  行人坂から二本榎までは、約半里の道のりである。  又六は、まっしぐらに走り出した。  秋山小兵衛と四谷《よつや》の弥七《やしち》は、前日に、傘徳と又六をまじえ、今日にそなえていろいろと打ち合せをしておいた。 「おそらく、やつどもが、その女の家を襲うのは夜に入ってからであろう。なればよ、わしは弥七と共に、昼すぎまでには、二本榎の覚真寺という寺に行っている。うむ、その寺の和尚《おしょう》は、わしと同年配でな。若いころは坊主《ぼうず》のくせに利《き》かぬ気のやつで、亡《な》き辻平右衛門《つじへいえもん》先生のもとへ剣術の稽古《けいこ》に通うて来たものじゃ」  と、小兵衛はいった。  小兵衛が何故《なぜ》、二本榎の覚真寺をえらんだかというと、又六の老母が壁ごしに聞いた浪人の言葉の中に、 「場所は品川台町の外れ……そこに、女がひとりで住んでいる……」  というのがあったからだ。  二本榎から品川台町までは、ゆっくりと歩いても十五分ほどで達する。  又六が駆け去るのを見送ってから、傘屋の徳次郎は、正月屋の筋向いの茶店へ入った。この茶店は〔七里屋《しちりや》〕という。  七里屋にくらべると、正月屋の構えは大きい。  垣根《かきね》の向うに庭があり、その向うに座敷が見え、酒も料理も出すらしい。  川獺浪人の益田忠六は、庭づたいに入って、その座敷の中へ消えた。障子が開いたとき、これも浪人らしい顔が一つ、ちらり[#「ちらり」に傍点]と見えた。  徳次郎は、七里屋の店の土間の縁台に腰を下ろし、団子を食べ、茶をのみながら、正月屋を見張っていた。 「ここで、人と待ち合せをしているのだ。すまないが、長くなるかも知れない」  こういって徳次郎は、七里屋の婆《ばあ》さんに一分《いちぶ》もこころづけ[#「こころづけ」に傍点]を出した。当時の一分といえば現代の二万円にも相当しよう。婆さんはびっくりもしたが、それからは、 「下へも置かぬ……」  態度を見せはじめたものである。  今日の徳次郎は、きちん[#「きちん」に傍点]とした町人姿になっていて、そういう姿になると、この男は、割合に、 「人品《じんぴん》がよくなる……」  などと、四谷の弥七が、いつか小兵衛にいったこともある。  約|半刻《はんとき》ほどして、川獺があらわれた。  見送って障子を閉めたのは、先刻の浪人ではない。別の浪人であった。  益田忠六は外へ出て、編笠をかぶり、太鼓橋をわたって行く。  小兵衛や弥七は、まだ、あらわれぬ。 (ええ、まあ……もうすこし、居ればいいものを……)  傘徳は、くやしがったが、ぐずぐずしてはいられなかった。 「婆さん。私は徳次郎という者だが、もうすぐに、私をたずねて来る人たちがいる。その人たちにね、私が、橋をわたって、あっち[#「あっち」に傍点]の、お不動様の方へ行きましたと、こうつたえておくれ。いいかね」 「あっちの方……」 「そうだよ、わかったね」 「へい、へい。わかりました」 「それから、この手紙をわたしておくれよ」 「へい、へい」  徳次郎が益田浪人をつけ、目黒不動へ通ずる道へ去ってから間もなく、秋山小兵衛を乗せた町駕籠《まちかご》をはさんで、四谷の弥七と又六が七里屋へあらわれた。  傘徳は、こうしたこともあろうかとおもい、用意の矢立《やたて》の筆で、結び文を残して置いた。  それには、 「しょうがつやのなかの、ざしき[#「ざしき」に傍点]にいるさむらいと、かわうそ[#「かわうそ」に傍点]があっている」  と、したためてあった。 「ふうむ……」  七里屋の縁台にかけた小兵衛が、 「弥七。わしが此処《ここ》にいよう」  と、ささやいた。 「そうして下さいますか?」 「いいとも。又六は、わしについていてもらおう。いざとなって、つなぎ[#「つなぎ」に傍点]がつかなくなったときは、品川台町のあたりへ来てくれ、よいな」 「はい」  うなずいた四谷の弥七が、 「では、傘徳のあとを追って見ます。なに、それほど時がたっているわけでもございません。うまく、見つけ出せましょう」  ささやき返し、太鼓橋をわたって行った。  このところ、めっきりと日足がのびてきたが、さすがに、どこからともなく淡い夕闇《ゆうやみ》が忍び寄ってきていた。  そのころ、傘屋の徳次郎は、目黒不動へ向ってすすむ益田忠六を尾行していた。  益田浪人は、まったく、傘徳の尾行に気づかぬ。  あたまから、自分を尾行する者など無いと、おもいこんでいるかのようであった。  益田は、目黒不動|惣門《そうもん》前の料理茶屋・稲葉屋《いなばや》へ入って行った。 (こいつは、しめた!!)  と、傘徳は勇躍した。  親分の四谷の弥七夫婦と、この稲葉屋とは、ごく親しい。傘徳も何度か、弥七と共に稲葉屋へ来ている。 「ごめんなさいよ」  益田浪人の後から、稲葉屋へ入った徳次郎を見て、座敷女中のおきね[#「おきね」に傍点]が、 「あれまあ、傘徳さんじゃありませんか」 「うむ。ちょいと、御用のすじ[#「すじ」に傍点]でね」 「あれ、まあ……」 「あんまり、大きな声を出しちゃあいけねえ。そっと、お内儀《かみ》さんをよんでくれ」      五  暮れ六ツ(午後六時)すこし前に、正月屋の座敷から、四人の浪人があらわれ、行人坂をのぼって行く。  四人のうちの二人が提灯《ちょうちん》を持ち、一人が何やら細長い箱のようなものを布に包み、腕に抱えている。  これを、七里屋から見ていた秋山小兵衛が、 「婆《ばあ》さん。ありがとうよ」  またも、一分のこころづけをわたしたものだから、茶店の婆さんは、驚愕《きょうがく》の態《てい》であった。  小兵衛は、用意の提灯を又六へわたした。  この日の小兵衛は短袖《みじかそで》の着物に、同様の羽織。軽袗《かるさん》ふうの袴《はかま》をつけ、大小の刀を腰に帯していた。 「又六。お前は、わしの後をつけるつもりで来い」 「あれ、先生。さっきも、傘徳《かさとく》さんが、そういったですよ」 「そうか……ふむ、なるほどな」  四人の浪人は、行人坂をのぼり切ると足を速めた。  夕闇《ゆうやみ》は夜の闇に変りつつあるが、まだ提灯に火を入れることもない。  浪人たちは、六軒茶屋町から白金《しろかね》通りへすすむ。  彼らが、品川台町の、その女の住居を目ざしていることは、もはや判然たるものがあった。  四人の浪人は、白金十一丁目の通りから右手へ切れこんだ。  ゆるい斜面に、畑道が東へのびている。  前方に、宏大《こうだい》な森がくろぐろと見えるのは、おそらく備前岡山三十一万五千二百石・松平内蔵頭《まつだいらくらのかみ》の下屋敷であろう。  そのあたりで、浪人たちが提灯をつけた。  畑道の木立の中から、これを見ていた又六が、提灯をつけようとするのを、 「やめておけ。あいつらの灯《あか》りをたよりについて行けばよいのじゃ」  と、小兵衛が押しとどめた。  ちょうど、そのころ……。  目黒不動門前へさしかかった四谷の弥七を、稲葉屋の若い者が見つけた。稲葉屋では、傘徳のいうことを聞いて、すぐさま人を外へ出し、あとから来るであろう弥七か小兵衛を待ちうけていたのだ。 「親分さん。傘徳さんが、いま、うち[#「うち」に傍点]へ見えています」 「ほんとうか。そいつはよかった」  このとき、稲葉屋には、加藤|勝之助《かつのすけ》・川井|右近《うこん》・木下源太郎の三人。別室に、川井が駆りあつめてきた無頼浪人が四人、あつまっていた。  浪人たちの中には、一足遅れてあらわれた川獺《かわうそ》浪人・益田忠六《ますだちゅうろく》もふくまれている。  すると益田は、稲葉屋へ来る前に、行人坂下の正月屋へ行き、別の四人の浪人と何やら密談をかわしたのち、ひとり正月屋を出て、稲葉屋へやって来たことになる。  だが、益田は、 「おそくなって、すまぬ」  といっただけで、正月屋へ立ち寄ったことなど、|[#「」は「口+愛」第3水準1-15-23 DFパブリ外字=#F3C3]気《おくび》にも出さぬのである。  それはつまり、正月屋の浪人たちは、この加藤らが駆りあつめた浪人たちと何の関係もないことになる。  それでいて益田忠六だけが、双方に、 「関《かか》わり合っている……」  ことになるのだ。  これは、いったい何を意味しているのだろうか……。  弥七が稲葉屋へ入ったとたんに、内儀が飛んで出て来て、 「いま、出るところですよ」  弥七の袖を引いて、奥の帳場へ入った。  先《ま》ず、加藤勝之助と木下源太郎が二階から下りて来て、外へ出て行った。 「あれかね?」 「はい。一人は、御旗本の御長男で、加藤勝之助さまといい、おなじみの……」 「ふむ……」  そこへ、川井右近が四人の浪人をつれて下りて来た。 「あれも……?」 「はい、傘徳さんが、別の座敷から見張っていなすったが……ねえ、親分。いったい、何があったんでございます?」 「さて……はっきりしたことは、私にもわからねえのだ」  川井と浪人たちが外へ出て行くのを見すましたように、傘屋の徳次郎が下りて来て、 「あっ……親分……」  よろこびの声をあげた。 「傘徳。後をつけるんだ」 「合点《がってん》です」 「道々、はなしを聞こう」 「おぼろげながら、様子がわかりましたよ。となり座敷の押入れへ入って、やつらのはなしを聞きました」 「よし。さ、早く……」  稲葉屋の内儀へ、挨拶《あいさつ》もそこそこに、弥七は傘徳をうながして外へ出た。  門前町を下目黒の方へ向う浪人たちの提灯のあかりが、宵闇の中にゆれうごいている。 「傘徳。お前、一《ひと》っ走《ぱし》り、行人坂下の茶店へ行って、秋山先生に、このことをお知らせしろ」 「もしも、先生がいなかったら、どうしますね?」 「む……先生のことだ。何かつなぎ[#「つなぎ」に傍点]をつけておいて下さるにちげえねえ。もし、わからなかったら、品川台町へ駆けつけて来い」 「品川台町のどこへ?」 「ばか。これから、おれが、あいつらの後をつけて行くのだ。そんなことがわかるものか」  と、弥七もいささか、焦《あせ》ってきていた。      六  品川台町の外れにある杉原左内《すぎはらさない》の道場の戸は、すべて閉ざされ、闇《やみ》の中にしずまり返っている。  妙に生あたたかい暗夜であった。  行人坂下の茶店・正月屋を出て、此処《ここ》まで来た四人の浪人は、道場の裏の竹藪《たけやぶ》へ入り、手早く決闘のための身仕度をととのえはじめた。  浪人といっても、みな、小ざっぱりとした風体《ふうてい》で、袴《はかま》をつけ、草鞋《わらじ》ばきであった。彼らは袴の股立《ももだち》をとり、襷《たすき》をかけ、鉢巻《はちまき》をしめた。女ひとりを相手にものものしげ[#「ものものしげ」に傍点]な身仕度ではある。  ひとりが、布包みをひらき、中から何か取り出した。  半弓と、数条の矢であった。  彼らの、ささやき合う声を聞こう。 「……益田忠六《ますだちゅうろく》を待つのか?」 「いや、かまわぬ。われわれで仕とめよう」 「だが、益田は、できたら駆けぬけて来ると、いっていたぞ」 「できたら、と、いうのだ。うまく一人だけ、脱《ぬ》けて来るとはおもえぬ」 「放っておけ。益田は怖いのだ、杉原|秀《ひで》の蹄《ひづめ》が怖いのだ」 「ま、いい。秀が、ここに住んでいることを探り出してくれただけで、益田の役目はすんだ。それでよい」 「さ、そろそろ、まいるぞ」 「高山。おぬしの弓に、のぞみをかけているぞ」 「うむ。ただ一矢《ひとや》で射とめて見せる」 「よし。さ、行こう」  竹藪を出た四人は、杉原道場の裏手へまわり、弓矢を持った一人をふくめて、三人が裏口と、前庭へまわり、抜刀した。  裏手にまわった一人が、蹲《うずくま》って何かしているとおもったら、何と、突然、火が燃えあがった。油をふりまき、火をつけたのである。  そうしておいて、こやつも大刀を抜きはらい、前庭へ駆けまわって来た。  台所に接した小部屋の灯りが、戸の隙間《すきま》から洩《も》れていた……それが、このとき消えた。  中にいる杉原秀が異変に気づき、行燈《あんどん》の火を吹き消したにちがいない。  音をたてて、裏手の火が燃えひろがりはじめた。意外に、火のまわりが早い。  と……。  正面の、道場にあたる縁側の戸が一枚、内側から開き、杉原秀の半身が見えた。  早くも、火が室内へ燃え移りかけてい、その炎が、秀の姿を浮きあがらせているのである。 「何者か?」  秀が、庭前の三人を一喝《いっかつ》した。 「見忘れたか。野口|平馬《へいま》だ」 「上田孫七郎」 「佐藤|兵助《ひょうすけ》」  三人が名乗り、すこし離れて、銀杏《いちょう》の樹《き》に身を寄せ、半弓に矢を番《つが》えている一人は名乗らなかった。 「お前たちの、すること為《な》すことが、みな卑怯《ひきょう》じゃな。火を放って何になる。尋常に名乗りかくれば杉原秀、逃げも隠れもいたさぬ」  笑いをふくんだ落ちついた声音《こわね》でいいながら、秀は脇差《わきざし》を抜きはらい、前庭へ飛び下り、 「将軍ひざもとの江戸府内において放火をなしたる者は、磔《はりつけ》の刑に処せらるるを知らぬのか」  凛然《りんぜん》と、いいはなった。 「うぬ!!」 「問答|無益《むやく》!!」  叫んだ三人が、三方から杉原秀へせまるとき、木陰の一人が半弓を引きしぼり、まさに、秀に矢を射かけようとした。  そのとき、背後から音もなく近寄った小さな影が、抜き打ちに、そやつを撃った。 「うわ……」  矢は空《むな》しく、夜空に飛び、そやつは崩れ倒れている。  峰打ちに、弓矢の男を倒した秋山小兵衛が、半弓の弦《つる》を切り放しておいて、 「通りがかりの者じゃが、御助勢いたす」  よばわって、三人の浪人の背後から近づいて行った。 「何者!!」 「女ひとりに、大の男が四人かよ。すこし、なさけないぞ。この老いぼれが助太刀をすれば、ちょうどよかろう」 「うぬ!!」  小兵衛の左から、激烈な突きを入れて来た浪人が、そのままの姿勢で、どこをどうされたのか、のめりこむように倒れ伏した。 「さ、二人と二人だ。おぬしたちも張り合いが出たろう」  小兵衛が、そういったとき、杉原秀が、野口平馬と名乗った男へ切りつけていた。  小兵衛は、別の一人が打ちこむ一刀を、事もなげに、わが刀をもって擦りあげておき、ぱっと左足《さそく》を引きざま、そやつの胴を打ちはらっていた。これも峰打ちである。 「むうん……」  倒れ伏した男を見返りもせず、小兵衛が杉原秀へ、 「殺すなよ」  と、声をかけた。  秀と野口は、激しく切りむすんでいた。  加藤|勝之助《かつのすけ》一行が、杉原道場へあらわれたのは、それから二十分ほど後のことである。  道場は半焼していた。全焼せずにすんだのは、鰻売《うなぎう》りの又六が近くの百姓たちをよぴあつめ、消火にかかったからである。  杉原秀の姿は、もう、何処《どこ》かに消えていた。  四人の浪人は息を吹き返していたが、いずれも手足を縛られ、前庭にすわりこみ、うなだれている。  程近いところにある細川|山城守《やましろのかみ》・松平|陸奥守《むつのかみ》両下屋敷から藩士や足軽が出張《でば》って来て、大変な騒ぎになっていた。  これを見て、しばらく呆然《ぼうぜん》としていた加藤勝之助が、そこは大身旗本の子息だけに、 「何かあったらしい。迂闊《うかつ》に近寄ってはまずい」  と、いい、一行に解散を命じた。  浪人たちは、およそ半金の二両を、川井|右近《うこん》から受け取っただけで、 「何のことだ」 「ばかばかしい」  などと、ぶつぶついいながらも、二両の金のあたたかさに満足せぬわけでもなく、引きあげて行った。  その中に、川獺《かわうそ》浪人・益田忠六がまじっていたのは、むろんのことだ。  翌朝早く、深川島田町の裏長屋を旅仕度で出ようとした益田浪人は、四谷《よつや》の弥七《やしち》に捕えられた。  益田も必死になり、大刀を引き抜いて立ち向ったのだけれども、弥七は、ただの御用聞きではない。  名人・秋山小兵衛のもとで、何年も剣術を修行した男だ。  弥七の十手《じって》に大刀を叩《たた》き落され、益田忠六は、たちまちに押し倒され、捕縄《とりなわ》をかけられてしまったのである。      七  杉原|秀《ひで》の父・杉原左内は、もと、伊勢桑名《いせくわな》十万石・松平下総守《まつだいらしもうさのかみ》の家来であった。  八年前に、左内は、同藩の馬廻役《うままわりやく》をつとめる野口|甚太夫《じんだゆう》を斬《き》ってのち、むすめの秀をつれて桑名城下を脱出した。  単なる喧嘩《けんか》ではない。検分の士《もの》二名が立ち合った上での、正々堂々の決闘であったという。  決闘の原因は、剣法についての意見の相違から激しい論争となり、それだけに双方が、 「退《ひ》くに退《ひ》かれぬ……」  かたち[#「かたち」に傍点]となったからだ。  野口甚太夫は、東軍流《とうぐんりゅう》の名手で、桑名藩の剣術指南を兼ねてい、杉原左内の一刀流もまた、藩中にきこえたものであった。  いざ、決闘となると、二人は精根の限りをつくして闘い、双方ともに数ヵ所の傷を負ったが、ついに、杉原左内の勝ちとなった。  真剣をもっての勝負ではあったが、これは正規の果し合いで、藩庁へも届け出た上、おこなわれたものだ。  ゆえに、 「人を殺《あや》めたときは、即座に腹切るが武士の道なれど、こたびは、わしが自決することは却《かえ》って武士の作法にそむくことになる」  と、杉原左内はいい、秀をつれて脱藩をした。  それというのも、斬って殪《たお》した野口甚太夫には平馬《へいま》・亀次郎《かめじろう》という息子がいたし、実弟の上田孫七郎も桑名藩士であり、さらに、甚太夫の門人たちも、 「このままに捨ておけぬ。杉原左内の首を落さぬうちは、先生の霊が浮ばれぬ」  熱《いき》り立って同勢十二名が、すぐさま、杉原|父娘《おやこ》を追跡した。  そして、鈴鹿峠《すずかとうげ》で父娘に追いつき、凄《すさ》まじい斬り合いとなったが、杉原父娘は奮闘して、甚太夫の次男・亀次郎と門人四名を斬り殪し、見事に野口党の包囲を脱出した。  このとき、父を助けて秀が投げ撃った釘形手裏剣《くぎがたしゅりけん》を、野口党の中で身に受けぬものは一人もいなかったそうな。  桑名藩では、意趣遺恨の殺人ではなく、双方が一廉《ひとかど》の剣士であって、それも藩庁へ届けを出し、検分の士の前で悪びれることなく闘ったにもかかわらず、負けた野口甚太夫の遺族や門人たちが勝手気ままに城下を脱《ぬ》け出し、杉原左内を追ったことに対しては、 「まことにもって、けしからぬことである」  との考えの上に立ち、きびしい処分をすることにした。  これは、また、無断で脱藩した杉原左内に対しても同様である。  左内が脱藩したのは、相手方の復讐《ふくしゅう》を恐れてのことではない。主家の城下を、この上にも騒がせ、血なまぐさい事件を積み重ねてはならぬと決意し、われから逃げたのであった。  野口平馬・上田孫七郎と、数人の門人たちは、鈴鹿峠のことがあってから国もとへ帰らず、そのまま、杉原父娘を探しもとめて旅へ出たのである。  それが、七年前のことだ。  野口平馬たちは、桑名藩にいる親類たちから、ひそかに援助をうけ、探索の旅をつづけていたことになる。  川獺《かわうそ》浪人・益田忠六《ますだちゅうろく》も、野口甚太夫の門人のひとりだ。  桑名藩では、杉原・野口両家について、 「家名断絶」  の処置をとり、今後は一切、自藩との関係はないということにしてしまった。  大名家として、まことに公平な処置といわねばなるまい。  こうしてことは、町奉行所の取調べにより、すべて明白となったのである。  捕えられた益田忠六の自供によって、加藤|勝之助《かつのすけ》も評定所や奉行所へ召喚をうけ、取り調べられた。  勝之助の父・加藤|主膳正《しゅぜんのしょう》や、川井・木下の父兄にとっても、これは、 「寝耳に水……」  の衝撃であったろう。  杉原秀は、町奉行所の取調べを受けたのち、十日後に釈放された。  父の杉原左内は、三月ほど前に病歿《びょうぼつ》していた。それにもかかわらず、加藤勝之助らに、杉原秀が「父の留守中に、勝手な立ち合いはできぬ」といったのは、あくまでも無益《むやく》の闘いを避けたかったからだ。  いずれにせよ、益田忠六が、本所《ほんじょ》あたりの無頼浪人どもの群れに投じていなかったら、加藤勝之助の手先になることもなかったろうし、したがって、杉原父娘の所在を突きとめることもできなかったことになる。  益田は、無頼浪人から、あのはなし[#「はなし」に傍点]をもちかけられたとき、 「なんでも、その女は、手裏剣のような物を投げ打って、なかなかに手強《てごわ》いらしい」  と聞き、とたん、 (もしや、杉原のむすめではないか……?)  直感した。  そして翌朝、品川台町へひとりで出かけて行き、杉原道場をたしかめた上で、下谷《したや》・坂本裏町の長屋に住みついていた野口平馬たちへ、このことを急報したのである。  彼が、野口党と共に品川台町へおもむかなかったのは、野口平馬から、 「おぬしは目黒へ行き、その旗本の子弟たちが品川台町へ向うのを、できるだけ引きのばしてくれ。その前に、われらの手で杉原父娘を討ち取りたい」  と、たのまれたからだそうだが、七年前の鈴鹿峠で、杉原父娘の冴《さ》えきった闘いぶりを目撃し、秀の手裏剣を股《もも》へ撃ちこまれているだけに、いざとなると益田忠六は、正面から立ち向う気力をうしなってしまったのであろう。      ○  町奉行所から釈放された杉原秀が、そのまま鐘《かね》ヶ淵《ふち》の秋山小兵衛隠宅へあらわれたのは、春も闌《た》けた或《あ》る日のことで、碧空《へきくう》は早くも夏の足音をひそめ、陽光に輝いていた。 「よかった、よかったのう……」  小兵衛は、秀が告げるのを聞いて大いによろこんだ。 「おかげをもちまして……」 「いや、なに……それもこれも、鰻売《うなぎう》り又六の老母のおかげじゃ」 「はい。これより、又六どののお住居《すまい》へまいり、御礼を申しあぐるつもりでございます」 「それは、それは……」 「又六どののお住居は、いずれでございましょうか?」 「ま、明日でよい。明日の朝、わしが連れて行ってあげよう。今夜は此処《ここ》へお泊りなさい」 「はあ……」 「これから、どうなさる?」 「は……とりあえず、品川台町へもどりまして、あの近くの若者たちへ……」 「剣術を教えなさるか……」 「面映《おもは》ゆいことにございます」 「なんの……それよりも、お秀さん……」 「は……」  お秀さん……などと呼ばれたことがない杉原秀は、何か戸惑いの表情を浮べた。 「わしも、武芸者の端くれじゃ」 「は……御高名を、かねがね……」 「そんなことじゃない。なればよ、お前さんの手裏剣の妙技を、ぜひとも見せていただきたいのじゃ」  こういって秋山小兵衛が、かたちをあらため、 「たのみ申す」  しずかに、頭を下げた。  このとき杉原秀は、根岸流《ねぎしりゅう》の手裏剣と、かの〔蹄《ひづめ》〕を所持していた。  というのは、町奉行所の要請によって、それらの武器を提示したからであった。 「では、未熟ながら……」  と、秀もかたち[#「かたち」に傍点]を正した。  小兵衛は、秀のいうままに、十尺の細長い厚板を土中に埋め立てた。  杉原秀は例によって、髪を無造作に束ね、身につけているものは農婦の衣類である。  先《ま》ず、秀は正規の手裏剣十本を持ち、小兵衛が埋め立てた板の的から五間(九メートル)はなれて立った。  的の板には、小兵衛が墨でしるした黒点が十ヵ所ある。  それへ向って、 「えい!!」  秀が、またたく間に十本の手裏剣を投げ打った。 「あれえ……」  と、小兵衛の傍《そば》で見ていたおはる[#「おはる」に傍点]が感嘆の声を発した。  十本の手裏剣は、十ヵ所の黒点へ、あやまたずに打ち込まれていたのである。  秀は小兵衛に一礼し、今度は〔蹄〕を十一箇つかみ取り、さらに一間下って身がまえた。  おはるは小兵衛の背中へ、しがみつくようにし、むしろ青ざめて、杉原秀を見つめていた。  秋山小兵衛は、きびしい顔つきのまま端坐《たんざ》し、身じろぎもせぬ。  はらはら[#「はらはら」に傍点]と庭に舞っていた白い蝶《ちょう》が、小手毬《こでまり》の真白《まっしろ》な花にとまった。  その瞬間に、 「む!!」  低い気合声と共に、杉原秀の右手が縦横にうごいた。  と……。  先に、的へ突き立っていた手裏剣が、つぎつぎに〔蹄〕の鉄片に頭を叩《たた》かれ、するどい音をたてた。  最後に残った一片を、 「えい!!」  秀が裂帛《れっぱく》の気合を発して、的の何処《どこ》かへ投げつけると、その反動で、的に突き立っていた十本の手裏剣が、いっせいに音を立てて抜け落ちたものである。  おはるが声もなく、小兵衛の肩へしがみついた。 「ふうむ……」  小兵衛も、うなった。  とても、二十六歳の女の技倆《ぎりょう》とはおもえぬ。  杉原秀は、ひざまずいて小兵衛に一礼した。 「お見事じゃ」 「おそれいります」  秀の浅ぐろい顔に、うす汗がにじんでいる。  おはるは秋山小兵衛の耳もとへ、ふるえ声で、こうささやいた。 「先生。私、このひとのほうが、三冬《みふゆ》さまより、ずっと好きだよう」     暗殺      一  どこかで、遠雷が聞えた。  舟から下りた秋山|大治郎《だいじろう》へ、おはる[#「おはる」に傍点]が火の入ったぶら[#「ぶら」に傍点]提灯《ぢょうちん》をわたし、 「若先生。気をつけて行きなせえよう」  いうや、すぐに、舟を大川(隅田川《すみだがわ》)の川面《かわも》へもどして行った。  暗闇《くらやみ》の川面に、おはるの小舟につけた舟《ふな》提灯が見る見る遠去かって行く。  いまはちょうど、春と夏の境であるが、それにしては妙に蒸し暑い。  今日は午後から、父・小兵衛《こへえ》の隠宅へ出かけて行き、たっぷりと酒をよばれたので、体が火照《ほて》っているのやも知れぬ。  浅草の外れの舟着き[#「舟着き」に傍点]へ下りた大治郎は、真崎稲荷《まさきいなり》の社《やしろ》の裏手にある自分の道場へ向って、ゆっくりと歩みはじめた。  五ツ半(午後九時)ごろであったろう。  大川|辺《あた》りの料理茶屋からは、まだ灯《あか》りがもれていたし、酔客の笑い声も聞えていたが、大川へながれこむ思川《おもいがわ》沿いの小道を左へ切れこむと、あたりはもう、黒漆《くろうるし》をぬりこめたように暗かった。  雷鳴が、急に近くで聞えた。 (まるで、夏が来たような……)  大治郎は、足を速めた。 (すぐ、雨になる……)  と、感じたからだ。  思川にかかった土橋をわたり、我が家へ向いかけて、 (や……?)  大治郎は、振り向いた。  総泉寺《そうせんじ》の方で、異様な物音が聞えたからだ。  何といったらよいか、重い物を地面へ叩《たた》きつけて、その硬い表皮が破れ、中に詰めこまれていたものが一度に散溢《さんいつ》したような……それは、大治郎の感能のみが、 (異常な……)  と、聞いたのやも知れぬ。  高い音ではない。  だが、遠くで聞えたその物音は、大治郎にとって、 (聞きのがせぬ……)  音だったのである。  土橋をわたり返してから、大治郎は屈《かが》みこんで耳をすました。  彼方《かなた》で、男の悲鳴が聞えたのは、そのときである。  大治郎は走り出した。  走るといっても、提灯の火を消してはならぬ。もどかしくはあったが一定の速度をもって畑道を駆けて行くと、いきなり稲妻が疾《はし》った。  稲妻の光が、一瞬ではあったが、黒い男たちの姿を浮きあがらせ、彼らが何か叫んだ。  彼らは手に手に白刃《はくじん》を抜き持っていた。人数は三、四人に見えた。  彼らも駆け寄って来る大治郎に気づいたらしい。 「よせ!!」  と、だれかが叫んだ。  これは、大治郎を迎え撃とうとする仲間へ声をかけたものらしい。  だが、稲妻が消えて、もとの闇《やみ》が彼らの姿を隠したとき、突風のごとく大治郎へせまった曲者《くせもの》が、無言のままで襲いかかって来た。 「む!!」  大治郎の左手に持った提灯が、わずかにゆれうごいたけれども、火は消えぬ。  激しく突き入れて来た曲者の一刀は空《むな》しく闇を裂いたのみであった。 「むうん……」  曲者が刀を放《ほう》り落し、畑道へ倒れた。大治郎の手刀にどこかを強打されたらしい。 「何者だ!!」  大治郎の一喝《いっかつ》に、曲者たちは黙った。  さしつける提灯のあかりから、彼らは逃げ、大治郎を遠巻きにしているのだ。 「う、う……」  どこかで、人のうめき声がした。  畑道をのぼり切ったところは、総泉寺の北側の塀《へい》外の松の木立であった。 「出て来い」  うめき声のする方へ歩みを移しつつ、大治郎が声をかけた。  すると、それを待っていたように、曲者たちが逃げて行く気配がした。 「早く……」 「山口を早く……」  などと、いいかわす低い声が聞えた。  また、稲妻が光った。  曲者たちの姿は、大治郎に打ち倒された男をふくめて、みな、消えていた。  向うの塀ぎわに、一人の男が倒れているのを大治郎は見た。  曲者たちは、この男を襲撃したにちがいない。  すこしはなれたところに、町駕籠《まちかご》が一|挺《ちょう》投げ出されてい、駕籠|舁《か》きが二人、気をうしなって倒れていた。  大治郎は先《ま》ず、うめいている男を片手に抱き起した。  若い侍である。 「これ、しっかりなさい」  大声で呼びかけると、 「う……ああっ……」  意識を取りもどした若侍が、おどろいて身をもがいた。 「通りがかりの者です。曲者は逃げた。安心なさるがよい」 「あ……」  顔の左半分が、べっとりと血に濡《ぬ》れている。  かなりの重傷らしいが、 (助からぬものでもない……)  と、大治郎はおもった。  助からぬものならば遺言を聞いてやらねばならぬ。助かるものならば傷の手当を急がねばならぬ。      二  大治郎は、その場で若侍の傷口へ応急の処置をほどこした。  頭と背中、それに左腕の三ヵ所を切られている。  深い傷ともおもえなかったが、出血がひどく、大治郎は気が気でなかった。  若侍の衣服を引き裂き、血どめをし、それから駕籠舁《かごか》きたちへ活を入れた。 「これ、おどろくな。私が曲者《くせもの》どもを追いはらった。怪我人《けがにん》を私の家まで運んでくれ。酒手をはずむぞ」 「へ、へい……」  この町駕籠は、浅草・山之宿町《やまのしゅくまち》の駕籠屋〔駕籠|駒《こま》〕から出たもので、そこの町駕籠は秋山小兵衛もよく用いている。  大治郎が、父の名前をいうと、 「さようでごぜえましたか、秋山先生の……」  駕籠舁きたちは、それから協力を惜しまなくなった。  若侍を我が家へ運びこむや、出迎えた飯田粂太郎《いいだくめたろう》少年に、大治郎が、 「一両ほどあるかね?」 「ございます」  すぐさま粂太郎が、小判一両を出して来た。  このごろの秋山大治郎は一両、二両の金なら何とかなるようだ。  それも、老中・田沼意次《たぬまおきつぐ》邸へ出稽古《でげいこ》に行っているからであろう。 「さ、これをやろう」  一両を駕籠舁きへわたそうとすると、 「と、とんでもねえことで……」 「そのかわり、まだ、はたらいてもらわなくてはならぬ」 「へい、へい」 「何でもいたします」 「ならば遠慮するな。取っておけ」  大治郎は粂太郎を駕籠に乗せ、父の親友である町医者・小川|宗哲《そうてつ》のもとへ走らせることにした。 「よいか、粂太郎。この様子《さま》を宗哲先生に申しあげろ。そして、駕籠へ乗っていただき、すぐさま、お運びをねがってくれ」 「かしこまりました」  飯田粂太郎は駕籠に乗り、本所《ほんじょ》・亀沢町《かめざわちょう》の宗哲邸へ駆け向った。  若侍は、昏睡《こんすい》している。  顔に生色がなかった。  年齢《とし》のころは、二十四、五歳であろうか。  細面《ほそおもて》で、なかなかの美男である。  喉仏《のどぼとけ》が突出してい、髭《ひげ》あとが濃い。  大治郎は家にあった傷薬を出し、小川宗哲が来るまでに、いま一度、応急の手当をしておこうとおもい立った。  何しろ、出血がひどい。  雷鳴も稲妻も、いまは熄《や》んでいた。  ついに、雨は降らなかった。  先ず、頭の傷の手当をし、双肌《もろはだ》をぬがせて、背中の手当にかかった。  生臭い血のにおいが、せまい部屋にたちこめている。 「おい。これ……」  大治郎は、あわてた。  若侍の呼吸が、にわかに切迫してきたからだ。  仰向《あおむ》けにさせて、 「これ。しっかりしろ!!」  耳もとで叫ぶと、 「むう……」  わずかにうめき、若侍が白い眼《め》を開けた。 「おい。もう大丈夫だぞ。気をたしかにもて!!」 「う……」 「これ、おい。気を張っていろ、気を張って……いま、すぐに、医者が来るぞ!!」  そのとき、若侍が何かいった。 「何だ?」 「う……」 「これ、何かいうことがあればいえ」 「ま、待って、いる、女……」 「なに、女が、待っていると?」 「う……」 「ど、何処《どこ》に……何処にだ?」 「待って……」  と、微《かす》かに、もう一度、いったのが最後であった。  若侍の息が絶えた。 「これ、おい……おぬしの名は、何という?」  もはや、こたえはなかった。  大治郎は、若侍の危急を救ってから、ここにいたるまで、 (自分の手落ちはなかったろうか?)  反省をしてみた。手落ちはないとおもった。先刻の曲者たちの尾行にも充分に気をつけたつもりである。  やがて、小川宗哲を駕籠に乗せ、飯田粂太郎がもどって来た。 「宗哲先生。夜ふけに申しわけもございませぬ。息が絶えてしまいました」 「さようか。それは残念な……」  宗哲は、若侍の遺体をあらためて見た。  若侍の背丈は尋常であったが、体は痩《や》せおとろえている。骨が浮き出した胸肌に、体毛が濃い。 「これは、労咳《ろうがい》を病んでいたようじゃな」  と、小川宗哲。  労咳は肺結核のことで、そのころは絶対に助からぬ死病だったといってよい。  大治郎は、待たせておいた駕籠舁きに質問をした。  若侍は、山之宿の駕籠駒へあらわれ、 「玉姫稲荷《たまひめいなり》の前まで行ってくれ」  と、いったそうな。  玉姫稲荷は、総泉寺に接した浅茅《あさじ》ヶ原《はら》の西方の田畑の中にある小さな稲荷社である。  四月十五日の祭礼には神輿《みこし》も出るし、 「境内|僅《わず》かなれども田園の眺望《ちょうぼう》ありて、佳景の地なり」  と、物の本に見えてある。  その途中で、曲者たちに襲われた。 「顔色は青いし、病人のように見えましたが……へい、にこにこと笑っていてね。何かこう、うれしそうな顔つきをしていたのでござんす」  と、駕籠舁きが、駕籠駒へあらわれたときの若侍の様子を語った。 「御苦労だった。また、訊《き》くことができたら、こちらから出向こう。そのときはよろしくな」 「へい、へい。いつでも、おいでなすって下せえまし」  駕籠舁きが帰ったあとで、大治郎は宗哲先生へ、茶わんへ汲《く》んだ冷酒を出し、 「まことに、御足労でございました」  両手をつき、挨拶《あいさつ》をした。 「おお、おお……」  礼儀正しい大治郎を、宗哲は眼を細めて見やり、 「これが、医者のつとめよ、めずらしくもない。当然のことさ」 「おそれいりましてございます」 「ほほう……この家《や》にも、このごろは酒が備えてあるのかえ」 「はい」 「だんだん、小兵衛さんに似てくるのう」 「さようでございましょうか」 「ああ、さようだとも。ときに……」  と、宗哲が若侍の遺体を指して、 「大治郎殿は、何と見るな?」 「さて……」 「どうも、いずれかの旗本屋敷に奉公をしている者のように見うけられる。身なりがきちん[#「きちん」に傍点]としているし、さりとて大名家の者ともおもわれぬ」  諸方へ出入りしている小川宗哲の言葉だけに、信じてよいだろう。  両手を血だらけにして飯田粂太郎は、若侍の遺体を浄《きよ》めている。  大治郎と宗哲は、若侍が腹に巻きつけていた柿色《かきいろ》の布を引きはがしてみた。  何か入っている。重い。  その布の中に、なんと、百両もの小判がしまいこまれていたのである。  その他の持ち物には、とりたてて異常なものが見当らなかった。  腰に帯していた大小の刀も、それが刃物だというにすぎぬほど、粗末なものであった。 「いますこし、入念にあらためて見よう」  宗哲はそういいながら、若侍の衣類を調べにかかった。      三  下谷《したや》の湯島天神《ゆしまてんじん》下に、五千石の大身《たいしん》旗本・杉浦丹後守正峯《すぎうらたんごのかみまさみね》の屋敷がある。  秋山大治郎に「待っている……」の一言を残して死んだ若侍は、この杉浦丹後守の家来で、名を笹野小文吾《ささのこぶんご》という。  五千石の旗本といえば、一万石二万石の大名なぞよりも、格式・体裁をととのえなくてすむし、内証はずっとゆたかである。  しかも将軍直属の家臣であるから、家来たちまでも、憖《なまじい》の大名のことを陰では、 「あの木《こ》っ端《ぱ》大名が……」  なぞといったりする。  屋敷は約二千五百坪。奉公人は用人・家来から下は中間《ちゅうげん》・下男・下女をふくめて五十人をこえる。  当主の丹後守正峯は、幕府の書院番の一人で、組下の番衆五十人・与力《よりき》十騎・同心二十人をひきいている。  戦時においては、将軍を護衛するのが書院番の役目であるが、平時は江戸城・殿中の要所を固め、何かの儀式でもあるときは小姓組と共に、将軍の給仕をつとめる。  もちろん、将軍が外出の折は、その乗物の前後をきびしく護衛するという、幕府職制の番方(武官)の中では、まことに重要な役目で、俗に八万騎といわれる旗本の中でも、しかるべき家柄《いえがら》のものが特にえらばれるのだ。  杉浦丹後守は、幕閣でも、 「いまどき、めずらしい……」  硬骨の武人だと評判されているらしい。  槍術《そうじゅつ》は佐分利流《さぶりりゅう》の名手だとかで、五十をこえたいまも、毎朝、暗いうちに奥庭へ出て槍《やり》を揮《ふる》う。  家柄は、なにしろ、初代将軍徳川|家康《いえやす》の父・広忠《ひろただ》のころから仕えていたというのだから、旗本の内でも譜代中の譜代といってよいだろう。  寡黙《かもく》で、誠実一方に見えるし、将軍の覚えも、 「めでたい」  ということだ。  いかにも武術に鍛えぬかれた筋骨がたくましく、背丈も高い。鋭い目をことさらに細め、口を一文字に引きむすんで丹後守正峯があらわれると、配下の番衆たちも、また家来たちも、おもわず体が固くなってくる。息がつまりそうになる。  別に、口やかましいことをいうわけではないのだが、丹後守の、 「無言の威厳」  に、圧倒されてしまうらしい。  ところが……。  こんな陰口も聞かれぬではない。 「なんというても、金じゃ。杉浦丹後守の蔵《くら》には、金がな、早《はよ》う遣《つこ》うてもらいたい、遣うてもらいたいと夜泣きをしているそうな」 「あれでいて、色好みじゃそうな」 「まさかに……?」 「いや、そうらしい……といううわさ[#「うわさ」に傍点]もあるぞよ」 「それに……」 「何じゃ?」 「あれで、丹後守はな、なかなかに立ち廻《まわ》りが上手だという。御老中・田沼様への御遣物《おつかいもの》なぞ大変なものだと聞く」 「ほう……」 「金じゃな。金がのうては、どうにもならぬことよ。われらは、もはや、この上の立身の望みは絶えたようなものじゃ」  その杉浦丹後守が、この夜ふけに、自邸の居間で、用人・鈴木|市兵衛《いちべえ》と密談をかわしている。  旗本の用人は、大名の家老にあたる。  鈴木市兵衛は五代にわたって、杉浦家の用人をつとめてい、当代の市兵衛は三十八歳。八年前に亡《な》くなった父の跡をつぎ、丹後守につかえ、信任を得ている。 「それで、その、横合いから手出しをいたし、笹野小文吾を何処《いずこ》かへ運び去ったという浪人|体《てい》の男の居所《いどころ》はわかったのか?」 「はい。ようやくに、つきとめました。浅草|山之宿《やまのしゅく》の、小文吾めが乗っておりました町駕籠《まちかご》が出た駕籠屋を探らせまして、うまく聞き出しましてございます」 「怪しまれてはおるまいな?」 「なんの。駕籠|舁《か》きふぜい[#「ふぜい」に傍点]の口は軽いものでございまして……」 「で、その浪人とは?」 「いえ、それが剣術の道場の主《あるじ》なので……もっとも、道場ともいえぬほどの小さな……」 「ふうむ……」 「名を、秋山大治郎とか……」 「なに……?」 「御存知でございますか?」 「いや……だが、耳にしたおぼえがあるような気がする。むかし、四谷《よつや》に無外流《むがいりゅう》の道場をひらいていた秋山小兵衛という剣客は、なかなかの名人と聞きおよんでいたが……」 「いえ、名は大治郎でございます。まだ若い男で、近辺のうわさによりますと、その道場には、ほとんど門人も寄りつかぬそうで……」 「どのような男じゃ?」 「いえ、私はまだ、顔をたしかめてはおりませぬ。人をつかわして探らせております」 「当家に関《かか》わりのない者を使っておるのであろうな?」 「御案じなさいませぬよう」 「では何か、笹野小文吾は、その秋山道場で息絶えたと申すのじゃな?」 「小文吾を乗せた駕籠舁きが町医者を迎えに行き、帰りにも乗せて行ったところから、小文吾が死亡したことをたしかめることができたのでございます」 「ならばよい。小文吾が死んだのであれば、先《ま》ず、よい。よいが、なれど、死ぬる前のことじゃ。その秋山|某《なにがし》に救われ、家へ運ばれて息絶ゆるまでの間に、小文吾めが秋山某に何か、いい遺《のこ》していたら、これはどうなる。これ、市兵衛」 「はい。いかさま、それは……」 「急げ。急いで、そこのところを探れ。金を惜しむな」 「はい」 「小文吾の死体は、どうなったのじゃ?」 「今朝、近くの寺へ、一応は埋めたらしゅうございます」 「すると、小文吾の身もとが知れなかったことになる」 「はい」 「では、当家のことも知れずにすんだやも……いや、油断はならぬ。尚《なお》も、しか[#「しか」に傍点]とたしかめよ。その秋山某の身辺を探れ。金を惜しむな」 「心得ましてございます」 「いざとなれば、その、秋山某をも葬《ほうむ》らねばなるまい」 「手強《てごわ》い相手と見えまする」 「手強ければ、その上に手強い者をさし向けるのじゃ。金を惜しむな」 「はっ」      四  日中は、よく晴れわたっていたのだが、夜に入ると風が絶え、湿り気をふくんだ闇《やみ》が重くたれこめ、蒸し暑くなってきた。 「若先生。そろそろ腰をあげましょうか。一雨《ひとあめ》やって来そうです」  と、四谷《よつや》の御用聞き・弥七《やしち》が、秋山大治郎にいった。 「そうだな。では……」  盃《さかずき》を置き、大治郎が立ちあがった。  この日の午後に……。  大治郎は、父・小兵衛の隠宅を訪れ、間もなく弥七が、 「浅草までまいりましたので……」  と、機嫌《きげん》うかがいにあらわれたので、しばらく語り合ううち、小兵衛が台所へ立とうとした。今日は、おはる[#「おはる」に傍点]が関屋村《せきやむら》の実家へ泊まりがけで帰っているそうな。それで小兵衛が夕餉《ゆうげ》の仕度にかかろうとしたのである。小兵衛ひとり分の仕度は、おはるがして行ったのだが、その他《ほか》に用意がない。 「さて、どうしたらよいものか……」  台所であぐねて[#「あぐねて」に傍点]いる小兵衛に、大治郎と弥七は挨拶《あいさつ》をし、辞去することにした。 「そうしてくれるか、すまぬのう」  小兵衛が、気の毒そうにいった。  そこで二人は、本所《ほんじょ》・横網町《よこあみちょう》の居酒屋〔鬼熊《おにくま》〕へまわって、一刻《いっとき》ほど、酒をのみながらすごしたわけだ。  ここからだと、弥七は両国橋をわたるのが道順だし、大治郎は大川橋(吾妻橋《あずまばし》)へもどって浅草へ出るのが近い。 「いえ、お送りいたしましょう。その、山之宿《やまのしゅく》の駕籠駒《かごこま》へ寄り、ちょいと聞き込みをしてみたいとおもいますんで」  と、弥七がいったのは、小兵衛宅でも鬼熊酒屋でも、三日前のあの事件[#「あの事件」に傍点]を聞かされたからだ。  大治郎は、むろん、名も知れず身元も不詳の若侍の死を上《かみ》へ届け出ており、町奉行所の警吏の調べにも立ち合っている。 「それにしても、妙なはなし[#「はなし」に傍点]だ。ふところに百両もの大金を持っていて、闇討ちをかけられるというのは徒事《ただごと》じゃありませんよ、若先生」 「私もそうおもうのだが、これからのことは、もう私にとって関わり合いのないことだ。弥七どのの、これは受け持ちだろう」 「ですが、縄張《なわば》りがちがいますから……」 「なるほど」 「ですが、私は私なりに、ちょいと探って見たくなりました」 「どうして?」 「だって、若先生……」  語り合いつつ、いつしか二人は、大川橋へさしかかっている。  橋の右|袂《たもと》に、三軒ほど茶店がたちならんでいるが、いずれも表戸を閉め、五ツ(午後八時)をまわったこの時刻にはあたりに人の気配もなかった。  ぽつり[#「ぽつり」に傍点]と、雨が落ちて来た。 「いけません。とうとうやって来ました。これだったら鬼熊で傘《かさ》の一つも借りて来るのでしたね」 「そうだったな」  二人は、急ぎ足に大川橋をわたりはじめた。  大川橋は、浅草の花川戸《はなかわど》から本所・中ノ郷へ架る長さ八十四間、幅三間半の大橋《たいきょう》で、数年前に、この橋が大川へ架ったときには、大和の国から江戸見物に来ていた八十七歳の老翁《ろうおう》が渡り初《ぞ》めをしたという。  橋の中程まで来て、大治郎と弥七が、まるで申し合せたようにぴたり[#「ぴたり」に傍点]と足をとめた。  とめて、眼《め》と眼を見合せた二人が同時に、ぱっ[#「ぱっ」に傍点]と橋の両側へ飛びはなれた。  その瞬間であった。  ひたひた[#「ひたひた」に傍点]と背後から二人を尾《つ》けて来た黒い影が五つ。物もいわずに刃《やいば》を抜きはらい、いっせいに大治郎と弥七目がけて襲いかかった。 「む!!」  胸をそらせて先頭の一人の一刀をかわした秋山大治郎が、颯《さっ》と右足をまわして引き、身を沈めた。 「うわ……」  そやつ[#「そやつ」に傍点]の体が宙に浮き、声が橋下の闇へ呑《の》まれた。大川へ投げ込まれたのである。  その水音が聞えたとき、つぎの一人が打ちこむ刀を、大治郎は抜き合せた大刀で打ちはらい、反転して別の一人へ浴びせかけた。 「ぎゃあっ……」  すさまじい悲鳴があがった。  そやつの右腕が肘《ひじ》のあたりから切断され、橋板へ落ちた。  弥七は、どこにいるのか見えぬ。 「うぬ!!」  残る三人が大治郎を取り囲んだ。 「おのれたちに、私は斬《き》れぬぞ」  大刀をひっさげたまま、大治郎が断定的にいった。 「だれに、たのまれた?」 「う……」  一歩、二歩とせまる大治郎に圧倒され、前面の二人がじりじりと退《さが》る。 「たあっ!!」  背後の一人が、それでも必死に刃を突き入れた。  ほとんど、大治郎の体はうごかぬと見えたのに、突きをかわされた曲者《くせもの》が|踏鞴[#「鞴」は底本では「鞴」の「革」を「韋」にしたもの、第3水準1-93-84]《たたら》を踏んで立ち直らんとする、その右腕へ早くも大治郎の一刀がすべりこんだ。  これも右腕を切り落された。 「いかん、逃げろ」  一人が叫んだ。  腕を切られた二人が、耐えきれぬ呻吟《しんぎん》を発しつつ必死に逃げた。  これを庇《かば》うようにして、無傷の二人が大治郎へ刀を構えながら退って行く。  大治郎は追おうともせぬ。  雨が降りはじめてきた。  彼らの姿が闇に消えたとき、いままで何処《どこ》にいたのか、四谷の弥七が大治郎の傍《そば》を擦りぬけて行きながら、 「お手つだいもいたしませんで……」  声をかけ、曲者どもの後を追って行った。追うというよりも密《ひそ》かに尾行するつもりらしい。  なればこそ弥七は、逃げたと見せかけ、橋板に伏せていたのだ。  弥七を見送った大治郎が、 「そうか……なるほど」  大きくうなずき、刀にぬぐいをかけて鞘《さや》へおさめた。  そのまま悠々《ゆうゆう》と、秋山大治郎は大川橋をわたりきった。  雨音が、かなり烈《はげ》しくなってきた。  大治郎は草履《ぞうり》をぬぎ、これを手ぬぐいで包んでふところへ入れ、袴《はかま》もぬいで折りたたみ、これを抱えるようにし、裾《すそ》をからげて走り出した。  顔見知りとなった山之宿の駕籠駒へ行き、駕籠を出してもらうつもりであった。  ところが……。  駕籠駒へ着いて見ると、大変なさわぎがもちあがっていた。  先夜、かの若侍の駕籠を担《かつ》いでいた駕籠舁きが、 「つい、一刻(二時間)ほど前に、殺されたんでございますよ、若先生」  と、駕籠駒の女房《にょうぼう》が大治郎に告げたのである。 「な、なんですと……」  二人は、夕暮れ近くなって、千住大橋《せんじゅおおはし》までという客を乗せて出た。  そしておそらく、その帰り途《みち》であったろうが、浅草・山谷《さんや》の外れの畑道で何者かに斬殺《ざんさつ》された。その後へ通りかかった新鳥越町《しんとりごえちょう》の正法寺という寺の僧がこれを見つけ、落ちていた駕籠駒の提灯《ちょうちん》からそれ[#「それ」に傍点]と知り、すぐに駆けつけて来てくれたのだそうな。 「ふうむ……」  大治郎の眼が光った。 (これは、捨てておけぬ)  と、おもった。  折から、聞き込みに来ていた浅草・聖天町《しょうでんちょう》の御用聞きで玉吉《たまきち》というのが、 「お初にお目にかかります。秋山さまの若先生でございますか」 「さよう」 「私は、四谷の弥七と、昵懇《じっこん》にしております者で……」      五  翌日の夜ふけに……。  杉浦丹後守《すぎうらたんごのかみ》屋敷の奥の間で、丹後守と用人・鈴木|市兵衛《いちべえ》が密談をかわしている。 「市兵衛にも似合わぬことではないか」 「まことにもって……」 「いったい、どうしたことじゃ」 「申しわけもございませぬ。ともあれ、相手が、あまりにも手強《てごわ》すぎるのでございます。昨夜は、江戸にいる浪人剣客の中でも、とりわけ手足《てだ》りの男たちばかり狩りあつめたのでございますが……」 「ふうむ」 「その秋山大治郎という男は、先夜、殿がおおせられました秋山小兵衛と申す剣客の悴《せがれ》だそうで……」 「何と申す。そりゃ、まことか?」 「はい。しかも、大治郎めは御老中・田沼様御屋敷内の道場へ出稽古《でげいこ》にまいっているとか……」 「な、何じゃと……」 「困りましてございます、まったく、もって……」 「ふうむ……笹野小文吾《ささのこぶんご》の身元は、まだ、知れていまいな?」 「それは大丈夫でございます。上田|孫蔵《まごぞう》が、うまく取り計らっておりますゆえ……」 「む……上田には、たくさんに金をつかませておけい。よいか」 「心得ておりまする」 「それにいたしても、事は急がねばならぬ」 「はっ」 「いつまでも、小文吾のこと、このままに打ち捨てておくわけにはまいらぬぞ」 「いえ、小文吾は、すでに上田孫蔵が始末を……」 「ばかもの!!」 「は、はっ……」 「この屋敷内でも、小文吾が行方知れずになったことを知らぬ者とてあるまい」 「はい……はい」 「それに、小文吾の実家へ、このことが知れたら、われらも、黙っておるわけにはまいるまいと申しておる」 「は……いかさま……」  小文吾は、本所・吉田町に住む七十俵三人|扶持《ぶち》の御家人・笹野高五郎の弟で、三年ほど前から杉浦丹後守へ奉公をしていた。  小文吾は、なかなかの能筆であったから、丹後守の気に入られ、祐筆《ゆうひつ》をつとめ、主人の手紙の代筆やら文書の整理などにはたらき、かなり重用《ちょうよう》されていたのである。  その笹野小文吾が杉浦屋敷を脱走し、これを追って殺害させたのは、どうやら杉浦丹後守自身らしい。しかも密《ひそ》かに殺そうとした。  小文吾に罪があるならば、堂々と討ち取ってもさしつかえのない地位と環境を、丹後守|正峯《まさみね》はもっているはずだ。 「で、市兵衛」 「は……?」 「当夜の駕籠舁《かごか》き二名の始末は?」 「ぬかり[#「ぬかり」に傍点]なく、別手の者たちに始末いたさせましてございます。このほうは大丈夫でございます」 「上田孫蔵へも連絡《つなぎ》はつけてあろうな?」 「申すまでもございませぬ」  上田孫蔵は、俗に〔八丁堀《はっちょうぼり》〕とよばれる町奉行所の同心である。  江戸の南北両町奉行所には、現在、与力が百人。同心が百二十人いる。彼らは、幕府の市政と警察の両面にわたり、直接、江戸市民と関係をもった役目に就き、はたらいているわけだが、いうまでもなく江戸には諸大名や大身《たいしん》旗本の邸宅があり、庶民たちとは別の〔世界〕をつくっている。  身分もあり、たとえば杉浦丹後守のごとく、幕府の高官として将軍家の側《そば》近く仕えている人物もある。  まして、諸国大名は、将軍と幕府の本拠である江戸に屋敷のみを構え、藩主は領国と江戸とを行ったり来たりしているのだから、屋敷内に何か事件・紛争でも起ったときは、これを自分の領国内のものとして処理することが、うかつ[#「うかつ」に傍点]にはできない。  そうしたところから、大名や大身旗本は、町奉行所の与力・同心たちと内々に連絡をとり、それぞれにしかるべき手当をあたえ、いざというときの便宜にそなえているのだ。内々といっても、いまはもう、これが常識といってよい。なればこそ、町奉行所の与力・同心たちのふところは、あたたかいのである。  杉浦丹後守は、北町奉行所の与力・遠藤|忠之介《ただのすけ》と、南町奉行所の同心・上田孫蔵を出入りにしていた。  となれば……。  今度の、笹野小文吾暗殺事件を上田同心は、杉浦丹後守のために、 「闇《やみ》から闇へ……」  ほうむってしまおうとしているらしい。  町奉行所の警吏が、である。 「市兵衛……」 「は?」 「上田孫蔵のみにては、こころもとない。北の遠藤忠之介にも、手をまわしておけい」 「は……」 「何じゃ、その顔は……わしの申すことに、不服でもあるのか」 「いえ、さようなわけでは……」 「何、何、何じゃと……?」 「おそれながら、申しあげまする」 「申せ」 「この上は、もはや、あまりに手をまわさずとも、よいのではないかと……」 「何故じゃ」 「おそれながら……笹野小文吾は、何事も口にのぼせぬまま、死亡いたしたのではないかと存じまする」 「だまれ。おのれは小文吾が息を引きとった、その場に居合せたわけでもあるまい。死ぬる前に小文吾めは、秋山大治郎に、何をいい遺《のこ》したか、知れたものではないぞ」 「はあ……」 「し、しかも……しかも、秋山は、御老中御屋敷へ出入りの剣客というではないか。もしも、秋山の口から、わしが秘密《こと》が御老中の御耳へでも洩《も》れたなら、なんとする」 「はっ……」 「わしは、天下の笑い者になってしまうのじゃぞ」 「おそれながら、殿……こたびの事件《こと》につきましては、さほどに御心痛あそばさるることもないか、と、存じまするが……」 「ばかもの!!」 「いえ、悪いのは笹野小文吾にござりまする。悪者なればこそ、成敗いたしたのではございませぬか」 「む……」 「御先祖様が、東照宮(徳川|家康《いえやす》)より拝領の御品も、お手もとへもどりましたことにて、それにまた、別の……」 「だまれっ!!」 「あの、お声が……」 「う……」  杉浦丹後守は、しばらく沈黙した。  燭台《しょくだい》の灯影《ほかげ》に浮ぶ丹後守正峯の、威《いかめ》しい顔にのぼっていた血の色が、すこしずつ消えて行き、むしろ蒼《あお》ざめてきはじめた。  そして、怒りのままにむき出されていた両眼が次第に細められ、針のような青白い光を放ちはじめている。 「と、殿……」  たまりかねたように、用人・鈴木市兵衛がひざ[#「ひざ」に傍点]をすすめた。或《あ》る不安が胸につきあがってきて、市兵衛はこれを押えきれなくなったのだ。 「市兵衛。さほどに、秋山大治郎と申す奴《やつ》、手練のもちぬしなのか?」 「は、はい」 「なれば、いたしかたもなし」 「と、殿……」 「わしがやる。わしの槍先《やりさき》にかけてくりょう」 「そ、それはあまりに……」 「申すな。秋山の口を一日も早く封じてしまわねばならぬ。手配を急げ。ぬかるまいぞ」 「は……」  両手をつかえた鈴木市兵衛の両肩が、わなわな[#「わなわな」に傍点]とふるえはじめた。  杉浦家五千石の家宰をつとめる市兵衛にとって、これは、笹野小文吾暗殺の一件よりも恐ろしい衝撃であったといえよう。 「市兵衛。もそっと傍《そば》へまいれ。わしが申すとおりにいたせ。これ、まいれというに」 「は……」  この主人が、このようになったら、自分の進言などを容《い》れるはずがないことを、よくよく鈴木市兵衛はわきまえていた。  市兵衛は観念しきって、主人の傍へ擦り寄って行ったのである。      六  翌朝、早いうちに、四谷《よつや》の弥七《やしち》が大治郎の道場へあらわれた。  折しも、手つだいに来ている近くの百姓の唖の女房が朝餉《あさげ》の仕度をととのえていたので、大治郎や飯田粂太郎《いいだくめたろう》と共に、弥七は熱い味噌汁《みそしる》で飯を四杯も食べた。  弥七はあきらかに、昨夜、家へ帰っていないと、大治郎は看《み》た。  この日は、田沼屋敷の稽古《けいこ》がある。  大治郎と半刻《はんとき》(一時間)ほど、何か語り合っていた弥七が去ったのち、大治郎は、腕を組んだまま沈思していたが、しばらくして、 「粂太郎。粂太郎はいるか……」 「……はい」 「田沼様御屋敷へまいる。いっしょに来なさい」 「かまいませぬか?」  と、粂太郎少年が訊《き》いたのは、大治郎が田沼家の稽古に行くとき、粂太郎は道場に留守居していることが、これまでの例だったからである。 「かまわぬ。仕度をしなさい」  やがて、戸締りをしてから二人は道場を出た。  さわやかな風がながれ、陽光は、もはや夏のものといってよい。  春から夏へ移る、ほんのわずかな間だが、江戸の町は、一年のうちでもっとも快適な季節を迎える。日射《ひざ》しはかなり強《きつ》くなり、歩いていると汗ばむほどだが、その汗を吹きはらう薫風《くんぷう》には、まだ、いささかの冷気がふくまれてい、それがたとえようもなく心地よいのだ。  もっとも、日中は晴れていても、夜に入ると突如、驟雨《しゅうう》が叩《たた》いて来たり、雷鳴におどろかされたりする。  平常と変りなく、大治郎は粂太郎へ語りかけながら、ゆっくりと歩を運んだ。  一昨夜の、雨の大川橋から曲者《くせもの》の後をつけて行った四谷の弥七は、まさに、相当の収穫を得た。  彼らは五人とも、本所《ほんじょ》の四ツ目の外れにある釜本九十郎《かまもとくじゅうろう》という無頼剣客の道場で、 「とぐろ[#「とぐろ」に傍点]を巻いている……」  浪人たちであった。  釜本道場の無頼浪人といえば、すぐる日に、杉原秀《すぎはらひで》襲撃に雇われた連中もその仲間である。  杉原秀の事件は、公《おおやけ》となったので関係者はすべて評定所《ひょうじょうしょ》や奉行所の召喚を受け、罪ある者は罰を受けたはずなのだが、どうしたものか釜本道場へは、 「手入れがおこなわれなかった……」  と、いうのだ。  四谷の弥七が嘆息まじりに、秋山小兵衛へこういったものである。 「そりゃあ、主《あるじ》の釜本九十郎を召し捕ることができたら、何とか道場の手入れも出来ましょうが、九十郎はめった[#「めった」に傍点]におのが悪事をつかまれるような奴《やつ》ではございませんので。手下の浪人どもを、金ずくで差し向けはいたしますが、自分では決して手を下しません。いえ、私は、もっともっと、あの釜本九十郎という奴は、大きな悪事をはたらいているにちがいないとにらんでおります。ですからそれ、九十郎をむりやり[#「むりやり」に傍点]に捕えて痛めつけようものなら、その九十郎の口から、お上《かみ》にとっては迷惑な、とんでもねえことがいろいろと出て来るのではございませんか。どうも、そんな気がいたします。ですから臭い物には蓋《ふた》というやつで、釜本の道場を叩きつぶすわけにもいかねえという……」  さて……。  弥七は、釜本道場へ入った四人を見とどけるうち、大川へ落ちた奴も、ずぶ濡《ぬ》れになって逃げて来た。  弥七は、この夜、浅草・聖天町《しょうでんちょう》の御用聞き・玉吉《たまきち》の家へ泊り、昨日の朝は暗いうちに起きて、本所へ向った。  玉吉の応援も得たし、傘《かさ》屋の徳次郎も呼びつけた。そして昨日いっぱい、弥七は夢中になって活躍をつづけたのであった。  釜本九十郎が、下谷《したや》の湯島横丁にある〔白藤蕎麦《しらふじそば》〕の二階に待っていた侍と会い、その侍が九十郎と別れて、編笠《あみがさ》に顔を隠し、ぐるぐるとあたりを迂回《うかい》したあげく、湯島天神下の杉浦丹後守《すぎうらたんごのかみ》屋敷へ入って行ったのも見とどけてしまった。  探り出したすべてのことを、四谷の弥七は大治郎へ告げてから、 「どうなさいます、大《おお》先生のお耳へも、おつたえしておきましょうか?」 「いや、それにはおよぶまい」 「ですが、若先生……」 「父上には、関《かか》わり合いのないことだ」 「へえ……それは、まあ……」 「これは、私と弥七どのとに関わり合いがある」 「なるほど」 「私には、まだ何もわからぬ。というのも、釜本道場の奴どもに斬《き》り殺された、あの若者は、何一つ、身元をいわずに息絶えた。知れているのは、女が待っているということと、若者が駕籠《かご》屋に玉姫稲荷《たまひめいなり》の前まで行ってくれといったことだけだ」 「その若い者《の》が、どうやら杉浦丹後守の家来らしいという……」 「うむ」 「ようございます。若先生と私とで、何とか……」 「そうしてくれ。しかし……」 「はい?」 「しかしな、弥七どの。人のいのち[#「いのち」に傍点]を助けようとしたものが、またしても暗殺されかけるというのは、いったい、どうしたことなのだろう。それもこれも、私が剣を遣う男だからなのか……?」 「若先生が剣をお遣いにならなければ、もう、とっくに、この世にはいないことになります。だってそうじゃあございませんか。奴らは駕籠|舁《か》きまで殺《や》っつけましたぜ」  この日。田沼屋敷内の道場において、秋山大治郎は八ツ(午後二時)すぎまで、熱心に稽古をつけてから、帰途についた。  この間に、傘屋の徳次郎と弥七が別々に、田沼屋敷へ来て、大治郎と何事か密《ひそ》かに語り合っている。 「粂太郎は、私がよいというまで、田沼様御屋敷へとどまっておれ」  と、大治郎が帰りぎわにいった。 「何故でございます。私に落度でも?」 「ばかなことを……お前は私のいいつけをまもってくれればよい。それも修行のうちとおもってくれ。わかったな」 「はい」  田沼屋敷をひとりで出た秋山大治郎は、道場へ帰らず、本所・横網町《よこあみちょう》の鬼熊《おにくま》酒屋へ向った。 「すこし、此処《ここ》に置いてくれ」  と、大治郎が亭主《ていしゅ》の文吉にいった。  文吉の女房《にょうぼう》おしんが、 「お酒を、いま……」  いいかけるのへ、大治郎は、 「いや、今日はやめよう」  と、いった。  半刻ほどして、傘屋の徳次郎があらわれ、緊迫の表情で、大治郎に何かささやき、駆け去った。 「若先生。何かあったんでございますか?」 「いや、何でもない。そうだ、酒をもらおう。一合だけでよい。茶わんに汲《く》んでもらおう」  酒をのみ、それから炊《た》きたての飯へ生卵の黄身を落したものを一碗《ひとわん》だけ食べた。  夕闇《ゆうやみ》が、ようやく、濃くなってきている。  傘屋の徳次郎が、またあらわれ、大治郎に何かささやいて駆け去った。  文吉夫婦は、不安の眼《め》を見合せている。  客が入って来はじめた。  大治郎は、入れこみ[#「入れこみ」に傍点]の隅《すみ》へ身を横たえ、おしんに、 「半刻ほどしたら、起してくれ」  と、いった。  半刻のちに、おしんが熟睡している大治郎をゆり起した。  そのとき、大治郎の見ひらいた両眼が無邪気なよろこびをたたえ、 「寝た、寝た」  さも、うれしげにいった。 「はい。ぐっすりと……」 「そうだ。ぐっすりと、ねむった」 「はい」 「ありがとう」  勘定をはらい、出て行く大治郎を見送っているおしんに、文吉が板場から駆け出して来て、 「ど、どうしたんだ、若先生……」 「わからない。寝た寝たとおっしゃって、よろこんでいなすったけれど……いったい、どうしたのだろうねえ?」 「おれにもわからねえや」      七  大川橋を西へわたった秋山大治郎は、山之宿《やまのしゅく》から今戸、橋場と、大川沿いの町すじを道場へ帰りつつある。  遠くで、雷鳴が聞えはじめた。  若侍が殺された、あの夜と、まったくおなじであった。  大治郎が、橋場の町外れをながれる思川《おもいがわ》をわたったとき、真崎稲荷社《まさきいなりしゃ》の方からやって来た男がすれちがって行った。  すれちがうときに、男の口から短い囁《ささや》きがもれた。  大治郎は、わずかにうなずいたようである。  男の……傘屋の徳次郎の提灯《ちょうちん》が橋場の通りをしばらく行ったとおもったら、ふと、消えた。どこかの細道へ曲ったものらしい。  大治郎は提灯を手にしていない。  このあたりなら、 「目を閉じても歩ける……」  ほどだといってよい。  小川のながれにそって西へ歩むにつれ、にわかに闇の空間がひろがってくる。あたり一面の田地《でんち》となるからだ。  北側の田圃《たんぼ》に、道場へ通ずる小道がつけられてい、そこへ足を踏み入れたとき、ぴかり[#「ぴかり」に傍点]と稲妻が疾《はし》った。  田の中の小道は、ゆるゆるとのぼっている。  のぼりきると、約二百坪ほどの草原の向うに、道場がある。背後は松と櫟《くぬぎ》の林であった。塀《へい》も垣根《かきね》もない。  道場の右手に住居の勝手口があり、その前に石井戸が設けられてある。  いつもの大治郎なら、まっすぐに勝手口へ足を向けるところだし、また、そこには留守居の飯田粂太郎《いいだくめたろう》が点じた灯《あか》りがもれているはずだ。  だが今夜は、道場も住居の内も暗い。どこもかしこも暗い。  勝手口へ向いかけた大治郎の足がとまった。  しばらく、うごかぬ。  と……。  大治郎が、そろりと左へ足を移した。  道場の方へ、すこしずつ、身を寄せて行く。  道場にも入口がついている。  だが、雨戸を閉めてある正面へ来て、大治郎の足はとまった。  そのときであった。  突然、左の側面……すなわち、道場の向う側に隠れていたらしい男が二人飛び出し、いきなり龕燈《がんどう》の灯りを大治郎へさしつけて来た。  このときまで、火を点じた龕燈に覆《おお》いをし、大治郎が近づくのを待っていたものか……。 「だれか?」  くび[#「くび」に傍点]を振って声をかけた大治郎の目の前の雨戸が勢いよく引き開けられた。  はっ[#「はっ」に傍点]として、一歩|退《さが》った大治郎の胸元めがけて、雨戸の向うに潜んでいた曲者《くせもの》が槍《やり》を突き入れて来た。  その槍の凄烈《せいれつ》な襲撃を、大治郎はのけぞるようにしてかわした。  いや、かわしたが、かわしきれなかった。  槍の穂先は大治郎の左の肩の肉を突き破った。  仰向《あおむ》けに倒れた大治郎の眼に、手繰りこんだ槍を息もつかせずに突き出そうとする男の黒く大きな体が飛びこんで来た。  稲妻が光った。  曲者が、 「うおっ!!」  早くも仕とめたと看《み》て、勝利の咆哮《ほうこう》をあげつつ、槍を突き入れた。  このとき、たとえ一瞬の間を置いても、曲者が道場の縁先から前庭へ飛び下りて槍を突き入れたなら、おそらく秋山大治郎の一命は絶たれていたろう。  だが、勝利に酔った曲者は大治郎を侮《あなど》り切って、縁先へ立ちはだかったまま、槍を繰り出した。上から下へ突き入れた。これがもし、立っている大治郎を突いたのなら充分であったろうが、すでに大治郎は肩口を突かれ、仰向けに倒れている。それを無造作に突いた。  そこに、曲者の体勢が若干の無理をともなったと看てよいのではないか……。  倒れると同時に大治郎は、差添《さしぞえ》の堀川国弘《ほりかわくにひろ》の脇差《わきざし》を抜き、敵の槍を打ち払っていたのである。  この国弘は、今年の正月に父・小兵衛がくれたものだ。 「ぬ!!」  必殺の槍を打ち払われ、あわてた曲者が、それでも見事な手さばきで槍を手繰りこんだ瞬間、半身を起した大治郎が前へ身を投げるようにして脇差を揮《ふる》った。 「うわ……」  縁先へ踏み出していた曲者の左足が、大治郎の脇差にざっくり[#「ざっくり」に傍点]と切り裂かれた。  たまらず、曲者が前庭へ飛び下り、よろめきつつも振り向いて立ち直ったとき、大治郎の姿は消えていた。 「と、殿……」 「いかがなされ……」  叫びつつ、道場の中から二名と、龕燈を持った二名が走り寄って来た。 「おのれ、逃げた!!」  曲者が、わめいた。  杉浦|丹後守《たんごのかみ》である。  だが、大治郎は逃げなかった。  丹後守の左足を切り払って道場の縁の下へ飛びこんだ大治郎が、脇差を其処《そこ》へ置き、備前兼光《びぜんかねみつ》の大刀を抜きはなち、猛然と躍り出した。  これを見た丹後守は飛び退《しさ》ろうとして、うしろにいた用人・鈴木|市兵衛《いちべえ》の体へぶつかり、足をもつれさせた。  その真向《まっこう》へ、秋山大治郎の一刀が打ち込まれた。 「う……」  槍をはなした右手を、杉浦丹後守は大刀の柄《つか》へかけようとしたが、それまでであった。  地ひびきを打って、丹後守が倒れた。  雷鳴がとどろき、雨が疾って来た。  虚脱したように立ちすくんでいる鈴木市兵衛を残し、他の三人が逃げ出した。  木立の中から、あらわれた数人の男が三人を包囲し、乱闘となった。  四谷《よつや》の弥七《やしち》が聖天町《しょうでんちょう》の玉吉の応援を得て、傘徳《かさとく》をはじめ六人の手の者をひきい、待機していたのである。  三人は間もなく、捕えられた。  そのうちの一人は丹後守の家来で、二人は釜本《かまもと》道場の無頼浪人どもであった。  大刀を鞘《さや》へおさめた大治郎の足もとへ、鈴木市兵衛がくずれるようにすわりこみ、泣き声をあげはじめた。 「若先生。大丈夫でございますか……あっ。いけねえ、傷を……」 「うむ。恐ろしい相手だった」 「申しわけもございません。別の二人が先まわりをしていて、龕燈を持って隠れていようとは、すこしも気づきませんでした。私どもは丹後守と二人の家来だけに目をつけていたもので……」 「いや、弥七どのが前もって、彼らが此処《ここ》へ向ったことを知らせてくれたので、どうにか、切りぬけられたのだ。ありがとう」 「それにしても、おやりなさいましたねえ」 「これが杉浦丹後守かね?」 「はい。間違いございませんよ」 「五千石の大身《たいしん》を斬《き》って捨てたことになる」 「さようで……」  弥七も、さすがに息をのんだ。  雨の中で、大治郎がふらりとなった。  その肩を抱きかかえた弥七が、 「こ、こいつはいけねえ。ひどい血だ」  と、叫んだ。      八  この事件に対して、老中・田沼|意次《おきつぐ》は、きびしい裁決をした。  むろん、秋山大治郎には何の咎《とが》めもなかった。  杉浦丹後守《すぎうらたんごのかみ》には、伊織之助《いおりのすけ》という長男がいたけれども、五千石を召しあげられ、家名は断絶となり、用人・鈴木|市兵衛《いちべえ》は打首となった。  ところで……。  杉浦丹後守は何故《なぜ》、このように血迷ったまね[#「まね」に傍点]を為出《しで》かしたのであろうか。それは鈴木市兵衛の自白により、すべてあきらかとなった。  あの、笹野小文吾《ささのこぶんご》は、丹後守の信頼を得るにつれて、しだいに増長し、屋敷内での評判はまことに悪かったそうな。  そして小文吾は、丹後守の居間に接した納戸《なんど》の文庫から、九代前の当主・杉浦|正鎮《まさしず》が東照宮から拝領した南蛮《なんばん》模様の刀の鍔《つば》を盗み出した。たかが刀の鍔一つでも、これは杉浦家にとって〔いわくつき〕の品だ。宝物である。  徳川将軍の家臣としての名誉と誇りが、この拝領の鍔にこもっている。もしも、この鍔が盗まれたことが知れたなら、杉浦丹後守が現将軍から切腹を申しつけられても仕方がないほどのものである。  それを盗まれた。丹後守が激怒したのも当然というべきか。  しかも、笹野小文吾は、さらに別の品をも盗み取っている。  これは、裸形《らぎょう》の男女が千変万化の姿態を見せてからみ合っている春画《あぶなえ》二十余枚であった。杉浦丹後守が密《ひそ》かに収集した逸品揃《いっぴんぞろ》いで、 「拝領の鍔よりも、危絵《あぶなえ》を盗まれたほうが、丹後守にとっては痛かったのだろうよ」  と、秋山小兵衛がいったように、このようなものを持っていたことが世上へひろまってしまっては、謹厳・誠実・武辺を誇り、それが公的生活の、 「表看板」  となっている丹後守にとっては、堪えきれぬ屈辱であったろう。  なればこそ、盗み取った二品を抱えて屋敷を脱走し、 「二品と引き替えに金百両を頂戴《ちょうだい》いたしたい」  と、強請《ゆすり》をかけて来た小文吾のいうままに、浅草材木町の船宿〔岡屋〕へ、用人・鈴木市兵衛が出かけて行き、小文吾に百両をわたし、二品を受け取って引きあげた。  それで、すべてが終ったことにすればよかったのであろうが、丹後守は、あくまでも、小文吾の口外を恐れた。うわさがひろまることを恐れた。それだけに小文吾への憎悪《ぞうお》も激しかったと看《み》てよい。  鈴木市兵衛は船宿を出るや、かねて狩りあつめておいた無頼浪人に小文吾を尾行させ、総泉寺《そうせんじ》外塀の道で、これを襲わしめたのである。 「どれもこれも、おろかな奴《やつ》らよ。それというのも、みな、我が身|可愛《かわい》さのあまり、血迷うのじゃ」  と、秋山小兵衛が、或《あ》る日、大治郎の道場を訪れ、傷の養生をしている一人息子にいった。 「それにしても、父上……」  と、一間きりの住居の床に身を横たえている大治郎が、 「あの夜、笹野小文吾は、何故、玉姫稲荷《たまひめいなり》の前まで行こうとしたのでしょうか?」 「さて、な……」 「弥七《やしち》どのも、そこのところの調べが、まだつかぬと申していました」 「小文吾のみが知っていたことだろうよ。もしやすると、あの辺の百姓家に、女でも隠しておいたのやも知れぬな」 「ははあ……」 「どうだ、もう痛まぬかえ?」 「いえ、まだ少々……」 「五千石の殿様も、当今は落ちたものよ。盗人《ぬすっと》のように他人の家へ忍び込み、卑怯《ひきょう》な闇討《やみう》ちをかけるとは、な」 「それにしても父上……」 「また、それにしてもかえ」 「はい。本所《ほんじょ》四ツ目の、無頼浪人を飼っている釜本九十郎《かまもとくじゅうろう》道場への手入れはなかったようで……」 「さようさ。困ったものよ。ああいう奴が、もっともあつかいにくいのさ」  いいさした小兵衛が、開け放った障子の彼方《かなた》を見やって、大治郎へ団扇《うちわ》の風を送っている飯田粂太郎《いいだくめたろう》少年へ、 「粂太郎。わしの家へ、いっしょに来ぬか。うまいものを馳走《ちそう》してやるぞ」 「いえ、私は若先生の看護を……」 「いや、今夜だけは別の人に看護をさせてやれ……」 「別の人……?」 「それ、向うからこちらへやって来る。何やら見舞いの品を抱えてな。いさましい女武道の佐々木|三冬《みふゆ》というのがやって来るわえ」      ○  その日の夜ふけであった。  本所・横川の北中之橋の東詰にある津軽|越中守《えっちゅうのかみ》下屋敷の裏の潜門《くぐりもん》から、釜本九十郎があらわれた。  中間《ちゅうげん》部屋でひらかれている博奕場《ばくちば》であそんでいたものと見える。  梅雨に入ったばかりで、霧のような雨がけむっていた。  九十郎は六尺ゆたかの巨体をゆするようにして歩きはじめた。  あたりは漆を塗りこめたような暗闇であった。  ぶら提灯《ぢょうちん》を手にした釜本九十郎が津軽屋敷の角を左へ曲ると、そこの塀《へい》ぎわへ、傘もなしにしゃがみこんでいた小さな老人が、 「もし……」  と、声をかけてきた。 「何だ?」 「釜本九十郎様で?」 「それがどうした」  九十郎がいったとたんに、その小さな老人が怪鳥《けちょう》のごとく宙へ飛びあがった。 「あっ……」  と一声。  提灯を落した九十郎が大刀の柄《つか》に手をかけたまま、棒立ちとなった。  ほとんど九十郎の頭上を越えるほどに跳躍して背後へ飛び下りた小さな老人がすたすた[#「すたすた」に傍点]と北中之橋のたもとまで来ると、そこに立っていた男にこういった。 「弥七。あれでいいだろう」 「大先生。これで世の中が、すこしは静かになりましょう」  その二人が北中之橋を西へわたり切ったころ、 「う、うう……」  わずかに呻《うめ》きつつ、釜本九十郎の体がふらりふらりとゆれうごきはじめた。  九十郎は、小さな老人の抜き打ちに頸動脈《けいどうみゃく》の急所を、深ぶかと切り裂かれていた。  九十郎の落した提灯がめらめら[#「めらめら」に傍点]と燃えている。  息絶えた九十郎の体が、南側の堀川へ落ち込んで行った。     雨避《あまよ》け小兵衛《こへえ》      一  その日。  昼餉《ひるげ》をすませた秋山小兵衛が、薄日のもれている空を見あげて、 「どうだな、おはる[#「おはる」に傍点]。せっかくの梅雨の晴れ間じゃ。久しぶりで、亀戸《かめいど》の天神様へでも参詣《さんけい》に行ってみないかえ?」  声をかけると、 「それどころじゃねえですよう」  おはるはてきぱき[#「てきぱき」に傍点]と台所で立ちはたらきながら、 「長雨がせっかくやんでくれたのだから、洗い物やら何やら、することがいっぱいあるのですからね」  と、力みかえっている。 「ほう、そうか。それなら、わしも手つだおうか?」 「じゃま[#「じゃま」に傍点]ですよう、先生なんか……天神さまへは、ひとりで行っておいでなせえよう。そのかわり、うまいものをたんと[#「たんと」に傍点]こしらえておきますから……」 「そうか。では、そうさせてもらおう。このところ、どうも外へ一足も出ないものだから、さすがのわしも、いささか気分が重いのじゃ」 「行っておいでなせえよう。気をつけて、ね」 「よし、よし」  亀戸天満宮は、いうまでもなく、かの菅原道真《すがわらのみちざね》を祭神とし、境内の見事な藤《ふじ》の花や太鼓橋、それに隔年八月二十四日の祭礼の賑《にぎ》わいなどによって、江戸名所の一に数えられている。  鐘《かね》ヶ淵《ふち》の小兵衛隠宅から亀戸村までは南へ約一里。 (今日いっぱいは降るまい)  と、きめこみ、おはるが用心のためにとすすめる傘《かさ》もことわった秋山小兵衛は、いつものような着ながし姿へ脇差《わきざし》一つを差しこみ、日和下駄《ひよりげた》をはいて、枇杷《びわ》の木でつくった杖《つえ》をつき、隠宅を出た。  そのときの小兵衛は、行手に、おもいもかけぬ異変が待ちかまえていようとは、つゆ[#「つゆ」に傍点]知らなかったのである。  天神社へ着くまでに、小兵衛は若宮村の八幡社《はちまんしゃ》や柳島の妙見堂《みょうけんどう》へ参詣し、そのたびごとに茶店で茶や饅頭《まんじゅう》を口に入れたりして、ゆるゆると久しぶりの外出《そとで》をたのしんだものだから、亀戸天神の参詣をすませ、帰途についたときはすでに七ツ(午後四時)をまわっていたろう。  押上《おしあげ》から、横川沿いの道を小梅村へさしかかったとき、雨が落ちて来た。  天神社を出るころから、何やら雲足が怪しくなってきたので、小兵衛は足を速めていたのだ。  それが、落ちて来たかとおもうと、たちまちに驟雨《しゅうう》となった。 「こりゃあ、いかぬ」  どこへ逃げこむ間とてなかった。  ふと見やると、右側の畑の中にわら[#「わら」に傍点]屋根の小屋が一つ、目に入った。  着物の裾《すそ》をからげた小兵衛が、そこは老人とはおもえぬ足さばきで下駄をはいたまま、小屋の軒下へ駆けこんだ。  小屋には、だれもいないらしい。  戸に手をかけてみると、わけもなく開いた。  この畑は、どこかの寺院が所有してい、雇われて畑仕事をする百姓が仮に泊ったりする小屋なのであろう。  このあたりには、そうした小屋がめずらしくない。  百姓たちは、下総《しもうさ》の方からも雇われて来るそうな。  このような小屋には、当時、戸締りなどをしていないのが常例であって、それだけ世の中にゆとり[#「ゆとり」に傍点]があったのである。  小屋の中は二坪ほどの板敷きに筵《むしろ》が敷きのべてあり、板戸のついた押入れがついてい、二坪の土間には鍬《くわ》や鎌《かま》、籠《かご》なども置いてあり、手軽な炊事もできるようになっている。 (ま、よかったわえ……)  戸を閉めた小兵衛は、板敷きの筵の上へあがりこみ、雨にぬれた着物や足をぬぐってから、煙草《たばこ》を吸いはじめた。 (いますこしで、大村へ駆けこめたのにのう……) 〔大村〕は、この近くにある風雅な料亭《りょうてい》で、なかなかに格式が高く、大身《たいしん》の旗本などがいわゆる「おしのび……」で、酒宴をひらいたりする。小兵衛は大村の主《あるじ》と親しい橋場の料亭〔不二楼《ふじろう》〕の主と懇意なところから、大村の主とも顔見知りであった。 (大村へ行けば、傘もあるし、駕籠《かご》もよべたのにのう)  であった。  煙草にも飽きると、小兵衛はごろり[#「ごろり」に傍点]と横になった。  雨は熄《や》まぬ。叩《たた》きつけるように降りつづけている。 「やれやれ……」  知らず、睡気《ねむけ》にさそわれた。 (久しぶりに、出歩いた所為《せい》か……それにしても、これしきに疲れをおぼえようとは、わしも年齢《とし》かなあ……)  すーっと、眠りへ落ちこみかけた小兵衛の耳へ、強い雨音を縫うようにして人の叫び声がきこえた。  叫びというより悲鳴に近い。悲鳴というよりは泣き声のようでもあり、それが女のものだと小兵衛は感じ、はっ[#「はっ」に傍点]と半身を起した。  土間へ駆け下り、戸を細目に開けて見た。  白い雨の幕を掻《か》きわけるように、一人の男が、畑道をこちらへ駆けて来る。  男は左腕で、十歳ほどの女の子を抱きかかえ、右手に刀をつかんでいた。  それ[#「それ」に傍点]と見るや秋山小兵衛は、板戸を細目に開けたまま身をひるがえして板敷きへ駆けもどり、押入れの中へ飛び込み、戸を閉めた。  男……といっても、半白の髪をふり乱した五十前後の浪人が、戸口へ駆け寄り、隙間《すきま》から中をのぞきこみ、 (だれもいない……)  と看《み》たかして、戸を開け、中へ入って来た。  女の子は、ぐったりと気をうしなっている。  と、そのとき……。  浪人を追いかけて来たらしい十人ほどの男たちが駆けつけて来て、小屋を取り巻くようにした。  その中に、どこぞの大店《おおだな》の内儀とも見える女と、つきそいの女中らしいのが雨に打ち叩かれながら、しきりに何か叫んでいるのだ。小兵衛の耳へ入ったのは、この女たちの声であったものか……。  浪人が大刀をひっさげたまま、戸を開けて半身を見せ、 「寄るな!!」  と、わめいた。すばらしい大音声《だいおんじょう》である。 「近寄ると、子供を殺すぞ!!」  この一言で、追って来た人びとは押しだまり、立ちすくむかたちになった。男たちは刃物を持っていない。手に手に棍棒《こんぼう》だの、中には竹帚《たけぼうき》をつかんでいるのもいた。  茶の夏半天を着ているのもいる。その半天には〔大村〕の二字が染めぬいてあるところを見ると、彼らは料亭・大村の奉公人なのだ。  浪人は戸を閉め、心張棒をかってから、失神している女の子の両手を刀の下緒で縛りあげた。  外で、声がしている。  だれかが、浪人によびかけている。  雨音が、低くなってきた。 「もし……もし、お金ならさしあげます。いかほどにてもさしあげますゆえ、そのお子を返して下さいまし。そのお子は、私どものお客さまがお連れになったお子でございます。何の罪咎《つみとが》はございません。もし、もし……」  よびかけている声を、押入れの中の小兵衛も聞いている。  まさしくそれは、大村のあるじ・万右衛門《まんえもん》の声であった。 「もし……もし……」  浪人が、ふたたび戸を開けてくび[#「くび」に傍点]を突き出し、 「よし。五十両持って来い。すぐにだ。遅いとだめ[#「だめ」に傍点]だ。子供を斬《き》る!!」 「はい、はい……」  浪人は戸を閉め、大刀を柱に立てかけ、帯をしめ直し、ずぶぬれ[#「ずぶぬれ」に傍点]の着物の裾を尚《なお》も高くからげた。  日に灼《や》けた顔にしわ[#「しわ」に傍点]が深い。五十を五つ六つはこえているだろう。  ひろく張り出した額の下の眉毛《まゆげ》だけはくろぐろとして、両眼《りょうめ》の眦《まなじり》が耳のあたりまで深く切れこみ、鼻は長くふとい。  そのくせ、下唇がたれるほど厚い口もとの下から急に、顔の肉が刮《こそ》げ取られたように細くなり、顎《あご》の先が尖《とが》っている。  浪人の顔や手足は、泥《どろ》と血にまみれていた。  小屋を取り巻いている男たちの中から二人ほどが万右衛門の指図を受け、駆け去って行った。  浪人は、それを戸の隙間《すきま》から見とどけると、荒い呼吸を懸命にしずめようとした。土間の桶《おけ》にたまっている汚水をかまわずにのんだ。すこしずつ、すこしずつのむところはさすがに心得ている。  女の子は、板敷きの筵の上へ仰向《あおむ》けに寝かされてい、縛られた両手を前へ出し、気をうしなったままだ。ふっくらと白い顔だちで、身につけている衣裳《いしょう》も、子供のものともおもわれぬ贅沢《ぜいたく》さであった。  その顔を、浪人がのぞきこむようにして、 「金が来ねえときは、覚悟をしろよ」  呻《うめ》くがごとくに、つぶやいた。      二  この浪人が、料亭・大村へあらわれたのは、半刻《はんとき》(一時間)ほど前のことである。  大村は、大川の水をひきこんだ小川や池を中心に、わら屋根の母屋《おもや》や離れ屋がこんもり[#「こんもり」に傍点]とした木立にかこまれてい、万事に山里の風趣をとりいれ、そこで美味な酒食をさせるというわけで、秋山小兵衛にいわせると、 「いささか、凝りすぎじゃよ」  なのだそうだ。  そこへ、かの浪人が入って来て、 「離れ屋へ案内をいたせ」  と、いった。  大村は、しかるべき人の紹介がない客はとらぬことになっている。まして、むさ苦しい浪人がいきなりあらわれ、酒を出せ料理を食べさせろといったところで通すものではなかった。  はじめのうちは、いちおう丁重にことわったのだが、 「ふざけるな。金を払わずに飲み食いをしようというのではないぞ。大小を腰にした侍を、よくも見損ってくれた。こうなったら、中へ入れて注文どおりの飲み食いをさせるまでは、断じてうごかぬ」  と、浪人は凄《すさ》まじい面相になって居直った。  めんどうと看《み》て、あるじの万右衛門《まんえもん》が二分《にぶ》ほど紙に包み、 「生憎《あいにく》、今日はまだ仕度ができておりませぬゆえ、これ[#「これ」に傍点]で何処《どこ》ぞへおいでになり、お好きなものを召しあがって下さいまし」  と、さし出した。 「ふうむ……」  浪人は狎《な》れきった手つきで紙をひろげ、中の金をあらためた。  その様子を見て、万右衛門も店の者たちも、浪人がこうした恐喝《きょうかつ》を常習にしていることがわかったけれども、 「まあ……これなら、よし」  うなずいた浪人が、金包みをふところへ入れたのを見て、ほっ[#「ほっ」に傍点]とした。下手に争って、相手が長い刀《の》を引きぬいて暴れ出したりしたら、たまったものではない。  で……。  浪人が、門の方へ引きあげて行きかけたときであった。  大村をかねてから贔屓《ひいき》にしている伊勢屋吉兵衛《いせやきちべえ》の妻・おふさ[#「おふさ」に傍点]が、三女で九歳になるおみつ[#「おみつ」に傍点]をつれ、手代の長太郎を供に、門から入って来たのである。  伊勢屋は浅草・諏訪町《すわちょう》の紙問屋で、当主の吉兵衛は五代目になる。土地《ところ》では、だれ知らぬものはない裕福の商家だ。  この日。  梅雨の晴れ間に、吉兵衛の妻が、子たちの中でも、いちばん可愛《かわい》がっているおみつをつれて亀戸《かめいど》天神から妙見堂へ参詣《さんけい》に出かけたのは、期せずして小兵衛と同じおもいだったのであろう。  小兵衛とちがい、おふさとおみつは町駕籠《まちかご》に乗って出かけたわけだが、帰り途《みち》に雲足が怪しくなったので、 「ちょっとの間、大村で休んで行こうかね。お腹《なか》も空《す》いたし、すこし早目だが、晩の御膳《ごぜん》をいただいてもいい」  おふさが、おもいついたのは、それだけ大村の主人夫婦とも親しい間柄《あいだがら》だったからだ。たとえ夜に入っても、大村ならば心配もない。駕籠をよんでもらい、大村の若い者が送ってくれ、大川橋をわたれば、すぐに浅草である。また、おふさは大村へ着いたなら、すぐに若い者に伊勢屋へ走って行ってもらい、自分たちが大村にいることを告げておくつもりであった。 「おや、これはこれは、よく、おいでになりました」  大村の万右衛門が愛想《あいそ》よく迎えて、 「今日は、どちらへ?」 「亀戸の天神さまへ、お詣《まい》りに……」 「それはそれは……」 「何か、おいしいものを、おみつに食べさせて下さいな」 「ようございますとも。伊勢屋さんへは、すぐに若い者を……」  と、心得顔に、 「これ、だれか……」  いいさして、ふと、門の方へ目をやったとき、万右衛門がぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]となった。  門から出て行ったものとばかりおもっていた浪人が立ちどまって、こちらを凝《じっ》と見ている。眼が白く光っていた。 「もし……?」  声をかけたとたんに、浪人が猛然と走りもどって来た。  それこそ、 「あっ……」  という間もなかった。  母親より一足先に、座敷女中に手を引かれて上へあがったおみつへ、土足のまま飛びかかった浪人が女中を突き退《の》け、おみつを小脇《こわき》に抱きかかえ、右手にぎらり[#「ぎらり」に傍点]と大刀を引き抜いた。  おみつが悲鳴をあげた。  折しも、裏手からまわって来た若い者がこれを見て、浪人のうしろから、 「何をしやあがる!!」  躍りかかるのを、身をかわしざまに浪人が一太刀、浅く斬《き》った。  大変なことになった。  浪人は、それでも、門の外へ出てから、追いかけて来た若い者や威勢のよい板場の者たちに棒で叩《たた》かれ、物を投げつけられたりして、二度ほど転んだが、執拗《しつよう》におみつをはなさず、ついに、畑の中の小屋へ逃げこんだのである。  当時の江戸の、このあたりには、辻《つじ》番所もなければ自身番もない。  とりあえず大村の者が追跡し、浪人を捕えようとした。彼らは浪人の刀の一本や二本、すこしも恐れぬ。こうした場所の、こうした店には腕力の強い男たちがかならずいて、不祥の事に備えていた。  しかし、伊勢屋のむすめを引きさらわれ、五十両の身代金《みのしろきん》を出せといわれては、男たちも手の出しようがない。  もっとも近い辻番所か自身番へ届け出ようという若い者へ、万右衛門が、 「とにかく五十両、早く持って来ておくれ。私がやって見る。なあに、大丈夫だよ」  と、命じたのは、先刻、包み金をふところへしまいこんだときの浪人を見ていたからだ。浪人は帰りかけて、入れちがいに大村へやって来た伊勢屋の妻子の様子を見るや、 (もっと大金を……)  と、急におもいついたのであろう。  伊勢屋の妻も、いまは持っていないが、家へ帰れば、むすめ一人の安全のために五十両や百両の金を出すことなど、たやすいことであった。 「早く……早く、お金を……」  と、おふさは万右衛門を急《せ》き立てた。      三  雨は熄《や》まぬ。  小降りになったかとおもうと、また、激しく叩《たた》きつけて来た。  秋山小兵衛は、小屋の押入れの中にいて、音も立てず気配も起さなかった。  小柄な小兵衛だけに、押入れの下段へらくらく[#「らくらく」に傍点]と身を横たえている。  小兵衛は、入って来た浪人を、むろん取って押えるつもりでいたが、 (こいつ、むずかしいわえ……)  さすがに、子供を人質にして、大刀を抜きもっている相手を、 (うかつ[#「うかつ」に傍点]にはあつかえぬ)  と、おもった。  浪人は、押入れの中の小兵衛に、まったく気づいていない。  刀をつかんだまま、おみつの傍《そば》に立ち、片時も油断をしていなかった。  小兵衛は、板戸の割目から、浪人の横顔を注視している。 (関山虎次郎《せきやまとらじろう》も、ずいぶんと老《ふ》けたものよ。むり[#「むり」に傍点]もない。あれから三十年にもなるのじゃから……)  であった。  小兵衛が、この浪人を関山虎次郎だと気づいたのは、彼が小屋へ飛び込んで来て、追手の人びとへ、 「五十両持って来い。すぐにだ。遅いとだめ[#「だめ」に傍点]だ。子供を斬《き》る!!」  と、叫んだ声を聞いたときである。  聞き誤るはずもない。  関山虎次郎と三十年前に、小兵衛はいまもって(忘れがたい……)試合をしている。それは、あやうく、小兵衛が敗退しかかったほどの激しい試合であった。  当時、秋山小兵衛は、いうまでもなく、麹町《こうじまち》九丁目の無外流《むがいりゅう》・辻平右衛門《つじへいえもん》道場にいて、いまは亡《な》き嶋岡礼蔵《しまおかれいぞう》と〔竜虎《りゅうこ》〕だとか〔双璧《そうへき》〕だとかよばれ、いわゆる剣術が、 「おもしろくて、おもしろくて……」  たまらなかったころである。  関山虎次郎は、これも無外流の、本郷・菊坂に道場を構える高須助太夫《たかすすけだゆう》の高弟であった。当時、二十五か六だったとおぼえている。  小兵衛と虎次郎が何故《なぜ》、試合をすることになったかというと……それは、こういうことだ。  小兵衛の恩師・辻平右衛門は、わが剣法の古格をまもり、時流におもねるようなことは決してせず、のちに、 「平右衛門先生が江戸を去り、大原《おはら》の里へ引きこもられたときは、わしをふくめて門人はわずかに七名であった。あまりに修行が激しいので、門人が寄りつかなくなってしもうてな」  と、秋山小兵衛がのべている。  それだけに、辻平右衛門の人格を高く評価する大名や旗本もあって、中でも、上州|館林《たてばやし》五万五千石・松平右近将監武元《まつだいらうこんしょうげんたけもと》は、平右衛門に深く心服をしていたという。 「わが家《いえ》にも、すぐれた剣士がほしい」  というので、松平武元は何度も、小兵衛か嶋岡礼蔵を召し抱えようとしたが、そもそも辻道場の剣客たちは、あくまでも野《や》に在って剣を磨《みが》くことに専念して脇目《わきめ》もふらず、たとえ飢死をしても大名の家来になることなど考えても見なかったほどだから、小兵衛も礼蔵も一顧だにしなかったものだ。  そこで、松平武元は、同じ無外流の高須道場の高弟・関山虎次郎を召し抱えることにした。  これは、高須助太夫の熱心な推薦によるものであった。  ただし、召し抱えるについて、松平武元は条件を出した。  つまり、 「辻平右衛門道場の、秋山小兵衛か嶋岡礼蔵のどちらかに勝ちたるとき……」  に、召し抱えようというのだ。 「よろしゅうござります」  師の助太夫も、高弟の虎次郎も自信にみちみちていた。  辻平右衛門としても、これを断わる理由がない。  一つの試合は、一つの修行につながる。剣客にとっては日常茶飯のことであった。  平右衛門は小兵衛と礼蔵をよび、 「どちらでもよい。相手をするように……」  と、いった。  そこで二人は、籤《くじ》を引き合い、小兵衛が相手と決った。  麻布狸穴《あざぶまみあな》にある松平家下屋敷の庭で、関山虎次郎と立合った日のことを、いまも小兵衛は忘れていない。  若さのみなぎった、虎次郎の烈々たる剣であった。  冬の朝の、張りつめた冷たい大気の中で、虎次郎の両眼は、まさに猛虎《もうこ》のごとく輝き、その太刀先は何度も鋭く小兵衛を危機に追いつめたのである。  だが、ついに、秋山小兵衛は勝った。  そして、関山虎次郎は、二百石の仕官を逃し、師の高須助太夫から、 「面汚《つらよご》しめ!!」  と、ののしられ、破門をされ、何処《どこ》へともなく姿を消した。 「あと五年のちのわしだったら、虎次郎に負けてやったろうよ。たとえ、わしに負けても、関山虎次郎は二百石の武芸指南役として申し分のない剣客じゃった。なんでも虎次郎は、美濃郡上《みのぐじょう》三万八千石・金森家の江戸屋敷にいた身分の軽い家来の次男に生れたと耳にしたが、気の毒に……さぞ、さぞ、残念であったろうよ」  いつであったか小兵衛は、往時をおもい起し、息・大治郎《だいじろう》にそう語ったこともあった。  それほどの関山虎次郎が、いま、商家の子を引きさらい、料亭《りょうてい》の若者たちを相手に必死で闘い、血まみれになって、この小屋へ逃げ込んで来ている。 (さて、どうしたらよいものか……?)  押入れの中で息を殺しつつ、小兵衛は考えあぐねている。  もしも虎次郎が、金五十両と引き替えに、女の子を引きわたすのなら、 (だまって、見逃してやってもよい)  と、小兵衛はおもいはじめている。  あれだけの若さと、すばらしい手練のもちぬしだった虎次郎が、三十年後のいま、見る影もなく落ちぶれ果てて小兵衛の前にいる。  それは、なんといっても、あのときの試合が彼の運命を狂わせたといえるだろう。狂った責任《せめ》は虎次郎自身にあるとしても、六十をこえて老いの身を何の欲得もなく気楽に暮している自分に引きくらべて見ると、そこは剣客だけに、 (気の毒な……)  と、おもわざるを得ない小兵衛であった。  それは、時間にしたら、どれほどのこともなかったろう。  間もなく大村から、金五十両が駆けつけて来る[#「駆けつけて来る」に傍点]にちがいなかった。 (や……?)  板戸の割目から、関山虎次郎を見まもっていた小兵衛が、あわてた。  何とおもったのか虎次郎が、突如、妙なまね[#「妙なまね」に傍点]をしはじめたからである。      四  おみつ[#「おみつ」に傍点]は、仰向《あおむ》けに失神したままであった。  恐怖のためばかりではなく、関山|虎次郎《とらじろう》が、 「当て落した……」  のやも知れなかった。  その、おみつの傍に立ちはだかっていた虎次郎が、急に、背を屈《かが》めたのだ。  大刀を右手につかんだまま、虎次郎は左手をのばし、何と、おみつの着物の裾《すそ》を捲《まく》りあげたものである。  虎次郎の両眼が針のごとく細められ、引きむすんだ口から涎《よだれ》のようなものが一すじ、糸を引いて落ちた。  おみつの両肢《りょうあし》と下腹の一部が露出している。  九歳にしては大柄《おおがら》なおみつだけに、それは、まるで一人前《ひとりまえ》の女そのもののような眩《まぶ》しさで、押入れの中の小兵衛の眼に映った。  うす暗い小屋の中で、おみつの白い股《もも》がゆれうごいた。  それは、おみつが息を吹き返したのではない。  虎次郎が尚《なお》も深く、左手をさし入れたからである。 「むう……」  虎次郎の、何ともいえぬ唸《うな》り声がきこえた。  押入れの中の小兵衛は、 (耐えに耐え……)  ていた。  虎次郎は、しきりに左手をうごかしていたが、それだけでは、どうにも物足りなくなり、衝《つ》きあげてくる欲情をこらえきれなくなったらしい。  身を起し、土間へ下りて戸の隙間《すきま》から外の様子を窺《うかが》った。  外の人びとは、しずまり返っている。  雨の音のみが、重苦しく小屋の中にこもっていた。  虎次郎がもどって来た。  右手の大刀を板敷きへ突き立てた。  つぎの瞬間、関山虎次郎が、おみつの下腹へおおいかぶさり、顔を埋めこむようにした。  虎次郎の、半白の髪が烈《はげ》しくゆれうごきはじめた。  押入れの戸が引き開けられたのは、実にこのときであった。 「あっ……」  顔をあげた虎次郎の、その右眼へ、押入れの中から投げ打った秋山小兵衛の小柄《こづか》がぐさり[#「ぐさり」に傍点]と突き立った。 「うわ……」  はね起きて大刀をつかみかけた虎次郎へ、押入れの中から疾《はし》り出た小兵衛の倭躯《わいく》が打ち当ったかと見る間に、虎次郎が土間へ転げ落ちている。  そのとき早くも、小兵衛は左腕におみつの体を抱きかかえていた。 「うぬ!!」  虎次郎が、はね起き、小兵衛へ組みついて来たが、物もいわずにふわり[#「ふわり」に傍点]とかわしておいて、 「む!!」  土間へ飛び下りざまに、小兵衛が脇差《わきざし》を抜き打った。 「ぎゃあっ……」  関山虎次郎の悲鳴があがった。  小兵衛の脇差に断ち切られた虎次郎の右腕が生きもののように血しぶきをあげて飛び、小屋の壁へ打ち当って落ちた。  小屋の戸を蹴破《けやぶ》り、秋山小兵衛が外へ走り出た。  名状しがたい叫びをあげ、人びとが駆け寄って来た。  おみつが息を吹き返し、泣き声をあげた。 「あっ……秋山先生……」  大村のあるじ・万右衛門《まんえもん》が驚愕《きょうがく》して駆け寄るのへ、 「さ、早く……」  小兵衛は、おみつをわたし、 「ちょうどよかった。わしは、中で雨宿りをしていたのじゃ」 「は、はい……」  伊勢屋《いせや》の妻が狂人のごとく、おみつを抱き取り、泣きはじめた。小兵衛へ礼をのべる余裕《ゆとり》すらないのも、むり[#「むり」に傍点]はなかった。 「あとは、よいように、な……」  いいさして、小兵衛が小屋の方へ振り返った。  小兵衛に蹴破られて外側へ倒れた戸の向うから、関山虎次郎がよろよろとあらわれた。  おみつを取り返したので、大村の若者たちが手に手に得物を構え、 「畜生め!!」 「叩《たた》き殺してしまえ!!」  じりじりと虎次郎へせまって行く。  関山虎次郎は左手に大刀をつかんで……というよりも、刀へ縋《すが》りつくように両ひざを折り、虚《うつ》ろな眼《め》を空間に投げている。  その、破れ雑巾《ぞうきん》のような虎次郎へ、白い雨が容赦もなく叩きつけていた。 「この野郎……」  若い者がひとり、走りかかって棍棒《こんぼう》を揮《ふる》い、虎次郎が杖《つえ》にしている刀をはね[#「はね」に傍点]飛ばした。  右腕を切り落されている虎次郎は、わけもなく泥《どろ》の中へのめりこんだ。 「それっ」 「やっちまえ」 「取っ捕まえろ!!」  人びとが、虎次郎めがけて飛びかかって行くのを見て、小兵衛は体の向きを変えた。 「せ、先生……」 「万右衛門どの。かまうな」 「い、いずれ、あらためまして……あの……」 「かまうな。礼なぞに来るなよ」  小兵衛の声はきびしかった。  茫然《ぼうぜん》としている大村のあるじに背を向け、小兵衛は裾をからげ、小走りに走り出していた。  おそらく関山虎次郎は、押入れから飛び出した小さな老人が、三十年前に、おのれの満々たる自信と立身への野望をみじん[#「みじん」に傍点]に打ち砕いた秋山小兵衛だったとは、 (気もつかなんだろうよ……)  であった。  畑道から、小梅村の道へ出たとき、彼方《かなた》の大村のあたりから金五十両を抱え、駆けもどって来る大村の若い者三人の姿が見えた。  小兵衛は舌打ちをもらし、口をひきゆがめ、ぶつぶつと何かつぶやきながら、一時も早くこの場から立ち去りたいおもいを足にこめ、 「まるで、逃げるように……」  遠去かって行ったのである。  しばらくして、雨は熄《や》んだ。      五 「あれまあ、先生。どうしなすっただよう、びしょぬれになって……雨宿りをしなさらなかったのですか」  帰って来た小兵衛を迎え、おはる[#「おはる」に傍点]が飛びつくように、 「さ、早く、着物をぬいで下さいよう。それでないと風邪を引いちまう」  黙念と小兵衛は、おはるのなすがままにまかせている。 「どうしなすったよう。体のかげん[#「かげん」に傍点]でもよくないのかね?」 「む……」 「先生、先生ったら……」 「大丈夫だ」 「湯がわいてますよう。すぐに入って下さい」 「そうか……」  ひろい土間の片隅《かたすみ》に、小さな湯殿がもうけてある。  下帯ひとつになり、何かしょんぼり[#「しょんぼり」に傍点]と湯殿へ入って行く小兵衛の後姿を見送って、おはるが、 「どうしなすったのだろう……?」  眉《まゆ》をひそめた。  小兵衛の着替えを出しにかかったおはるへ、湯殿から、 「おはる……おはる……」  小兵衛がよびかけた。 「はあい」 「こっちへおいで」 「どうかしましたかね、先生……?」 「お前、いっしょにどうだ?」 「風呂《ふろ》へかね?」 「うむ……」 「入ってもいいですかね?」 「いいとも。早くおいで」 「あい、あい」  すぐに、おはるが裸になり、湯殿へ入って行った。  せまい湯殿の板壁がはち[#「はち」に傍点]切れてしまいそうな、みごとに量感をたたえたおはるの裸身であった。 「さ、先生。出て下さいよう。背中をながしてあげる」 「うむ、うむ……」 「何だか、元気がないような……」 「ああ、そうだよ。元気がないのじゃ」 「いったい、どうしなすったのかね。外で、何かあったのかね?」 「あった」 「へえ、まあ。どんなこと?」 「むかし、なあ……」 「むかし?」 「うむ……」  おはるは小兵衛の体を、うしろから洗いはじめた。 「むかし、何があったのですよう」 「わしが、或《あ》る男に……」 「男……?」 「もうよいわえ。すんだことじゃ」  暗いおもい[#「おもい」に傍点]を我から断ち切るかのように、強くかぶり[#「かぶり」に傍点]を振った小兵衛が振り向いて、 「おはる……」  ひろやかなおはるの胸へ小さな白髪頭《しらがあたま》をあずけ、 「いつまでも、いっしょにいておくれ」  と、いった。  秋山小兵衛にしては、めずらしい甘えぶりである。 「あれ……今日は、まあ、どうしなすっただよう」  おどろき、あきれつつ、おはるはまんざらでもない。  小兵衛の体をひざの上へ抱きあげ、ふとやかな左腕に小兵衛をささえ、 「ほんに先生ったら、子供みたいに……」  声をはずませ、右手で桶《おけ》の湯をすくいあげては小兵衛の体へかけてやりながら、 「先生。可愛《かわゆ》いよう……」  と、いった。  小兵衛は両眼を閉じている。  四十も年下のおはるに抱かれている小兵衛の体は、老いて尚《なお》、引きしまってい、体だけを見たなら四十そこそこにしかおもえぬ。 「先生……先生……」 「う……」 「あの、先生の好きな茄子《なすび》と瓜《うり》の冷し汁をこしらえましたよう」 「そうかえ……」  うなずいたが、まだ眼をひらかず、 「いまごろ、虎次郎《とらじろう》はどうなったことか……」  おもわず、小兵衛がつぶやいた。 「虎……って、だれ?」 「わしと同じような、剣術つかいさ」 「それが、どうしたのですよう?」 「ああ、もう……いまの世に、剣術つかいなぞというものは、どうにもならぬ生きものじゃよ」 「そんなこといって……それなら、橋場の若先生が困るじゃありませんか」 「大治郎、な……」 「あい」 「あいつ、これから先……わしが、もう、この世にいなくなったとき、どんな生きざまをして行くことになるのか……」 「いやだよう、先生。心細い……」  血の色があざやかにみなぎり、静脈が青く浮き出たおはるの乳房へ老顔を埋め、小兵衛は、また押しだまった。  どこかで、しきりに水鶏《くいな》が鳴いている。  雨はあがりきって、夕闇《ゆうやみ》もこころなしか明るい。  おはるは、さも満足そうに、小兵衛の体を洗いつづけている。     三冬《みふゆ》の縁談      一  梅雨は、まだ明けぬ。  ふりけむる雨の中を、佐々木三冬が、浅草橋場の秋山道場へあらわれた。  この日は、田沼屋敷の稽古日《けいこび》ではない。  秋山|大治郎《だいじろう》は、道場に住み込んでいる飯田粂太郎《いいだくめたろう》少年に、朝の稽古をつけ終えたところであった。  二人とも、まだ、朝飯前である。  食前の稽古は半刻《はんとき》(一時間)。食事をすませ、一刻をやすんでから、さらに一刻の稽古を、大治郎は粂太郎につけてやる。 「今日は、わたくしも……」  と、三冬が大治郎にいった。  久しぶりで、大治郎と稽古をするつもりで、三冬は愛用の稽古着と袴《はかま》を布につつみ、これを左の小脇《こわき》に抱え、右に雨傘《あまがさ》。袴を短めにつけ、白い素足に黒漆ぬりの足駄《あしだ》をはいた男装の佐々木三冬を、道行く人びとのだれもが振り向いて見ずにはいられない。 「今日は、田沼様御屋敷から?」 「いいえ。昨夜は根岸《ねぎし》の寮に泊りました」 「さようか……」  台所から、手つだいに来ている唖の女房《にょうぼう》が煮る味噌汁《みそしる》の香りがただよってきた。 「ま、おいしそうな……」 「めしあがりますか?」 「はい」  飯田粂太郎が、笑いをかみころした。  三冬は、すでに根岸で朝餉《あさげ》をすましてきたはずだからである。  ともかく、三冬は、 「よく、食べる……」  のだそうな。  女ながら、剣術の修行に鍛えぬかれた体はすっきり[#「すっきり」に傍点]と引きしまっており、 「いくら食べても肥えることがない……」  のだそうな。  こういうことを大治郎に告げたのは、粂太郎少年である。 「三冬さまの胃ノ腑《ふ》は、底なしでございます」  と、粂太郎はいう。  三冬は、茄子《なす》の角切《かくぎり》に、新牛蒡《しんごぼう》のささがきを入れた熱い味噌汁で、飯を三杯も食べてしまい、食べ終って、さすがに大治郎の視線を外し、 「根岸から、ここまでまいりますと、お腹《なか》も空《す》きます」  と、いったものだ。  しばらくして、大治郎と三冬は真剣を抜いて道場に向い合った。  無外流《むがいりゅう》の型をつかおうというのである。  この型は、秋山|父子《おやこ》の恩師・辻平右衛門《つじへいえもん》が創案したもので、二十の型から成っている。その一つ一つには別に何の名称もつけられていない。剣術の型には、いちいち〔稲妻〕だとか〔霞切《かすみきり》〕だとか、もっともらしい名がついているけれども、いまは亡《な》き辻平右衛門は単に〔型ノ一〕とか〔二〕とかいうだけで、伝書のようなものもつくらなかった。  大治郎と三冬が真剣をまじえ、道場の床を踏み鳴らし、 「鋭!!」 「おお!!」  すさまじい気合を発し、型をくりかえすのを見ている飯田粂太郎の顔は青ざめ、ねっとりと脂汗《あぶらあせ》が浮いてきた。  風を巻いて三冬の頭上へ打ち込まれる大治郎の剣は一寸の間を残してとまり、三冬が突き入れる剣先は大治郎の喉元《のどもと》すれすれにぴたり[#「ぴたり」に傍点]と停止する。  一つの型を終えて、たがいにはなれ、呼吸をととのえた二人が剣を構えてするする[#「するする」に傍点]と歩み寄るとき、 「むう……」  粂太郎少年は、おもわずうなり声を発し、両の手に袴をつかみしめた。  無外流の型は、大治郎が田沼屋敷へ稽古に通うようになってから、 「ぜひとも……」  と、三冬に懇願され、伝授したものである。 「お見事……」  半刻ほどかかって、二十の型を終え、秋山大治郎が三冬に、 「格段の上達です」 「ま……そのようにおっしゃられては……」 「いや、まことに……」  手加減をせぬではないが、それにしても、若い女の身で、ここまで会得《えとく》ができるというのはなみなみ[#「なみなみ」に傍点]のことではなかった。 「粂太郎。今日は、ひとりで居合をまなべ」  いいのこして、大治郎は三冬を、となりの居室へいざなった。  三冬の体からは汗にむれた女の体臭が濃厚にただよってい、大治郎はおもわず眼《め》を伏せた。  三冬は、台所の水桶《みずおけ》を持ち、外の井戸へ出て行く。  満身の汗をぬぐうつもりなのであろう。  三冬がもどってから、大治郎が出て行き、これは裸体となって水を浴び、居室へもどると、三冬は稽古着をぬぎ、小袖《こそで》に着替え、さっぱりとした表情で、 「かたじけのうございました」  折目正しく、あらためてあいさつをした。  道場から、真剣の居合をつかう粂太郎少年の気合声がきこえている。 「さ、茶を……」 「ありがとう存じます……あ、おいしい」 「一昨日、父が、とどけてくれましてな」 「小兵衛《こへえ》先生は、お変りもなく……?」 「はあ。なれど、ちかごろは妙に、年寄りじみたことを申します」  などと、語り合ううち、 「大治郎さま……」  三冬が、よびかけた。  以前は「大治郎どの[#「どの」に傍点]」といっていたのに、このごろは〔さま〕という。いささか、こそばゆい。 「なんです?」  三冬が凝《じっ》と、大治郎の眼をのぞきこむようにして、 「田沼の父から、またしても私に、縁談がもちこまれまして……」 「縁談……」 「はい」 「ほう……」  大治郎は平然としているつもりだが、微《かす》かな動揺をおぼえたことは否定できない。 「それは、め、で、たい……」 「父も、こたびは真剣でございます」 「なる、ほど……」 「と申しますのは、以前、私が、私を打ち負かすほどの男なれば、いつにても嫁《とつ》ぐと……そのように言質《げんしつ》を、父にあたえておりますので」 「では、今度も、その……その相手と試合われる……?」 「いけませぬか?」  探るように、三冬の視線が大治郎の顔にまとわりつくのである。 「いや、それは、何も……私が申しあげることではない」 「三冬、負けませぬ」 「ふむ……」 「その相手は、大和・郡山《こおりやま》、松平美濃守《まつだいらみののかみ》様の御家中でございます」 「ははあ……」 「一刀流の達者と、ききおよびました」 「なるほど……」 「父との約束ゆえ、立ち合わねばなりませぬ」 「ふむ……」 「なれど、負けませぬ!!」  三冬が力んでいう。  おもわず、大治郎が、 「大丈夫」  と、こたえてしまっていた。  三冬が、さもうれしげに、にっこりと笑った。  大治郎の顔に、見る見る血がのぼってきた。  三冬に対して「大丈夫……」と、いったのは、取りも直さず大治郎が、その相手との試合に三冬が勝つことを断言したわけだ。となれば、大治郎は三冬が負けて、その相手の妻となるのを、 (こころよくおもっていない)  ことになるのではないか……。  むろん、佐々木三冬は自信満々であって、相手に負けるつもりは微塵《みじん》もないのである。  それならば何も、大治郎へ告げることもあるまいに……。  ともあれ、秋山大治郎が発した「大丈夫」の一言に、三冬は満足をおぼえたようであった。 「大和・郡山の御家中……?」  つぶやくように大治郎が訊《き》いた。  郡山十五万千二百余石の松平家について、何かの記憶をよびさまされたのだ。  三冬のこたえは、明快であった。 「以前は松平家の京都屋敷にいて、一年ほど前に江戸詰めとなりました大久保兵蔵《おおくぼへいぞう》と申すのが、その相手でございます」  こういって、三冬は道場へ出て行った。  飯田粂太郎の居合の稽古を見るつもりになったのであろう。  秋山大治郎は口へ運びかけた茶碗《ちゃわん》を置き、沈黙した。  いまこそ、はっきりとおもい出した。  大久保兵蔵という男を、である。 (勝てぬ……あの男に、到底、三冬どのは勝てぬ)  それが胸苦しい。  兵蔵に負ければ、兵蔵のもとへ三冬が嫁がねばならぬ。  三冬の父で、いまをときめく幕府老中・田沼意次《たぬまおきつぐ》は、以前から三冬の結婚をのぞんでいるはずであった。 (勝てぬ……大久保には勝てぬ……)  大治郎は、絶望的な眼の色になっていた。 「粂太郎。見ちがえるばかりじゃ。それもこれも、秋山先生の御薫陶《ごくんとう》のたまもの[#「たまもの」に傍点]じゃ」  などと、道場から弾みきった佐々木三冬の声がきこえてきた。      二  翌日の夕暮れ……。  まだ、雨がふりけむっている。  鐘《かね》ヶ淵《ふち》の秋山小兵衛宅へ、大治郎があらわれた。  田沼屋敷での稽古《けいこ》を終え、その帰りに立ち寄ったのである。  今朝、大治郎は家を出るとき、留守居の飯田粂太郎《いいだくめたろう》へ、 「もしや……もしやすると、帰りに、父上のところへ立ち寄ることに、なるかも知れぬ。そのつもりで……」  いいおいてあった。  大治郎が出て行ったあとで、粂太郎はくび[#「くび」に傍点]を傾《かし》げた。 (先生、どこか、お体のかげん[#「かげん」に傍点]でも悪いのではないか……今朝は、お顔の色が、妙に、すぐれぬような……)  と、感じたからだ。  大治郎の声も、何やら活気が失《う》せてい、くぐもっていた。  そしていま、今朝よりも尚《なお》、くぐもった顔つきで、大治郎は父の前へあらわれたのである。  今日は、田沼屋敷内の道場へ、佐々木三冬はあらわれなかった。  根岸《ねぎし》の寮にいるか、または、湯島五丁目の、金子孫十郎|信任《のぶとう》の道場へ稽古に出かけたのであろう。 「父上。先日は、結構な茶をいただきまして……」  あいさつをする息子を、ちらり[#「ちらり」に傍点]と見た秋山小兵衛が、いきなり、 「今日は、何か用かえ?」 「いえ、別に……」 「ふうん……」  こうしたやりとり[#「やりとり」に傍点]は、かつてなかった。  大治郎が来れば、先《ま》ず、 「あがれ」  である。 「いっしょにのもう」  である。 「飯を食べて行け」  である。  べつだん、用がなくとも大治郎はやって来るし、小兵衛もそれをふしぎ[#「ふしぎ」に傍点]とおもったことは一度もない。したがって、顔を見るや否《いな》やの「何か用か?」は、いささか唐突といわねばなるまい。  小兵衛は、そのまま、黙念と煙草《たばこ》を吸いはじめた。  台所で、おはる[#「おはる」に傍点]がする夕餉《ゆうげ》の仕度の物音がきこえている。  大治郎が来たとき、おはるは庖丁《ほうちょう》をふるって鯔《ぼら》をさばきながら、 「不二楼《ふじろう》さんが持って来てくれたのですよう、若先生。これを串《くし》にさして、山椒味噌《さんしょみそ》をつけて焼いてねえ、そりゃあ、うまいのだから……いいとこへ来なすったねえ、若先生」  と、いった。  大治郎は、いつまでも、だまっている。  小兵衛が、今度はじろり[#「じろり」に傍点]と見た。  眼と眼が合い、大治郎がはっ[#「はっ」に傍点]とうつ向いた。 (こいつ、今日は、どうしたのか……?)  たまりかねた小兵衛が、灰吹きへ煙管《きせる》の音をたてて、 「いったい、何のはなしをしたいのじゃ。金か。よも、金ではあるまいな、お前のことだから……」 「ちがいます」 「では、何だ?」 「はあ……」 「早く、早く、早く、いえ」 「実は……」 「実は?」 「このたび、佐々木|三冬《みふゆ》どのに、縁談がもちこまれまして……」 「な、何じゃと……」  あきれ返った小兵衛が、 「だから、どうだというのだ?」 「めでたいことで……」 「おう、そのとおりだ。いずれ、田沼様のおはからいによるものじゃろう」 「さよう……」 「いかにも、めでたい。それがどうした……え?」 「はあ……」 「それを、わざわざ、いいに来たのかえ?」 「……ま……さよう……」 「ならば、何で、そのような景気の悪い面《つら》をしている?」  わざと小兵衛は、乱暴なことばづかいになった。 「ふけいき[#「ふけいき」に傍点]……で、ございますか」 「お前の面のことを申しているのだ、わからぬのか」 「はい……」 「すると何か、お前は、三冬どのの慶事が、あまり、うれしくないというのか、そうなのか?」 「いえ、それは……」 「では、何だ?」 「その相手は、松平|美濃守《みののかみ》様家中にて、大久保《おおくぼ》兵蔵と申しまして……」 「ふうん。男らしい、よい名ではないか。なるほど、すると三冬どのは、この前に縁談がもちあがったときと同様、その大久保なにがし[#「なにがし」に傍点]と試合うつもりなのじゃな。そして、負くれば嫁ぐ。勝てば破談。それは田沼様との約束事らしい。してみると、今度は御老中も、女武道のわがむすめと立ち合《お》うて、むざむざ退《ひ》けをとらぬほどの男を見つけ出したものと見える。ふむ、これはおもしろい。わしも見物させてもらおう」  小兵衛が、そういったとき、大治郎がちらり[#「ちらり」に傍点]と小兵衛をにらんだ。  にらんだとはいえぬまでも、たしかに、それは非難の目差《まなざ》しだったといえよう。 「何じゃ、その目つきは……」  大治郎は、眼をそらした。 「これ、お前というやつは……」 「父上。こたびは到底、三冬どの、勝てませぬ」 「ほほう……よく、わかるな」 「私、知っております。大久保兵蔵を……」 「どこで……いつ?」 「まだ、私が旅をしておりましたころ、京で……」 「京じゃと?」 「松平美濃守様、京都屋敷は、洛外《らくがい》・壬生村《みぶむら》にありまして、そのころ、大久保は京都詰めの藩士でございましたが、去年の秋に、江戸詰めとなったのだそうで……」 「お前、立ち合うたのかえ?」 「はい」 「負けたのか?」 「勝ちました」 「なれど、三冬どのには荷が重すぎる……」 「そのとおりです」 「三冬どのが負けて、いやいやながら大久保の妻となることを、お前はよろこばぬ。そうなのだな?」 「いえ、それは……」 「だまれ!!」  小兵衛が活と両眼を見ひらき、すばらしい一喝《いっかつ》を大治郎へあびせた。 「う……」  がっくり[#「がっくり」に傍点]と両手をつき、うなだれた大治郎を見て、台所から走り出て来たおはるが目をみはった。  このように弱々しい〔若先生〕を、おはるは、かつて見たことがない。 「どうしたんですよう、先生。あんな大きな声を出して……」 「酒を出せ」 「あい」  おはるが、酒を運んで来た。  それと、里芋を衣《きぬ》かつぎのまま、ざっとゆでて串にさし、生醤油《きじょうゆ》のつけ[#「つけ」に傍点]焼にしたものを鉢《はち》に盛って出した。 「おはる。わしがよぶまで来るな」 「だってエ……」 「お前が、ここにいては、せがれめがはなしにくいと、よ」 「そんなことってあるもんじゃねえですよう。私は若先生の、母親なんだからねえ」 「ま、よいわさ。おふくろにはなせぬこともあるのじゃ。さ、向うへ行ってやれ。腹が空《す》いたら、先へやっていておくれ」 「あい……」  おはるは、納得がゆきかねる様子で、台所へ去った。 「ま、のめ」 「は……」  しずかに雨の音が座敷にこもっている。 「大治郎」 「は……」 「好きなら好きといえ。惚《ほ》れたのなら惚れたといえ。あの女武道が、お前は、それほど好きだったのか……ふうん……それほどとは、すこしも気づかなんだわえ。ふうん、そうか。そうだったのか……」  大治郎、声もなし。 「それで、試合の日は?」 「十日後だそうで……」 「場所は?」 「田沼様、御下屋敷にて……」 「ふうん……」  手にとった盃《さかずき》もそのままに、青ざめて、うなだれている大治郎をながめながら、 (大治郎も、こんなになるものか……)  おはるではないが、小兵衛も内心ではびっくりしている。 「よし、よし……」  と、やさしい声であった。 「さ、はなせ。その、大久保兵蔵のことを……何やら、どうも、いろいろと子細があるようにみえる。ちがうか、どうじゃ?」 「は……」  盃を置いて、大治郎が向き直った。      三  その翌日も雨であった。  秋山小兵衛は、居間に寝そべって、おはる[#「おはる」に傍点]を相手に軽口《かるくち》をきいたり、体をもませたりしながら、一日をすごした。  昨夜のことについて、おはるが、 「若先生、どうしなすったのですよう?」  とか、 「どうも、ただごと[#「ただごと」に傍点]じゃあない」  とかいい、しきりに聞き出そうとしたけれども、小兵衛は、 「なあに、久しぶりで親父《おやじ》に甘えたかったのだろうよ」  相手にしなかった。  つぎの日。  うす日[#「うす日」に傍点]がさした。  梅雨の晴れ間である。 「ちょいと、弥七《やしち》のところへ行って来るよ」  暗いうちに起きた小兵衛は、おはるの舟で大川(隅田川《すみだがわ》)をわたり、山之宿《やまのしゅく》の〔駕籠駒《かごこま》〕の駕籠で、四谷伝馬町《よつやてんまちょう》の弥七の家へ出かけた。 「これは先生。ずいぶんとまた、早《はよ》うございますね」 「弥七。いてくれてよかった」 「さ、おあがり下さいまし。私はまだ、朝飯をすませていないのでございますよ。昨夜、遅かったもので……」 「何か、事件《こと》が起ったのか?」 「いえ、つまらねえ奴《の》を御縄《おなわ》にしたのでございます」 「そりゃ、手柄《てがら》だったのう」 「とんでもございません。いま、すぐに、お酒を……」 「すまぬ、な……」 「先生。何か、もちあがったようでございますね?」 「わかるか?」 「そりゃあ、もう……」 「いま、これから、わしがはなすことは他言無用じゃ。たのむぞ」 「はい」 「恥をはなさねばならぬ」 「何でございますって……?」 「せがれめが、だらしのないやつでな。そうならそうと、早いうちに、わしの耳へ入れておけばよいものを、よ」 「せがれ……若先生のことなので?」 「そうとも。ま、きいてくれ。その上でな。大和・郡山《こおりやま》の松平美濃守《まつだいらみののかみ》様家中、大久保兵蔵《おおくぼへいぞう》という男のことを、ちょいと探ってもらいたい。いやなに、大久保が悪事をはたらいたというのではないのじゃ。実はな、お前の智恵《ちえ》も借りたいのだ」 「先生のおっしゃることなら、盗み[#「盗み」に傍点]でもいたしますよ」 「御用聞きのお前がかえ?」 「ええ、いたしますとも」 「ありがとうよ。そこまで、わしのことを……」  それから一刻《いっとき》(二時間)ほど、弥七と密談をかわしてから、小兵衛は待たせてあった駕籠に乗り、鐘《かね》ヶ淵《ふち》へ帰って行った。  帰る途々《みちみち》、町駕籠にゆられながら、 (はて、今度ばかりは困ったわえ……)  さすがの小兵衛も、ためいきをついている。  大治郎の語ったところによると……。  数年前のそのころ、郡山藩の京都屋敷詰めだった大久保兵蔵は、屋敷からも近い錦小路《にしきこうじ》の西の外れにある一刀流・鳥飼新兵衛《とりがいしんべえ》の道場へ通っていたそうな。  通うといっても、鳥飼道場の門人は、だれ一人として大久保に勝てず、主《あるじ》の鳥飼新兵衛とて歯が立たぬ。  そこで大久保が、ほとんど一手に道場を切りまわしていたという。郡山藩士であるから、道場を乗取ったわけではないが、事実、大久保が来て稽古《けいこ》をつけるようになってからは、門人も増えたし、鳥飼新兵衛は相応の謝礼を大久保兵蔵に出していたということだ。  江戸とちがって、京都には武芸の道場がいたって少ない。大坂のほうが盛んである。  それだけに、大久保兵蔵がいる鳥飼道場の名は、たちまち、洛中《らくちゅう》へもひろまり、二年後には道場を立派に改築することができ、京都在住の諸藩の士もあつまって来て、千本通・中立売《なかだちうり》にある〔無外流《むがいりゅう》・三浦|源右衛門《げんえもん》〕の道場をしのぐ活況を呈しはじめた。  源右衛門の亡父・三浦|左中《さちゅう》は、秋山|父子《おやこ》の恩師・辻平右衛門《つじへいえもん》とも親交があったという。二人は出身の地も近く、流儀も同じであるところから、 「わしが若いころには、共に修行の旅をしたこともある」  と、辻平右衛門が、京都からも近い大原《おはら》の里へ引きこもった晩年、手もとへ引き取って薫陶《くんとう》した大治郎に、そう語ったことがある。  また、年に一度ほどは、三浦源右衛門が大原へあらわれたものだ。  こうしたわけで、辻平右衛門|亡《な》きのち、いったんは江戸の小兵衛のもとへ帰った大治郎が、あらためて諸国をまわり、修行にはげむことになって、上方《かみがた》へおもむいたとき、三度ほど三浦道場へ滞留した。  大治郎が、大久保兵蔵に出合ったのは、その、三度目の滞留の折であった。  当時、三浦源右衛門は六十八歳の高齢ながら、日に一度は、かならず道場へ出て、若い門人に稽古をつけた。しかし、もはや何といっても昔日《せきじつ》のおもかげはない。  それでいて、この古い道場に門人があつまって来るのは、源右衛門の無欲|恬淡《てんたん》たる人柄が人びとになつかしまれ、その上、三人の高弟がちからを合わせ、きっちり[#「きっちり」に傍点]と道場をまもっていたからであろう。  この高弟の一は、洛外・一ノ坂の郷士で渡辺利之助、二は、同じく内田|弥惣次《やそうじ》。三は、福知山藩士の青木|彦五郎《ひこごろう》である。  三人とも、相当の剣士であって、しかも教え方がうまい。師匠に心服しているだけに人柄もそろって温厚である。だから剣術の道場であっても、何となく学問の塾《じゅく》のような雰囲気《ふんいき》があり、大治郎は、 「源右衛門先生の道場におりますと、実に、安らかな日々をすごしてしまうので……これではいかぬ、と、自分にいいきかせ、また旅へ出たものです」  と、小兵衛に語っている。  さて……。  大治郎が三度目の滞留中の、或《あ》る日。  大久保兵蔵が鳥飼道場の門人十余名を引きつれて、 「三浦源右衛門先生より、一手の御指南にあずかりたい」  と、あらわれた。  この日、大治郎は外出《そとで》をしていた。  高弟の三人は、かねて、老師から念を入れられていたので、 「当道場は、他流との立合いを禁じられております」  と、ことわった。  これは、卑怯《ひきょう》でも何でもない。  兵蔵は強硬に試合をのぞんだが、三人は毅然《きぜん》としてことわりぬいた。  仕方なく、いったんは引きあげたものの、大久保は執拗《しつよう》に試合申し込みをつづける。  自分の名がひろまるにつれ、壬生村《みぶむら》の道場で門人たちへ稽古をつけているだけでは、 「飽き足らなくなった……」  のであろう。  となれば、せまい京都で相手になるのは、先《ま》ず、三浦源右衛門より他《ほか》にない。他にも剣術の道場がないではないが、大久保の食指をさそうほどのものではなかった。  あまりに、執拗なので、 「よろし。受けてやりなさい」  と、ついに源右衛門が承知をした。 「先ず、三人が相手をすることじゃ。それでいけなければ、わしが出よう」  と、源右衛門はいった。  その当日。  門人たちを引きつれて三浦道場へあらわれた大久保兵蔵は、先ず、内田弥惣次と立ち合うことになった。  内田は、このとき三十七歳。背丈が高く、立派な体格のもちぬしで、大久保と木刀を構え合って対峙《たいじ》したときはすこしも見劣りがしなかった。  だが、勝負は一瞬のうちにきまった。  厚く重い壁がのしかかって来るかのように、大久保兵蔵の圧力がじわじわと内田弥惣次を押しつめ、内田が捨身に打ち込んだ一刀は大久保に叩《たた》き落された。 「まいりました」  礼儀正しく、内田は坐《すわ》って一礼した。  その頭を、大久保が撃った。  内田は、吐血して倒れた。  さいわいに死をまぬがれたが、のちに内田弥惣次は廃人同様の身となってしまう。  道場内に、大久保兵蔵を非難する声がわきあがった。  秋山大治郎は、この始終を、わが眼《め》に見とどけている。  渡辺利之助と青木彦五郎が立ちあがり、大久保兵蔵へ詰め寄った。  気をうしなった内田は奥へ運び込まれ、三浦源右衛門も、これについて入った。  あとでわかったことだが、源右衛門は、すぐさま、大久保と立ち合うための身仕度にかかったそうである。  内田が「まいりました」といった一語を、大久保は、 「きかぬ。耳へ入らなかった」  傲然《ごうぜん》と胸を張っていい切り、 「つぎは、どなたでござる?」  渡辺と青木をうながしたものである。  青木彦五郎が激怒して、 「よし。拙者が……」  いいさしたときに、はじめて大治郎が声をかけた。 「青木先生が出られるにはおよびませぬ。私でたくさん[#「たくさん」に傍点]です」      四  秋山大治郎と大久保兵蔵《おおくぼへいぞう》との勝負も、一瞬のうちにきまった。  もっとも二人の対峙《たいじ》は長く、三間をへだてて正眼に構え、そのままうごかなくなってしまったのだが……。  そのうち、大久保が一歩、踏み込んで大上段に振りかぶった。大治郎は、うごかず。  変化があらわれたのは、それから間もなくのことである。  大久保兵蔵は上段の木太刀をそのままに、激しい気力を巨体にみなぎらせ、じりじりと間合いをせばめて来た。この心身の圧倒的なちから[#「ちから」に傍点]に自信がないと、なかなか刀を振りかぶれないものだ。振りかぶったままで敵を圧迫し、敵の気力が萎《な》えた一瞬に、電光のごとく太刀を敵の頭上に打ち込む。  このときの大久保の全身には、殺気が充満していた。  ところが、どうしても打ち込めない。  いくぶん、腰を落しぎみにして正眼に木刀を構えたまま、化石のごとくうごかぬ大治郎へせまりつつ、 「むう……」  低いうなり声を発した大久保が、ぱっと飛び退《しさ》って、構えを上段から正眼へもどしたとき、彼の顔面は灰色となってい、あぶら汗がふき出ていた。  一瞬、間があった。  つぎの瞬間に、大治郎が体を低めて躍り込んだ。  同時に大久保兵蔵も、踏み込んで迎え撃った。  何ともいえぬ響音が道場の空気を引き裂いたとおもったら、大久保の手をはなれた木太刀が一直線に天井へ飛び、天井板へ突き刺さったものである。  大治郎が、大久保の木太刀の柄頭《つかがしら》を下からはねあげたのだ。そのとき、大久保の左手も強《したた》かに打ち叩《たた》かれている。  大久保は、茫然《ぼうぜん》と、立ちつくしたままであった。  左の片膝《かたひざ》をついて大久保の木太刀をはね飛ばした大治郎が、立ちあがり、 「これまで……」  と、いった。  大久保について来た鳥飼道場の男たちが、こそこそと引きあげて行く。  しばらくは声もなく、感嘆の視線を大治郎へあつめていた三浦道場の人びとの歓声があがったのは、大久保兵蔵の姿が道場から消えてのちである。それだけ、この道場の人びとは敵に対する慎みをもっていたといえよう。 「ようやってくれた……」  三浦|源右衛門《げんえもん》が両眼に泪《なみだ》をたたえ、大治郎の手をつかみ、二度三度と打ち振った。  秋山大治郎は、この夜のうちに、三浦道場を発し、旅に出ている。  これは、大久保兵蔵の復讐《ふくしゅう》を避けるためであった。 (この男は、到底、このままには引き下るまい)  と、大治郎は看《み》た。  そうなれば、当然、真剣勝負となる。 (三浦道場へ、迷惑をかけてはならぬ)  このことであった。  大治郎は、三浦源右衛門に置手紙をしたため、夜半、だれにも告げずに道場を発し、そのまま一気に、備前・岡山まで行った。  これは、のちにわかったことだが、果して大久保兵蔵は大治郎に真剣試合を申し込み、いくら「いま、旅に出ている」とこたえても承知せず、鳥飼道場の者をつかって、三浦道場に見張りをさせたりした。  さすがの三浦源右衛門も腹を立てて、 「実は……」  と、これを、京都所司代と町奉行所へ密《ひそ》かにとどけておいた。  所司代や町奉行所のうちに、合わせて十五名ほど、源右衛門の門人がいる。  そのうちに、道場のまわりをうろうろ[#「うろうろ」に傍点]していた鳥飼門下の者が二人ほど、町奉行所の警吏に見とがめられ、訊問《じんもん》をうけた。  これで、ようやく、大久保兵蔵も手を引いた。  一つには、秋山大治郎が、もはや京都にいないことを知ったからでもあろう。  大治郎が、父・小兵衛へ語ったのは、以上のことであった。 (大治郎の申すことがほんとうなら、こいつ、どうも……)  と、小兵衛は町駕籠《まちかご》にゆられながら、 (どうも、何じゃな……その大久保兵蔵とやらは、三冬《みふゆ》さんには、ふさわしくない男のようだ。だが、まさかに、おのれが三冬さんを好いているゆえ、大治郎め、ことさらに大久保を悪くいいたてたのではあるまいが……?)  先《ま》ず、そうしたことはないだろう。  大治郎から聞いただけでも、佐々木三冬が大久保に勝てるとはおもえぬ。  三冬は女武道としてなら相当なものだが、そこは何といっても女の体だけに、男の剣士が突き破る修行の壁の最後のところは、どうしても突き破れない。そこに、女の肉体の限度があるのだ。 (このようなことに、わしは、くび[#「くび」に傍点]を突込みたくないのじゃが……)  老顔を顰《しか》めつつ、小兵衛が、 (なれど……真《まこと》のところ、三冬さんは大久保兵蔵に嫁ぎたくないのじゃ。それなのに立ち合うことを承知したのは、大久保を侮《あなど》りきっているからだ。ほんに仕方もない。女武道は、これだから始末がわるいのじゃ。だが、立ち合えば負ける。田沼様は、一日も早く、わがむすめを嫁入らせて安心をしたいことゆえ、負けてのちのことは、三冬さんのわがままを今度こそは通すまい)  三冬は、もとより大久保など眼中になく、大治郎は三冬への恋情をあきらかにした。しかも大久保は、どう看ても三冬にふさわしくなく、ひいては老中・田沼|意次《おきつぐ》の聟《むこ》としても、 (ふさわしくないわい)  と、小兵衛は断定してしまった。  しかし、大久保兵蔵について知れることを、田沼意次へ語りつたえることは、何となく卑怯《ひきょう》のようだし、 (何事も、わしの目で大久保の面《つら》をあらためて見るまでは……)  小兵衛は、じりじりしながら、 (それにしても、だ。三冬さんのほうは大治郎を何とおもうているのか……?)  であった。  剣を通じて親しくしているようだが、もともと三冬は、 (わしのことを好いていたのじゃし……)  おもわず、にやり[#「にやり」に傍点]となった。  小兵衛を乗せた町駕籠は、大川橋へさしかかっている。      五  麻布《あざぶ》の森元町《もりもとちょう》に、柳喜十郎《やなぎきじゅうろう》という剣客が一刀流の道場を構えている。  江戸では、それほど名を知られていないし、道場も小さい。柳喜十郎は四十五歳。妻女との間に二女があって、痩《や》せた体に洗いざらしの衣服と袴《はかま》をつけ、子たちの手をひき、近くの善長寺の境内などへ来て、ぼんやりと時をすごしている姿を見ると、 「あれが、とても、剣術の先生とはおもえない」  近辺の人びとは、そういっているらしい。  二人の女の子は十歳と七歳だそうな。してみると喜十郎、晩婚らしい。  気さくで、妻女の代りに魚屋や八百屋へも買物に出る。そうしたときの柳喜十郎は、小刀すら腰に帯びていないのが常であった。  それでも、門人が二十余名いる。  いずれも年配の人びとばかりで、諸藩の士や、浪人もいるが、血気にまかせて修行に打ち込むというよりも、剣術を好むものたちが寄り集い、柳喜十郎を中心にして、むしろ、剣術をたのしむかのような感じがする。  柳道場の門人の中に、大和・郡山《こおりやま》藩士で、佐藤|要《かなめ》という者がいた。  むろん、江戸屋敷詰めで、武具奉行をつとめていた。  佐藤は、折あるごとに、師の柳喜十郎をほめそやしてやまぬ。 「名利に、まったく関心がない先生ゆえ、おそらく、あのまま、麻布の小さな道場で埋もれておしまいになるであろうが……自分の看《み》るところ、将軍家御ひざもとの、この江戸においても、柳先生の右に出る剣客は五人といまい」  これが、佐藤要の口ぐせのようなものであった。  郡山藩・松平家の江戸屋敷の人びとは、佐藤の言葉をきいても、あまり関心をしめさぬようだ。  しかし、これが、去年に江戸詰めとなった大久保兵蔵《おおくぼへいぞう》の耳へ入った。  大久保は、三十五歳になる。  秋山小兵衛が、四谷《よつや》の弥七《やしち》の報告を聞いたところによると、なんでも大久保は、松平美濃守《まつだいらみののかみ》の家老・柳沢五郎右衛門が侍女に生ませた子だそうで、のちに、側用人《そばようにん》・大久保孫四郎の養子に入れた。  養父・孫四郎が亡《な》くなってのち、兵蔵が跡をつぎ、側用人となったが、とてもとても、藩主の秘書のような役目がつとまる大久保兵蔵ではなかった。  なるほど、剣術は大したもので、養父の跡をつぐまでは、大坂から中国、さらに九州までも足をのばして武者修行をして来たというだけあって、郡山藩中には、大久保兵蔵を打ち負かすほどの剣士は、 「一人もいなかった……」  そうである。  とにかく荒々しい。それに、殿さまの一族である柳沢家老の落胤《おとしだね》だというので、何事にも、 「肩で風を切る……」  ようなところがあり、殿さまの松平美濃守も、 「兵蔵に、この役目はつとまらぬ」  と、断じ、気風のやわらかな京都屋敷へ、しばらく置いたなら、人柄《ひとがら》も変るのではないかというので、京都へ転勤させられたのである。  ところが、結果はよくなかった。  三浦道場の一件を見てもわかるように、大久保兵蔵は京都で、大分に狼藉《ろうぜき》をはたらいたらしい。  所司代や奉行所からも、郡山藩の京都屋敷へ注意が行ったほどだ。  そこで、今度は、 「多士済々《たしせいせい》の江戸屋敷へ置いたなら、あの傲慢《ごうまん》ぶりも熄《や》むのではないか……」  ということになり、江戸屋敷へまわされたのである。  藩庁が、禄高《ろくだか》二百石の大久保兵蔵に、これだけ気をつかってくれるのは、やはり実父・柳沢五郎右衛門の威勢が、 「もの[#「もの」に傍点]をいっている……」  からなのであろう。  大久保は三十五歳の今日まで妻を迎えず、したがって子もない。  こういうところに、大久保兵蔵という男の何かが欠落している。  実父も何度か、結婚をすすめたし、殿さまも、 「躬《み》が、しかるべき女《もの》を……」  とまでいってくれたのだが、大久保は、そのたびに、 「まだまだ、早《はよ》うござる」  断然、拒否してきた。  そのくせ、郡山城下にいたころは、藩中の美少年を、 「追いかけまわしていた……」  とのことだ。  さて……。  佐藤要から、柳喜十郎のことを聞いた大久保兵蔵は、 (ふむ……これは、おもしろい)  久しぶりで、勃然《ぼつぜん》となった。  五日後に、大久保は、いまを時めく老中・田沼|意次《おきつぐ》の落胤《らくいん》・佐々木|三冬《みふゆ》との試合をひかえている。  この、縁談を前提にしての試合についても、 (ふむ、おもしろい)  と、大久保はおもっている。 (それほどの女なら、叩《たた》きのめした上、妻にしてもよい)  と、おもった。  このはなしは、佐々木三冬のうわさを聞いた松平家の江戸留守居役・大井|甚左衛門《じんざえもん》から国もとの柳沢五郎右衛門の耳へとどけられ、柳沢家老は、わざわざ出府して、田沼意次と会い、大久保兵蔵の将来についても、かならず責任をもって重役のひとりに昇進させることを誓った。  老中・田沼意次のむすめとの結婚は、松平家にとって、ねがってもないことだから、殿さまの美濃守までも熱心になったのである。 「では、一度、会《お》うて見よう」  と、田沼意次が、大久保を下屋敷へ招いた。実父の柳沢家老も同席した。  ひと目で、田沼意次は、 「ふうむ、これならば……」  と、大久保兵蔵を気に入ってしまった。  堂々たる体躯《たいく》と、いかにも颯爽《さっそう》たる大久保の風貌《ふうぼう》を見て、さすがの意次の目も狂いを生じたといってよい。      六  佐々木|三冬《みふゆ》との試合を明後日にひかえた、その日の昼すぎに、大久保兵蔵《おおくぼへいぞう》は幸橋御門内の藩邸を出て、麻布《あざぶ》へ向った。  御門外の二葉町に、〔増田屋〕という料理屋がある。  秋山小兵衛は、三日前から、四谷《よつや》の弥七《やしち》と共に、増田屋の二階座敷へ来ては午後をすごしていた。  実は小兵衛、困惑しきっているのだ。  なるほど、弥七が手をまわし、大久保の身辺を探ってくれはしたが、だからといって深いところまではわからぬ。  それに、 (わかったところで、どうしようもない……)  ことではないか。  これまでに知った大久保のことを、田沼|意次《おきつぐ》へ耳打ちして、 「どうも、三冬さまの相手としては、考えもの[#「考えもの」に傍点]でございます」  とでもいうよりほかに、道はないのだが、それはどうも小兵衛として、 (告げ口をもって大久保を、ひそかに誹謗《ひぼう》するようで嫌《いや》なことだ)  なのである。  では、どうする?  どうしようもない。とにかく、この眼《め》で大久保兵蔵を、たしかめたい一念であった。  四谷の弥七は、松平家の中間《ちゅうげん》部屋へ三日ほど通い、金をふりまき、中間たちの手引きで、藩邸内の通路を行く大久保の顔をたしかめてきている。上屋敷の中間部屋だけに、博奕《ばくち》はゆるされていないが、浅草|茅町《かやちょう》の中屋敷の中間部屋は、夜になると、あたりでも知られた博奕場になる。  弥七と傘《かさ》屋の徳次郎は、中屋敷の中間部屋へ入りこみ、そこから手づるを得て幸橋御門内の中間部屋へ入りこむことができた。  むろん、御用聞きということもあったし、小兵衛が中間どもへふりまくために弥七へわたした金は、約三十両におよぶ。  その日。  小兵衛は、昼すこし前に増田屋へ着き、 「いそがしいのに、毎日、すまぬな」 「とんでもないことで……」  弥七と共に、酒をのみ、昼飯を食べた。  のみ、食べながらも弥七は、一枚開けた窓の障子へ身を寄せ、幸橋御門の方を注視している。 「そやつの面をあらためて見たところで、どうにもならぬのじゃが……」  憮然《ぶぜん》として小兵衛が、 「歯がゆいことよ、まったく……こんなことは、はじめてじゃ」 「若先生は、どうしていなさいます?」 「何やら、悶々《もんもん》としているそうな……」 「あの若先生が……」 「この道[#「この道」に傍点]ばかりは別らしい。それに引きかえ、あの女武道のほうは自信満々というところで、大久保兵蔵など歯牙《しが》にもかけぬ。三冬どのが先日もまた、橋場の道場へあらわれたら、大治郎め、あわてて逃げ出したと、粂太郎《くめたろう》が申していたわえ」 「なある……」  いいさした弥七が、 「あっ。出て来ました。大久保が……」  と、いった。 「どれ、どれ?」 「あれでございます。いま、御濠《おほり》へかかる橋をわたって、こちらへ……」 「ふむ。なるほど、大男じゃな」 「どうなさいます?」 「後をつけて見よう。もっとも、つけて見たとてはじまるまいが、何か、わしにものみこめることがあるやも知れぬ」 「では、すぐに……」 「お前も来てくれるかえ」 「当り前のことで……」 「心強いな、それは……」  と、小兵衛は妙に、元気がない。  朝からうす日[#「うす日」に傍点]がさしていたが、小兵衛も弥七も用心のため、傘を持ち、高下駄《たかげた》をはいて来ていた。  幸橋門外へ出た大久保兵蔵は、大名・武家屋敷が両側にたちならぶ佐久間小路を、芝・増上寺の方へ向って悠々《ゆうゆう》と行く。  きれいにゆいあげた髷《まげ》、濃い眉《まゆ》、炯々《けいけい》たる両眼。それに立派な衣装に包まれた堂々たる体躯《たいく》である。  道行く人びとが、大久保を振り返って見送るほどであった。 (なるほど。これは到底、三冬どのの手には負えまい)  小兵衛は、あらためて、そうおもった。  ところが、である。  これほどの大久保兵蔵が、なんと、あの見るからに貧弱な風采《ふうさい》の柳喜十郎へ試合をいどみ、喜十郎に負けてしまったのだから、それこそ、 「人は、見かけによらぬもの……」  なのである。  この日、大久保は、 (佐藤|氏《うじ》がさほどにほめたたえる柳喜十郎の腕を試してやろう)  と、おもいたった。  むろん、明後日にせまった佐々木三冬との試合など、眼中になかった。  江戸へ来てからの大久保は、手ごたえのある試合をほとんどしていない。それだけに大久保は、気負い立っている。 「一手の御指南を……」  と、柳道場へおもむいて申し入れたが、そのときに、柳喜十郎を見て、 (これは、もう、立ち合うこともない)  見くびってしまったようだ。  すると、なんとおもったか、柳が、 「よろしゅうござる」  すんなり[#「すんなり」に傍点]と、受けてしまったではないか。  これには、道場に残っていた三名ほどの門人も、びっくりした。いや、柳が勝てまいという不安からではなく、見知らぬ剣客を相手に、みずから立ち合うような人柄ではなかったからだ。  のちになって、柳喜十郎はこういったそうな。 「……自分にも、よくわからぬが、なんとなく、久しぶりで、あの強そうな男《の》を相手にしてみたくなったのですよ」  柳がことわったら、おそらく大久保は、鼻で笑って引きあげたに相違ない。  で、立ち合った。  柳喜十郎は、激しく打ち合ったのちに、大久保兵蔵の胴をあざやかに打ち払って勝ったのである。  この試合を、小兵衛は道場の窓からのぞいていた。 「あのとき、大久保の木太刀の打ち込みは、一つ一つ、間《ま》が外れてしまった。いや、柳喜十郎に間を外されてしまったといったほうがよかろう。いや大したものよ。江戸の片隅《かたすみ》に、あれだけの剣客がねむっていようとはなあ……」  のちに、小兵衛は大治郎へ、そう語っている。  とにかく、大久保は負けた。  負けて尚《なお》、憤然として柳道場を出た。 (おのれ……)  そのときの口惜《くや》しさは、京都の三浦道場で大治郎に負けたときよりも、層倍のものだったろう。柳を見くびっていただけにである。  大久保は、顔面|蒼白《そうはく》となり、昨夜までふりつづいていた雨にぬかるんでいる道を駆けるようにして、坂道を中ノ橋の方へ向った。  と、そのとき……。  このあたりにあつまっている公儀の組屋敷と組屋敷の間の細道から、小さな手押し荷車をひいた野菜売りの老爺《おやじ》が、ひょいと出て来た。  その老爺へ、大久保がもろ[#「もろ」に傍点]にぶつかった。  いかに我を忘れていたとはいえ、ひとかどの剣客として不覚である。  だが、このときの大久保に、その反省をもとめてもむり[#「むり」に傍点]であったろう。 「ぶ、無礼者め!!」  わめいて、倒れかかった老爺へ追いせまり、大久保兵蔵がぱっ[#「ぱっ」に傍点]と抜き打った。  同時に、得体の知れぬ物が風を切って飛んで来て、大久保の顔へ打ち当った。  秋山小兵衛が投げた雨傘であった。 「あっ……」  振り向いて身構えた大久保の隆《たか》い鼻から血がふき出した。尋常の者が投げた雨傘ではない。一瞬、大久保は目が眩《くら》んだ。 「おのれ、きさま!!」  わめきざま、大久保兵蔵は、眼の前にいる小さな白髪の老人へ切りつけた。  ふわり[#「ふわり」に傍点]と老人の……秋山小兵衛の身が沈み、大久保の傍《わき》を転げるようなかたちになってすりぬけざま、早くも抜きはらった波平安国《なみのひらやすくに》の脇差《わきざし》で、 「む!!」  小兵衛が、大久保の右の足首のあたりを切りはらった。 「うわ……」  大久保兵蔵が、のめりこむように倒れるのを見返りもせず、 「さ、逃げるのじゃ」  小兵衛と弥七は、野菜売りの老爺をうながし、たちまちのうちに走り去った。      ○  梅雨が明けて間もなく、老中・田沼意次が、久しぶりで小兵衛を屋敷へ招き、晩餐《ばんさん》を共にした。  他意あってのことではない。  小兵衛の世間ばなしを聞きたかったのである。  そのうちに、きげんよく酔った意次が、 「もはや、半月ほど前のことになるが、三冬に縁談が……」 「はい。ちら[#「ちら」に傍点]と聞きおよびましたが……」 「それが、壊《こわ》れてのう。三冬からも聞かれたとおもうが……」 「ははあ……」 「その相手が、足首から下を切り落され、三冬と立ち合うこともならず、縁談を辞退してまいったのじゃ」 「何者に足を?」 「さて、それがわからぬ、一応、手の者をつかわし、調べさせたのじゃが……何でも、麻布の公儀|賄方《まかないかた》屋敷のあたりで、何者とも知れぬ者と争い、不覚をとったらしい。聞くところによると、大久保《おおくぼ》が何やら、町民に狼藉《ろうぜき》をはたらき、これを助けんとした男と争い、かえって切られたという。一藩の士たるべきものが言語道断の不覚であった。いやはや、人は見かけによらぬものよ」 「ははあ……」 「そこでまた、いろいろと、郡山《こおりやま》藩の方を探らせて見たが、どうも、面妖《めんよう》な男らしい。わしも、こたびこそは三冬を、と、意気込んでいたのだが、どうも、とんでもないのをつかみかけたようだ。ほっ[#「ほっ」に傍点]としている」 「それは、それは……」 「わしも、あせっていて、一日も早く三冬を、人並の女にせねばとおもいつめていたものだから、つい、このようなことになった。これからは、もう、三冬の好きにさせることにいたした」 「それは、何より……」 「それにしても、大久保ほどの男の足首を切って落すとは……その相手も見あげたものよ」 「どこのたれとも、いまだに?」 「わからぬ。二人づれであったそうな。組屋敷の女房《にょうぼう》どもが通りかかって見たそうなが、一瞬のことにて、しか[#「しか」に傍点]とはわからなんだらしい」 「ははあ……」 「松平家へは、きびしくいってやったので、大久保兵蔵は、国もとへ送り返されることになったそうな」 「それは、それは……」 「ま、今夜はゆるり[#「ゆるり」に傍点]とすごさるるがよい」 「かたじけなく……」 「またしても、夏じゃのう」 「はい」 「暑いのは閉口じゃ。こうして、くつろいでいるのなればよいが、上下《かみしも》をつけて、もったいらしくせねばならぬ殿中の夏は、いやはや、たまらぬことよ」 「お察し申しあげます」 「ときに、御子息には、家中の者が世話をかけている。意次《おきつぐ》からもよろしゅうと、おつたえねがいたい」 「もったいないことでございます」 「御用繁多で、屋敷内の道場を見まわる余裕《ゆとり》とてないのじゃ。御子息は元気かな?」 「はい。ちかごろは、ことさら[#「ことさら」に傍点]に元気のようでございます」 「それは何より、さ、もっと酒を、遠慮なくすごされるがよい」     たのまれ男      一  夏もすぎようとするころ……。  生れてからこの方、医薬の手を借りたおぼえが一度もないというおはる[#「おはる」に傍点]が、腹をこわして寝込んでしまった。  或《あ》る日の夕暮れに、 (いくらか、元気になったろうか?)  秋山|大治郎《だいじろう》が鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ出かけて見ると、おはるの診察を終えた町医者・小川|宗哲《そうてつ》が、例によって父・小兵衛《こへえ》と碁を囲んでいる。  間もなく、小兵衛が台所へ入り、酒肴《しゅこう》の仕度をととのえてもどり、大治郎もまじえて、ひとしきり酒食がすむと、また、碁盤に向い合った。 「宗哲先生。お帰りになるときは大治郎に送らせます」  と、いわれてしまったからには、先に帰るわけにもゆかぬ。  おはるは奥の間で、小兵衛のこしらえた粥《かゆ》を食べ、ぐっすりとねむってしまった。もう回復に向っていると看《み》てよい。  こういうわけで大治郎は、宗哲を本所《ほんじょ》・亀沢町《かめざわちょう》の自宅へ送りとどけ、夜ふけの大川橋をわたることになったのである。  風も絶え、月も無い、蒸し暑い夜であった。  すでに、四ツ(午後十時)をまわっていたろう。  まったく人気の絶えた大川橋の東詰から橋をわたりかけたとき、大治郎は橋板の上の小石につまずき、わずかに、よろめいた。  それほどのことでは消えるわけがないのに、物の拍子というのであろう、手にしていたぶら[#「ぶら」に傍点]提灯《ぢょうちん》の火が消えてしまったのだ。  消えたとて、別に、おどろくこともない。  橋をわたれば花川戸《はなかわど》で、この夜ふけに灯《ひ》をともしている場所もないではない。そこで火を借りればよい。  大治郎は、歩み出した。  と……。  橋の西詰から、ひたひた[#「ひたひた」に傍点]と数人の足音が近づいて来た。  徒事《ただごと》ではない。この夜ふけに数人の男が走って来るというのは、変事があったからこそで、そこは二百年前の江戸の夜である。現代の東京ではない。  こういうときには、 (そっと[#「そっと」に傍点]、やりすごすにしくはない)  大治郎は橋の北側の欄干へ身を寄せ、屈《かが》み込んだ。  そのとき、ふと[#「ふと」に傍点]おもい出した。  今年の正月。旧知の、伊勢亀山《いせかめやま》の大念寺住職・無覚和尚《むがくおしょう》が、この大川橋から身を投げたことをである。  ひたひた[#「ひたひた」に傍点]、ひた[#「ひた」に傍点]と、足音が近づいて来たかとおもうと、橋の中央でぴたり[#「ぴたり」に傍点]と止った。  提灯が二つ見えていたが、このとき、急に消えた。 (や……?)  まさに怪しい。  音もなく、呼吸をつめた大治郎がじりじりと近寄って行った。  町駕籠《まちかご》が一|挺《ちょう》、橋板に下ろされ、これを六人の男たちが取り囲むようにし、駕籠の中から、何か引き擦り出した。  闇《やみ》に馴《な》れた大治郎の眼《め》が、とっさに、 (人……)  と、見た。  人を荷物のように何かで包み込み、これを川の中へ投げ込もうとしているのである。  こうなっては、見捨ててはおけぬ。  投げ込まれる人よりも、投げこむ男たちの仕業が、 (天を怖《おそ》れぬ……)  ものであったからだ。  男たちは、件《くだん》の荷物を担《かつ》ぎあげ、南側の欄干へ近づこうとした。 「待て!!」  身を起した大治郎が、大声によばわった。  剣客が、気力をこめた一声である。  男たちは、愕然《がくぜん》となった。  走り寄った大治郎が、 「その荷物は何だ?」 「う……」  荷物を担いだ四人も、別の二人も、尻《しり》をからげた草鞋《わらじ》ばきで、布で顔を隠している。 「荷物を下ろせ。中身を拝見しよう」  こたえはない。  そのかわりに、前へ飛び出した二人が、いきなり、大治郎へ抜き打った。  同時に大治郎が軒をはなれた燕《つばめ》のごとく、躍り込んだ。  飛びちがったかたちで、二人の白刃《はくじん》は空《むな》しく闇を切り裂いたのみである。  大治郎は、くるり[#「くるり」に傍点]と身をまわし、荷物を担いでいる一人のひ腹[#「ひ腹」に傍点]へ当身をくわせた。 「うわ……」  両手をはなして、のめり倒れたので、荷物がぐらり[#「ぐらり」に傍点]とゆれる。  さらに、まわりこんだ大治郎が、 「や!!」  もう一人の足を払った。  こやつは尻餅《しりもち》をついた。  荷物が橋板へ落ちた。 「うぬ!!」  飛び退《しさ》った曲者《くせもの》どもが、いっせいに刀を抜きはらったとき、そのうちの一人が欄干を越え、大川へ投げ込まれた。  曲者どもの動揺は激しかった。とても、いまは勝目はないとおもったらしい。 「ひ、引けい」  曲者どもは、当身をくらって倒れていた仲間を引き起し、這《ほ》う這《ほ》うの態《てい》で逃げ去った。  大治郎が荷物へ近づいた。菰《こも》を二重にして、人間を包み込んである。脇差《わきざし》を抜いて縄《なわ》を切りほどくと、ごろり[#「ごろり」に傍点]、人がころがり出た。  男である。侍である。  むろん、気をうしなっていた。  口に噛《か》まされていた猿《さる》ぐつわ[#「ぐつわ」に傍点]を外し、手足の縄を切り放してから、男の上体を引き起した大治郎が、 「む!!」  侍に、活を入れた。 「う……う、う……」 「これ、しっかりしろ」 「あ……う、う……」 「気がついたか」 「あ……ここは、何処《どこ》だ?」 「おぬしは、菰包みにされて、川へ投げ込まれようとしたのだぞ」  そういって、大治郎は、 (この男の声に、聞きおぼえがある)  と、おもった。 「あ……わかった……た、助けて下されたのか?」 「さよう」 「よ、よかった……生き返った……」 「これ、おい……」 「かたじけない」 「おぬしの名は?」 「小針《こはり》又三郎と申します」 「あっ……」 「え……?」 「小針さん。私の声を、おぼえていないか?」 「な、何ですと?」 「秋山大治郎だ」      二  大治郎が小針又三郎を知ったのは、大坂・天満《てんま》の柳|嘉右衛門《かえもん》道場に滞留しているときにであった。  そのころ、小針も一ヵ月ほど柳道場に滞留していて、年ごろも同じでもあり、二人とも物にこだわらぬ気性なので、すぐに仲よくなり、気が乗ると二人して、早朝から夕刻まで打ち通しに稽古《けいこ》をしたこともある。  小針の剣は素直で、大治郎としては、 (教え甲斐《がい》があった……)  という印象が、いまも残っている。  剣術が大好きらしい。しかし、おのれの剣を高度なところへもってゆくためには、小針又三郎の性格が、もっと変らぬと実現はおぼつかないだろう。なにしろ、のんき[#「のんき」に傍点]者だし、勝敗にあまり執着をしない。つまり、欲がないのである。  といっても、秋山小兵衛に剣を教えられた四谷伝馬町《よつやてんまちょう》の御用聞き・弥七《やしち》よりは、 (一段上……)  と、看《み》てよいだろう。 「なあに、剣術をやっていると、つまらんことを考えなくてすむ。だから、いいのですよ」  などと、小針はいっていた。  いつも、総髪《そうがみ》をきれいにゆいあげてい、着ているものも小ざっぱりとしている。当人の口から聞いたわけではないが、柳道場の門人たちは、 「小針さんは、いい御身分なのですよ。生涯《しょうがい》、食うには困らぬという……」 「小針さんの亡《な》くなった父御というのが、長堀《ながほり》の亀屋《かめや》の縁者だということです」  大坂の長堀・三休橋《さんきゅうばし》南詰の蝋問屋《ろうどんや》〔亀屋|伊兵衛《いへえ》〕は、それと知られた豪商で、諸大名の蔵《くら》屋敷とも深い関係がある。  小針又三郎の亡父・又右衛門《またえもん》は、生前、安土町《あづちまち》・心斎橋《しんさいばし》筋の小ぢんまりとした家に住み、好きな読書にふけって一生を終えたというのだから、なるほど食べるには困らなかったのであろう。 「なんでも、小針さんの父御は、さる大名の御落胤《ごらくいん》だったといううわさ[#「うわさ」に傍点]を聞いたことがあります」 「とにかく、うらやましいな、小針さんは……」  父母が亡くなってからこの方、小針は剣術をやりながら、諸国を経めぐって来た。  それも、大治郎のように、おのれの剣を磨《みが》くための旅というのでもなく、いわば諸国を見物しながら、気に入った道場があれば、そこへとどまって修行をして来るというわけで、一年に一度はかならず大坂へもどって来る。  大坂にいるときは安土町の家へ帰らず、柳道場へ滞留するのが常であった。  小針は、中肉中背の均整のとれた体躯《たいく》のもちぬしで、 「生れてからこの方、一度も医薬の手を借りたことがありません」  と、大治郎に語ったことがある。  童顔で、両眼がくろぐろと大きく、涼しげであった。  金銭の苦労をせず、のびやかに剣術をつかって暮しているのだから、自然、言動も明朗なのである。  その小針又三郎にこの夜、六年ぶりで、おもいもかけぬ出合いをしようとは……。 「大丈夫か?」 「なあに……平気です」  大治郎が肩を貸してやると、小針は、よろめきながらも立ちあがった。 「いったい、どうしたのだ?」 「不覚でした。酒をのまされてしまって……」 「ほう……」 「うまく酔いつぶされて、気がついたときは手足を縛られ、猿《さる》ぐつわを噛《か》まされ、菰《こも》包みにされて……いや、どうも、われながら面目ない」 「騙《だま》されたのか?」 「ま、そういうところです」  苦笑を浮べかけて、 「痛……」  小針は顔をゆがめた。  腰や背中を、棍棒《こんぼう》か何かで、ひどく打ち叩《たた》かれているらしい。 「とにかく、私の背中へ……」 「と、とんでもない」 「いいから、そうしなさい。さ、早く……」  曲者《くせもの》どもが逃げ切ったとはおもえない。  これから大川橋を西へわたって、浅草・橋場の自分の道場へ小針又三郎を担《かつ》ぎ込むことはわけもないが、 (奴《やつ》どもが待ち構えていて、後をつけられるおそれ[#「おそれ」に傍点]がある)  大治郎は、そうおもった。  そこで、小針を背負った大治郎は大川橋を東へわたり返した。  これならば、彼らが、ふたたび橋をわたって尾行するわけにはまいらぬ。大治郎の耳が完全に彼らの行動をとらえてしまう。  橋をわたり、中ノ郷から本所・荒井町のあたりまで、大治郎は細道をえらんで迂回《うかい》し、それから亀沢町《かめざわちょう》の小川|宗哲《そうてつ》宅へ到着した。  戸を叩いて下男を起し、小針を担ぎ込んだ大治郎へ、 「何を拾って来なすったえ?」  宗哲老先生が、寝ぼけ眼《まなこ》であらわれ、 「また、人を拾って来たか……」 「剣友です、私の……」 「ほう、それはそれは……」  宗哲が、小針の体をしらべて見た。やはり相当の打撲をうけている。しかし、そこは何といっても鍛えてある体だ。 「ま、これなら別条あるまい。じゃが、当分はしずかにしていないといかぬ。あちこち、骨にも罅《ひび》が入っているぞ」  手当をうけた小針又三郎は、奥の間へ寝かされた。 「先生。まことにもって、お世話を……」 「なあに、かまわぬよ」  宗哲に挨拶《あいさつ》をし、小針が寝ている部屋へ行くと、 「あ、秋山さん。おかげで、助かりました」 「今夜のことに、こころ当りがあるのかね?」 「ありますとも」  小針は口惜《くや》しげに、 「体が利《き》くようになったら、やつども、徒《ただ》ではおかぬ」  と、息まいた。 「どうしたのだ?」 「そもそも、事の起りは……さよう、今年の春でしたが、例によって、ぶらぶらと、私、あちこち[#「あちこち」に傍点]を経めぐっておりましてな」 「ふむ、ふむ……」 「東海道・島田の宿《しゅく》で……ほれ、あそこは大井川をひかえているだけに、宿場も大きく、繁盛《はんじょう》をきわめていましてなあ」 「そうとも」 「あそこの本通りを大井川の方へ行くと、代官橋という橋があります。その手前を北の方へ切れこんで行きますと、大井|大明神《だいみょうじん》の鳥居前へ出ます。御存知ですか?」 「いや。島田は何度も通ったが、そこまでくわしくは知らぬ」 「そのあたりに、茶店だの、小ぎれいな料理屋などが軒をつらねていましてな。土地の者は、ここを宮小路《みやこうじ》とよんでいます。まあ、このあたりの茶店の女は、みんな転ぶのです」 「転ぶ……?」 「男の相手を……」 「ああ、そうか。そこへ、あんたが行ったのだね」 「はあ。恐縮です」 「何も恐縮することはないだろう」 「はあ……そして、その夜に、くりぬき屋[#「くりぬき屋」に傍点]という茶店へ入りまして、女が、その、出てまいりましてな」 「ふむ、ふむ……」 「名を、おかね[#「おかね」に傍点]と申しました、たしか……」 「よし、よし。明日、ゆっくりと聞こう」 「その、おかねと一夜を明かしたときに、どうしたものか、女が、私を気に入ってくれましてな」  どうも、はなしが、とんでもないところへ逸《そ》れてしまいそうだ。 「その、おかねが、私に、たのみごと[#「たのみごと」に傍点]をしたのです」 「もう、いい。とにかくねむりなさい。何も急ぐにはおよばぬことだ」 「そうでしたな……」  にこり[#「にこり」に傍点]としたかとおもうと、たちまちに、小針又三郎は深いねむりへ落ちこんでいった。  さすがに、疲労|困憊《こんぱい》していたのであろう。  秋山大治郎は、それから宗哲宅を辞し、大川橋をわたって自宅へ帰った。  ときに、八ツ(午前二時)ごろになっていたろう。  飯田粂太郎《いいだくめたろう》少年が、石井戸のあたりに立っているのを見て、 「や……起きていたのか」 「あ、先生。お帰りなさい」 「すまなかったなあ……」 「心配になってしまいまして……」 「わるかった。すこし、妙な事に出合ったもので、遅くなった」 「何か、あったのでございますか?」 「拾い物をしてな」 「何を、でございます?」 「剣術と女が大好きな生き物を、な……」      三  小針又三郎は、そのとき一夜の相手をしてくれたおかね[#「おかね」に傍点]という妓《おんな》について、 「どうも、顔かたちをよくおぼえていないのですよ。酒も入っていましたしな。ただ、どことなくさびしげな、細い体つきの女で、声にもちから[#「ちから」に傍点]がありませぬでした」  と、大治郎に語った。  今年の春。越後《えちご》をまわっていた小針は上州から江戸へ出て、わずかに一泊したのみで、東海道をのぼった。  亡母の法事をおこなうため、決った日までに、小針は大坂へ帰っていなくてはならなかった。  その道中で、おかねに出合ったのである。  朝を待たずに小針が、泊っている旅籠《はたご》〔岡田屋|庄七《しょうしち》〕方へもどろうとしたとき、おかねが、 「おさむらいさまは、江戸へおいでになるのでしょうか?」  と、訊《き》いた。 「いや、大坂へ帰るところだ」 「ま……そうなんでしたか……」 「なぜだね」 「江戸へおいでになるのだったら、おたのみしたいことが……」 「私に、か?」 「ええ……」  強くうなずいて、自分をひた[#「ひた」に傍点]と見つめてきたおかねの、 「その、おもいつめた……」  眼《め》の色だけは、いまも、はっきりと小針は想《おも》い起すことができる。 「いったん、大坂へ帰るが、すぐにまた、江戸へ行くことになるだろう。そのときでよければ、たのまれてやるよ」  嘘《うそ》ではなかった。来るたび、繁華になる江戸へ、あらためて、ゆっくり滞在をして、いろいろとたのしいおもいをするつもりでいたことはたしかであったが、この妓のたのみごとを引き受けるつもりなど毛頭なく、ただ、事のついでに、そういったまでなのである。  すると、おかねが、俄然《がぜん》、態度をあらため、 「ほんとうに、また、江戸へ……」  すがりつくようにいう。 「そりゃ、まあ、行くつもりだが……」 「おたのみいたします、どうか……」 「何をたのまれたらいいのだ」 「ちょっと、待っていて下さいまし」  いうや、おかねが部屋から出て行き、しばらくしてもどって来ると、油紙へ包み、幾重にも紐《ひも》をかけた物を、小針へさし出し、 「これを、江戸にいる弟へ、とどけていただきたいんでございます」 「何だな?」  受け取って見て、 「金子《きんす》か……」  うなずいたおかねが両手を合わせ、小針又三郎を拝むかたちになった。 「おい。こりゃあ、しかし、便もあることだし、私が何も、たのまれなくともいいのではないか……」  烈《はげ》しくかぶり[#「かぶり」に傍点]を振ったおかねが、 「おねがい、ね、早くしまって下さいまし。おねがいですから早く……中を開けて下すってもかまいません。中に、弟の居所が書いてあります。かならず、弟にわたしてやって下さいまし。弟は十八になります。早く……早くしまって……」  何やら退《の》き引きならぬ切迫した事情があるらしい。そこは諸国をまわっているだけに、小針は、こうした境遇にいる妓たちが、常人にはおもいもおよばぬ暮しをしていることを知らぬでもない。  金で売られて来て、男の相手をする妓が、まとまった金を持っているはずはない。  包みの重さから、二十両以上の小判が油紙の中に潜んでいることを、小針は知った。 「早く、おねがい……恩に着ます、おさむらいさん。ね、ね……」 「おい、待て」 「おねがい……」  もう一度、小針を拝んで見せて、おかねがぱっ[#「ぱっ」に傍点]と部屋の外へ逃げるように去った。  小針は暗い小廊下を通り、階下へ下りて行った。そこは〔くりぬき屋〕の裏手になっている。入るときは表から入り、酒の一本ものみながら、応対に出た老婆《ろうば》と妓のことをきめ、それから土間を通って裏手の階段をのぼるのである。遊びの金は、そのときにはらってしまう。  階段の下の板敷の間に、風体《ふうてい》のよくない中年の男がいて、 「お帰りですかえ」 「うむ……私の相手をした妓は?」 「まだ、下りて来ませんがね……。おい、おかね、何をしているのだ。お見送りぐらい、したらどうだ」  男が階段の上へ向って怒鳴った。 「いいのだよ。かまわん、かまわん」  小針又三郎は、急いで外へ出た。 「いや、もう……どうして、私が、あの女に見込まれたのだか、さっぱり、わからない。旅籠へ帰って油紙の包みをほどいて見ると、一両小判が二十二枚、入っていましてね。それに紙片《かみきれ》に、金をとどける場所と女の弟の名前が書いてありました」  と、小針が大治郎に、その紙片を見せた。 [#ここから3字下げ] えど あさくさ ふくとみちやう 小まものや しんすけ内 よしたろう [#ここで字下げ終わり]  と、したためてあるのは、おかね自身の筆《て》になるものか、どうか。とにかく、たどたどしいものである。  小針又三郎は、 (よし。とどけてやろう)  と、意を決した。  不幸な女のねがいごとを無下にしりぞけることは、あまり愉快でない。それが小針の気性なのだから仕方もない。 「そうしたあんたの気性を、その女は、たちまち看《み》てとったのだろうね」 「そうですかなあ……」 「いずれにせよ、表向きにはできぬ金らしいな」 「そのとおりなのです、秋山さん」  小針は、大坂へもどり、法要をすませてからも何かと用事ができ、もう、江戸へ行くのも面倒になってしまったのだが、ただ一夜の客にもかかわらず、あのような妓にとっては大金の二十二両を受け取ってしまった以上、放《ほう》り捨てておくわけにもゆかぬ。  それで今度、小針は江戸へ出て来た。  途中、島田宿へ一泊し、件《くだん》のくりぬき屋をたずね、 「ほれ、この前、私の相手をしてくれたおかねという妓はいるかね」  老婆にいうと、 「おかねは、死んでしまいましたよ」  事もなげにいうではないか。 「死んだ、と?」 「くびを括《くく》ってね」 「な、何だと?」 「お前さんは、おかねと何か関《かか》わり合いでもあるのですかえ?」  胡散顔《うさんがお》に問い返されて、 (これは、深く聞かぬがよい)  と、小針は直感をした。 「そうか、死んだか……」 「あ、おもい出した。おさむらいさんは、この春に一度……」 「うむ、そうだ」 「あれから直《じき》に、死にましたよ」 「ふうむ……」 「他《ほか》の妓《こども》じゃあいけませんかえ?」 「ま、よしておこうよ」  茶店を出て行く小針の背中へ、婆《ばばあ》の声が、 「へっ。あんな疫病神《やくびょうがみ》みてえな女の、どこがいいのだ」  舌打ちと共に、あびせかけられた。      四  こうなってくると、小針又三郎も、さすがに、 (気が気ではなくなってきた……)  のである。  江戸へ着いて、定宿《じょうやど》にしている東神田《ひがしかんだ》の白壁町にある旅籠《はたご》〔武蔵屋《むさしや》平吉〕方へ旅装を解き、つぎの日の朝を待ちかねるようにして、小針は浅草へ出かけて行った。  おかね[#「おかね」に傍点]が、小針へわたした金包みの中の紙片にしるしてあった浅草・福富町は、幕府|御米蔵《おこめぐら》の西方……いわゆる蔵前通りを西へ入ったところだ。  福富町二丁目の、御米蔵・小揚《こあげ》方の組屋敷と道をへだてた一角に、小間物屋新助の家がある。  いや、あった……というべきであろう。  その家は、すぐにわかったが、 「あの小間物屋は、一月ほど前から店を開けていませんよ」  と、近辺の人がいうのだ。  なるほど、家の前へ立って見ると、店の戸が閉め切られたままである。  店といっても、ごく小体《こてい》なもので、町内に住む人びとの日用品を商っていたらしい。  この家は、近くの御蔵前片町にある明樽問屋《あきだるどんや》〔富田屋|忠兵衛《ちゅうべえ》〕の家作だそうな。  そこで小針又三郎は、富田屋へ訪ねても行ったし、両どなりに住む印判師と煙草《たばこ》屋へも問い合せ、およそ、わかったことは、つぎのようなことであった。 [#ここから1字下げ、折り返して2字下げ] 一、小間物屋新助は、五十五、六歳に見える無口で、しごく穏やかな男であり、福富町には、もう十五年も暮していた。近所づき合いを嫌《きら》うことはなかったけれども、当らずさわらずの暮しぶりで、それに五十をこえた独り者だから、近所の人びとも、それほど立ち入ったつきあい[#「つきあい」に傍点]をしていなかったらしい。 二、六、七年前に、十一、二歳の男の子が新助の家へ住みつくようになり、新助は、これを由《よし》、由、とよんでいた。由太郎という名前だったそうである。 三、由太郎について、新助はめった[#「めった」に傍点]に他人へ語ることを好まなかったが、左どなりの煙草屋吉五郎の女房《にょうぼう》・おげん[#「おげん」に傍点]へ、ずっと前に「由は、可哀相《かわいそう》な身の上でしてね。いえ、私の縁つづきのものではございません。旧《ふる》い友だちの忘れ形見なので……」と、もらしたことがあった。 四、三年もすると由太郎は、新助のかわりに店番をするようになったし、新助は小間物の荷を背負い、外まわりの商いをするようにもなった。 [#ここで字下げ終わり] 「ところがねえ、旦那《だんな》。やっぱり親のない子というのは、どこか狂っているところがあるものなんでしょうかね。そのうち、由ちゃんに、悪い友達ができましてね」  と、煙草屋の女房が小針又三郎に語った。  近くの金竜山《きんりゅうざん》・浅草寺《せんそうじ》を囲む盛り場を根城にしている〔巴組《ともえぐみ》〕というのがある。  つまり、現代でいう不良少年たちが徒党を組み、大人振りに博奕《ばくち》を打ったり女を買ったり、酒をのんだりという……そうした連中は本所《ほんじょ》・深川などにはいくらもいるが、このあたりでは、さすが土地|柄《がら》もあって、その中には、 「これは[#「これは」に傍点]とおどろくような、名の通った大店《おおだな》の坊《ぼっ》ちゃんも入っていましてねえ」  と、いうことだ。  で、由太郎。家を明けて、外へ泊りこむことが多くなった。 「あの、おとなしい新助さんが、くどくど[#「くどくど」に傍点]と意見をしている声が、夜ふけに聞えたこともありましたよ」  新助に対し、由太郎は口ごたえをしたり、手荒く立ち向ったりするようなことはなく、また、これといって迷惑はかけなかったようである。  だが、ついに、去年の春ごろ、由太郎は新助の家から姿を消してしまった。  煙草屋の女房が、新助に、 「このごろ、由ちゃんが見えませんね?」  たずねたところ、新助は哀《かな》しげにくび[#「くび」に傍点]を振って、 「やはり、血がつながっておりませんと、いうこともきいてくれません」  とのみ、こたえたそうである。  けれども、由太郎は一年のうちに何度か、夜ふけてから新助宅へやって来たそうな。二人のはなし声を、煙草屋の女房も、印判師の夫婦も何度か耳にしている。夜ふけに忍んで来て、そっと語り合い、一刻《いっとき》(二時間)ほどして、由太郎が帰って行く。  ときには新助の笑い声も、きこえたというのだ。 「昨夜、由ちゃんが来ていたようですね?」  と訊《き》くのへ、新助は顔をゆがめた笑いを見せ、 「へえ、まあ……」  あいまいな、こたえをするのみであった。 「それが、今年に入ってから、由ちゃんが来た様子はありませんでした。何となく、新助さんもさびしそうで……そうそう、そのころから新助さん、店を閉めてしまいましてね。荷を担《かつ》いで外をまわって歩くだけになってしまいましたっけが……ちょうど、一月ほど前から、姿が消えてしまったんですよ。いえ、それがね。あんな無口の人でも両どなりへは毎朝出て行くときにあいさつをしましたし、帰ったときはかならず、声をかけてよこしたものなんです。ええ、もう、日が落ちるまでには、きっと帰って見えましたっけ。それが、その日にかぎって、朝出たっきり、声がかからない。でも、そのときは別に……つぎの朝も、夕方も声がかからない。そのつぎの日も……こうなると放っておけませんしね。中で、急病にでもかかり、引っくり返っているんじゃあないかと、うち[#「うち」に傍点]と、印判師《はんこや》さんとで、裏の戸をこわして入って見たら、新助さん、いないんです。三日前に出たっきりらしい」  それから、近所でも放っておけなくなった。  土地《ところ》の御用聞きにもたのんだし、家主《いえぬし》の富田屋でも、いま、手をまわして探してくれている。  だが、いまだに行方知れずなのだ。  富田屋では、家の中をそのままにしておいてくれているし、三日に一度は煙草屋の女房が、 「風を入れに……」  新助の家へ入るという。  小針又三郎は、近所の人にも富田屋にも、 「大坂で、この小間物屋の遠縁にあたる者からたのまれ、手わたす品物を持っている」  と、いった。  それを聞いて富田屋が、すぐに、田原町に住む御用聞きの彦蔵《ひこぞう》宅へ告げに行こうとしたので、小針は早々に富田屋を辞去した。富田屋では小針を怪しんでいるやも知れぬ。 「別に、こちら[#「こちら」に傍点]が悪事をしているわけではないのですが、妙にこの、人目をはばかるような気もちになってきましてね。それというのも、あの女から妙なぐあい[#「ぐあい」に傍点]に、妙なあずかり物をしてしまったからでしょう」  と、小針は大治郎に語った。  小針を助けた翌日の昼すぎに、大治郎は小川|宗哲《そうてつ》宅へおもむき、以上のはなしを耳にしたのである。 「もう面倒になりましてね。うっかり、妙な関わり合いになってもはじまらぬと、すぐさま宿へ引きあげました。そして秋山さん、昨日《きのう》だ。昨日、私は、あなたの道場へ出かけるつもりで宿を出たのですよ」 「ほう……」 「柳先生から、浅草の橋場の外れに、秋山さんが道場をかまえられていることを聞いたものですから……」 「あ、なるほど」 「昼すこし前に、私は宿を出ました。宿へ、今夜は帰らぬかも知れぬ、と、いうてね。あなたのところに泊めていただき、積るはなしもしたかったし、久しぶりに稽古《けいこ》をつけていただきたかったのです」 「ふむ、ふむ……」 「途中、須田町《すだちょう》二丁目の〔清水屋〕で、翁《おきな》せんべいを買いましてな。はあ、私、これが大好きなのです。白砂糖のついた、軽い味の、一口に入る小さな……」  などと、小針はたびたび江戸へ来ているだけに、いろいろなことを知っていた。 「それで、ですな。翁せんべいの箱を抱えて、浅草へ出ました。浅草寺へ参詣《さんけい》をしましてね、ちょうど昼どきです。着いた早々に、あなたから馳走《ちそう》になるのもいけない。そうおもいました。で、腹ごしらえをしようと、境内をまわって、奥山の〔亀玉庵《きぎょくあん》〕という蕎麦《そば》屋へ入りました。そこで秋山さん。とんでもないことが、私の耳へ入ってしまったので……」      五  亀玉庵《きぎょくあん》には奥座敷が二つある。ここへ入って蕎麦《そば》を食べると席料を取られるわけだが、西にひろがる浅草|田圃《たんぼ》をこころゆくまでながめつつ、酒食をたのしむことができる。  小針《こはり》又三郎は、その一つへ入り、先《ま》ず、酒をのむことにした。  夏のことで、となり座敷との境の襖《ふすま》は取り払われてい、葦戸《よしど》を填《は》めこんだ大きな衝立《ついたて》で仕切ってあった。  外の木立で、法師蝉《ほうしぜみ》が鳴いている。  涼風が田の面《も》をわたって吹き入って来て、 (ああ、よいこころもちだな……)  おもわず小針が、ごろりと身を横たえたとき、となり座敷で酒をのんでいた客の言葉が聞くともなしに耳へ入った。彼らの声は先刻から聞えていたのだけれども、このときに、その言葉だけが小針の聴覚をとらえたのは、 「それはそうと、由太郎[#「由太郎」に傍点]のやつ、このごろ、さっぱり姿を見せねえな」  と、若い男の声がしたからだ。 (由太郎《よしたろう》……おかね[#「おかね」に傍点]の弟と同じ名?……)  なのである。  小針は横になったまま、俄然《がぜん》、聞耳を立てた。 「立花さまの中間《ちゅうげん》部屋へでも入りびたっているのじゃあねえか」 「そうかも知れねえ」 「由公め、すっかり一人前《ひとりまえ》の博奕《ばくち》打ちになってしまやあがった……」 「どうだ。今晩、行って見るか、立花さまへ……」 「やめておけ。おらあ、どうも、あそこの中間部屋は気に喰《く》わねえのだ。気の荒いやつらばかりがあつまっていやがるので、何となく気色《きしょく》が悪いや」 「由太郎も、巴組《ともえぐみ》から、はなれねえほうがいいとおもうのだがね」 「放っておけ、放っておけ。このごろの由公は遊びたかあねえのだよ。何が何でも、博奕で金を儲《もう》けてえという……あさましいやつに成り下ってしまったのだからな」 「ま、いいや。そろそろ、行こうか」 「合点だ。腹ぐあい[#「ぐあい」に傍点]もおさまったところで……ああ、ここの酒はうめえな」  二人が出て行くのを見ると、身なり[#「身なり」に傍点]も髪かたちも、このあたりを我が物顔にしてのさばり歩いている破落戸《ごろつき》に見えたが、顔は二人とも、どこかまだ子供じみている。  二人は、威勢よく勘定を払い、出て行った。 (立花さまの下屋敷というたな……立花さまというのは、筑後《ちくご》・柳川十一万九千石、立花|左近将監《さこんしょうげん》のことか……?)  亀玉庵の亭主《ていしゅ》をよんで、小針が、それとなく訊《き》いてみると、近くも近く、浅草田圃の外れに立花左近将監の下屋敷があるという。  例外はあるにせよ、大名の下屋敷の中間部屋が、夜になると博奕場になることなどは、小針又三郎も心得ている。 (もしやすると、その、立花侯・下屋敷の中間部屋へ行って見たら、由太郎の行方を知る手がかりがつかめようか……?)  面倒になっていたことは事実だ。もしも小針が気を入れていたなら、巴組の若者二人に声をかけ、知れるだけのことを知ろうとしていたにちがいない。  もっとも、彼らに会うのなら、いつでもよい。このあたりを見まわっていれば、かならず見つけ出すことができよう。  亀玉庵の外へ出たとき、小針は、まだ、こころを決しかねていたが、舌打ちを一つ鳴らすと、浅草田圃の方へ歩み出していたのである。  夜に入って、中間部屋が博奕場と化してからにしようとおもったが、むしろ、昼間のうちに出向き、立花屋敷の中間たちに由太郎のことを尋ねたほうが、よいとおもった。日中ならば、中間たちも小針を、 (同類とは見まい……)  からである。この点、小針は考えが甘かったのだ。  大名の上屋敷は公邸だが、下屋敷は別荘のようなもので、藩主が見えることはめったにない。屋敷内の家来の人数も少ない。このため、下屋敷にいる渡り中間どもが、夜になると中間部屋を博奕場にしてしまう。  俗に「折助《おりすけ》」とよばれている彼らの大半は口入《くちいれ》屋の手を経て、諸方の大名屋敷に雇われ、奉公先が気に入らなければ、好き勝手に諸方を渡り歩く。大名屋敷の奉公には馴《な》れているし便利ではあるが、そのかわり大酒をのむ、喧嘩《けんか》はする。ちかごろの侍たちなどより腕力も強いし、いざとなって、こやつどもが、いのちがけで反抗したら、手がつけられぬ。  武家奉公では一介の〔小者〕にすぎぬ彼らだが、意外に結束は固い。大部屋とよばれる中間部屋の博奕のあがり[#「あがり」に傍点]のうちから、屋敷内の侍たちへ〔つけとどけ〕をするので、文句もいわれない。  大名・武家屋敷の内へは、お上《かみ》の目も光らぬし、いえば黙認のかたちで、夜ともなれば、下屋敷は彼らの世界といってもよいほどなのだ。  小針又三郎は、間もなく、立花侯・下屋敷の裏門の前へ立った。  あたりは、一面の田圃と木立で、その中に寺院や武家屋敷が点在しているのみだ。これが江戸市中とはおもわれぬ閑寂さであった。  小針が潜門《くぐりもん》の扉《とびら》を叩《たた》くと、がっしりとした体つきの中間が扉を開け、 「何用で?」 「私は、小針又三郎という者だが……」 「こはり、ね」  白い眼《め》が、じろじろと小針をながめまわした。 「それが、どうした?」 「すこし、尋ねたいことがあってな」  いうや、小針が用意の紙包みを中間の手へつかませた。中に二分金《にぶきん》が一つ入っている。それを無雑作にあらためて見てから、中間の顔色がすこし変った。 「いってえ、何のことですかね?」 「ここの大部屋へ、由太郎という若い者が、よく来ていたはずだが……」  中間の、こたえはなかった。 「由太郎を、私は探しているのだがな」 「…………」 「もし、何か、わかることがあったら、教えてもらえないか」 「お前さんは、由太郎と、どんな関《かか》わり合いがあるので?」 「いや、会ったことはない。由太郎の姉にたのまれて来たのだ」 「ふうん……」 「このごろは、姿を見せぬのか?」 「さあて……」  小針の眼の中をのぞきこむようにして、あいまいなうけこたえをしていた中間が、 「ま、お入りなせえ」  小針を裏門の内へ入れ、扉を閉めてから、 「いま、だれかに訊いて来てあげましょうよ。すこし、お待ちなせえ」  こういって、何処《どこ》かへ去った。  かなり長い間、小針は、そこに立ちつくしていた。  そして、どこかでだれかが、自分を見張っていることを感じていた。  下屋敷の内は、しずまり返っている。  と……そこへ、のっそりと、大男があらわれた。  これが中間の小頭《こがしら》をつとめ、大部屋を牛耳っている銀平だったのである。 「これはこれは……由太郎のことなら、わっしどもも心配をしていたところなのでございますよ。ま、こちらへおいでなせえまし」  銀平は小針へ笑いかけながら、愛想《あいそ》よく、そういいかけてきた。  裏塀《うらべい》に沿った二階建の大きな長屋|一棟《ひとむね》が、この下屋敷の中間部屋であった。中へ入ると、五人ほどの中間が寝ころんでいたり、酒をのんでいたりしていた。日中は、下屋敷から上屋敷へ出て行く者もいるらしい。  銀平は階下の一隅《いちぐう》へ、小針又三郎を案内した。  そこは、木の柵《さく》のようなもので囲われた六畳敷きである。小頭だけに、銀平の部屋として区別されているのであろう。 「おい。酒をもって来い」  と、銀平が大声にいった。 「へい」  すぐに返事があり、若い中間が盆の上へ白鳥(白い陶製の大徳利)の酒と鯣《するめ》の裂いたのを乗せ、運んで来て、すぐに去った。 「ま、ひとつ……」  すすめられて、茶わんにそそがれた酒を小針は、こだわりもなくのんだ。よい酒である。  それから銀平と語りはじめた。  銀平も、由太郎を親身になって探しているかのようにおもえた。 「ええ、もう、由太郎は気だてのいいやつなので、こんなところへ来てはいけねえと、わっしもずいぶん意見をしたのでございますよ。このところ、姿を見せねえので、こいつはうまいぐあいに、博奕の泥沼《どろぬま》から足を抜いたのだな、と、よろこんでいたのでございますがね」 「さようか……」  小針も、或《あ》る程度まで、打ち明けたはなしをした。おかねから二十両余の金をあずかっているとはいわず、由太郎への手紙をあずかったといった。  二十二両は宿の帳場へあずけてある。だが、由太郎の居所を書いた紙片は、ふところの紙入れにおさめてあった。  語りながら、小針は茶わんの酒をのみほした。銀平が、すぐに酒をそそぎ、自分ものんだ。 「よい酒だ……」 「お好きと見えますね」 「ああ、もう、大好き」  そのうちに、目の前の銀平の大きな脂切《あぶらぎ》った顔が、ぐらり[#「ぐらり」に傍点]とゆれうごいたような気がしたとおもったら、たちまちに小針は意識をうしない、伏し倒れてしまった。 「気がついたときは、もう、菰包《こもづつ》みにされて、やつどもに担《かつ》がれ、闇《やみ》の中を何処かへ運ばれていたのですよ、いや、どうも、実に、おどろきましてね」  と、小針が大治郎に、 「あれは何ですな。私の茶わんの中だけに、何か、薬のようなものが入っていたのですな。銀平のやつも、同じ酒をのんだのですから……」 「そうらしい、な」 「まったくもって、ひどいやつらだ。それにしても秋山さん。私を殺すのなら、どうして、その場で殺さなかったのでしょう?」 「そこはそれ、大名屋敷のことだ。やつどもも、何かと憚《はばか》ったのだろうよ。いずれにしても危なかった」 「これでは、私の剣術もたか[#「たか」に傍点]が知れている。われながら、つくづく、なさけないとおもいました」 「ふ、ふふ……」 「人が好すぎる、どうも、私は……」 「ま、いい。ゆっくりと此処《ここ》で体を……」 「いや、そうしてはいられません」 「こういうことは急がぬほうがいい。すぐに手を出しては、相手も用心をしていることだし、隙《すき》を見せまい。ゆっくりとやろう、ゆっくりと……」 「やろう、と、おっしゃる……?」 「手つだおうよ」 「秋山さんが……」 「まあ、まかせておきなさい」  そういった秋山大治郎の声が、何故《なぜ》か、自信にみちている。 「こ、これは、どうも、百人力だ」 「宿のほうへは、私からよくいっておこう。そうだ。あんたは碁を打ったな」 「はあ……」 「ここの宗哲《そうてつ》先生の相手をしてやりなさい。碁なら、寝ていても打てよう」 「はあ……」 「そうなったら先生は、あんたを、なかなか手ばなさなくなる」 「ははあ……?」      六  それから三日後の五ツ半(午後九時)ごろに、秋山大治郎は、立花侯・下屋敷から程近い海禅寺の土塀へ背をもたせかけ、立っていた。  このあたりから南、西の方へかけて、びっしりと大小の寺院がたちならんでいる。  北の方は浅草・入谷《いりや》の両|田圃《たんぼ》というわけで、日が落ちれば、ほとんど人足《ひとあし》は絶えてしまう。 (ゆっくりとやるつもり……)  だったが、意外に早く、事が運んでしまった。  小針又三郎のはなしを聞き、大治郎が「まかせておけ」といったのは、それなりの心積りがあったからだ。  というのは他《ほか》でもない。柳川藩・立花|左近将監《さこんしょうげん》の家来で、杉山米次郎《すぎやまよねじろう》というのが、佐々木|三冬《みふゆ》の弟子筋にあたるのだ。  杉山は、三冬の亡師・井関忠八郎《いぜきただはちろう》の道場へ来ていて、三冬から親しく教導をうけ、井関道場が閉鎖された後は、三冬に従い、湯島五丁目の金子孫十郎道場へ通うようになった。  こうした関係で、月に一度ほどは杉山米次郎が田沼邸内の道場へも姿を見せ、大治郎に稽古《けいこ》をつけてもらっている。  杉山は当年四十二歳。人柄《ひとがら》もしっかりしてい、柳川藩の下目付《しためつけ》をつとめていた。この役目は上下藩士の監察に任じている大目付の手足となってはたらくわけで、平素は藩内の勤怠邪正を調査し、これを大目付へ密告する。 「どうも、嫌《いや》な御役目でございまして……」  と、杉山は大治郎にこぼしたこともあった。  俗に「下目付|来《きた》るといえば、小童《こども》も悪戯《いたずら》を止《や》めしほどなり」といわれているので、身分は軽くとも、藩士たちにとって、まことに「怖い存在」といわねばならぬ。  で……。  大治郎は、先《ま》ず、杉山米次郎へすべて[#「すべて」に傍点]を語った。  杉山は、しばらくの間、沈思していたが、 「これは、容易ならぬことのようにおもわれます」  つぶやくように、そういった。 「あなたに、おはなしをしてよいものか、どうか、いささか迷ったのだが……」 「いや、秋山先生。うけたまわって、かたじけなく存じます。渡り中間どもには、つくづくと手を焼いておりますので。はい、上屋敷の中間は、国もとからよび寄せた者が多いのでございますが……なんと申しても、それだけでは到底、手が足りませぬ。どこの大名方でも、渡り者を雇わなくては間に合いませぬ。ま、下屋敷内の博奕《ばくち》は、いずれ方においても黙認をいたしております。そういたしませぬと、やつどもがいてくれませぬので。なれど、いまのおはなしをうかがいまして、私、いささか、おもうところもございます。いえ、ちかごろ、下屋敷には、どうも、おもしろからぬうわさ[#「うわさ」に傍点]がきこえます。ともあれ、一両日、私におまかせ下さいますよう」  その杉山米次郎が、今朝、大治郎宅へあらわれた。  二人は一刻《いっとき》ほど、何やら打ち合せをし、杉山が帰ってのち、大治郎は田沼邸へ稽古におもむき、いったん帰宅し、夕餉《ゆうげ》をすましてのち、杉山から指定された時刻に、この場所へ来たのであった。  大治郎とすこしはなれて、海禅寺の裏道の向うの木立の中に、大治郎が山之宿《やまのしゅく》の〔駕籠駒《かごこま》〕から雇った町駕籠が一|挺《ちょう》、待機していた。 「もし……秋山先生」  西側の曾源寺《そうげんじ》の横道から、駆け寄って来た杉山米次郎が、 「いま、やって来ます」  と、ささやいた。  間もなく、柳川藩・下屋敷の大部屋にいる中間・百助《ひゃくすけ》が別の道からあらわれた。  杉山は、この日の午後。わざと百助を名指しで上屋敷へよびつけ、いままで用事をさせておき、百助が屋敷を出た後をつけ、先まわりをして此処《ここ》へ駆けつけたものだ。柳川藩の上屋敷は、ここからもさして遠くはない下谷《したや》・御徒町《おかちまち》にある。  闇の中を行く百助の提灯《ちょうちん》が大きくゆれうごき、地に落ちて燃えかかった。  大治郎の当身を受け、気をうしなった百助の体を抱きあげ、これを木立の中に待たせてあった町駕籠へ押し込み、 「急げ」  と、大治郎が、駕籠|舁《か》きに命じた。  杉山は、落ちた提灯の火を踏み消してから、これを拾いあげ、あたりを見まわした。  だれにも見られてはいない。  町駕籠の前後を大治郎と杉山が固め、浅草の方へ向う。  大治郎の家へ到着した町駕籠から百助が引き出され、道場へ放《ほう》りこまれた。 「あ……ああっ……」  気がついた百助は、驚愕《きょうがく》し、つぎに、大治郎を見て熱《いき》り立った。 「やい、やい、やい。おのれは何者だ。このおれを立花左近将監様お抱えの者と知っていやがるのか、この畜生め。いってえ、何の恨みがあって、こんなまね[#「まね」に傍点]をしやがった!!」  大治郎はこたえず、道場の大|蝋燭《ろうそく》へ火を点じてから、するすると百助に近寄りざま腰を落したとおもったら、何かぴかり[#「ぴかり」に傍点]と光った。 「うわ……」  百助の両手を縛していた縄《なわ》が大治郎の抜き打ちに切断され、仰天した百助がくび[#「くび」に傍点]をすくめた、その頭上を刃風が過《よぎ》ったかとおもうと、鍔鳴《つばな》りをさせて大刀が大治郎の腰へおさまっている。  ばらっ[#「ばらっ」に傍点]と、百助の髪が顔へ落ちかぶさった。  髷《まげ》を切られたらしい。  口を開けたままの中間《ちゅうげん》・百助、恐怖に声もなく、わなわなとふるえ出した。  大治郎は何もいわずに、道場と居室の境にある板戸を引き開けた。  すっ[#「すっ」に傍点]と、杉山米次郎が道場へ入って来た。  百助の恐怖は倍加した。まさに「鬼より怖い……」といわれる下目付の杉山の旦那[#「旦那」に傍点]が凄《すご》い顔つきであらわれたのだから、むり[#「むり」に傍点]もない。  杉山は、ゆっくりと近寄って行き、百助の眼前まで来て、ひょいと側面へまわったとおもったら、これもまた抜き打った。  なんと、百助の尖《とが》った鼻の頭を切り飛ばしたのだ。 「ぎゃあっ……」  百助め、腰をぬかしてしまった。 「これやい、百助」  杉山米次郎の声が、凛々《りんりん》と響きわたった。 「おのれは、下屋敷の大部屋・小頭、銀平が腹心の者だとな。銀平の悪業《あくごう》をすべて吐いてしまえ。吐かねば殺す。ここは野中の一軒家だぞ」  なんとも見事な、息もつけぬ呼吸でびしびし[#「びしびし」に傍点]ときめつけてゆくところなぞは、あれほど平常は物しずかな杉山の人が変ったか[#「人が変ったか」に傍点]とおもわれるほどの迫力であって、 (なるほど……大名家の下目付とは、いざとなると、こうしたものか……)  何やら、のみこめたおもいがしたのである。      七  百助の自白によって、大変なことがわかった。  さすがの杉山|米次郎《よねじろう》も、その乱脈ぶりには、一瞬であったが、 「呆然《ぼうぜん》自失……」  の、体《てい》であった。  中間《ちゅうげん》小頭の銀平は、腹心の中間十名と組み、博奕場《ばくちば》を牛耳るのみか、人身売買にまで手をひろげていたのだ。  つまり、博奕に負けて、借金を背負いこんだ者の女房《にょうぼう》や娘を抵当《かた》に連れて来させ、これを大部屋の二階へ監禁し、中間どもが寄ってたかってなぐさみもの[#「なぐさみもの」に傍点]にしたあげく、ひそかに女衒《ぜげん》へ売り飛ばしていたのである。  女たちは、江戸をはなれた場所へ売られた。これまでに、そうした女が十五名もいたそうな。  おどろくべきことには、下屋敷につとめている藩士のうち[#「うち」に傍点]、三名ほどが、そのおこぼれ[#「おこぼれ」に傍点]をもらっていたというのだ。むろん、銀平が女も抱かせてやっている。  ところで……。  おかね[#「おかね」に傍点]の弟・由太郎《よしたろう》が、銀平に入谷田圃《いりやたんぼ》へさそい出され、殺害されたのは、そうした秘密を知ったからである。  知っただけではない。  由太郎は、それを種に、銀平へ強請《ゆすり》をかけたらしい。  百助は、銀平の傍《そば》にいて、よく知っている。  由太郎は「百両よこせ。そうしたら、だまっていてやるぜ」と、いった。 「百両も何につかうのだ?」 「人助けをするのさ」 「何だと、生意気をいうな」 「ねえ、小頭《こがしら》。おれの姉ちゃんは、むかし、お前さんのような男に騙《だま》されてよ。東海道を売られつづけて、いまはなんでも、駿河《するが》の島田にいるとよ。姉ちゃんはな、父《ちゃん》やおふくろが死んだあと、おれをおふくろ代りに育ててくれたんだ。だからよ、小頭。功徳《くどく》になるぜ。百両出してくれ。その金で、姉ちゃんの身柄を引き取りに行くんだ。おれもさ、博奕で儲《もう》けて、姉ちゃんを助けようとおもったが、なかなか、うまいこといかねえや。な、だからよ」 「こいつ、目をかけてやれば、つけあがりゃあがって……」 「嫌ならば、恐れながらと訴えるぜ。そうなったら、お前さんたちの首は胴についちゃあいめえよ」 「この野郎!!」 「怖かあねえよ。おれは、もうやけくそ[#「やけくそ」に傍点]なんだぜ。死物狂いさ」  その結果、銀平は、入谷田圃の燈満寺《とうまんじ》へ金六百両をあずけてあるからと、たくみに由太郎をさそい出し、これを殺して、田圃の中へ埋めた。百助が手つだっている。  由太郎が、ついて行ったのは、それが日中のことだったからで、そこがまた、銀平のつけ目[#「つけ目」に傍点]だったのだ。  じりじりと照りつける晩夏の午後の日ざしの中で、由太郎は撲《なぐ》り殺された。銀平は大きめの鉄槌《かなづち》を兇行《きょうこう》につかったそうである。  それから、あの小間物屋新助も、銀平に殺された。  新助は、巴組《ともえぐみ》の悪仲間をたずね、その口から柳川藩・下屋敷の博奕場へたずねて来た。  新助は、おかね姉弟の父親・留吉《とめきち》と生国が同じで、小さいころは、共に大伝馬町二丁目の小間物問屋〔小田屋|半右衛門《はんえもん》〕方へ奉公していた間柄の、仲のよい友だちであった。  おかねは、両親をうしなったのち、由太郎を新助にあずけ、木挽町《こびきちょう》の料亭《りょうてい》〔酔月楼〕の座敷女中に出て、そこで悪い男に騙され、駆落ちをし、ついには、 「売り飛ばされた……」  ということが、のちに、巴組の若者たちの口から判明した。由太郎が、気の合った仲間に嘆いて洩《も》らしていたからである。 「さて、どうなさる?」  大治郎は、杉山を居間へいざなってから、 「こうなれば、あなた次第だ」 「猶予《ゆうよ》はなりませぬ。と申しますのは、昨日一人、今日二人、合わせて三名の中間が下屋敷から暇を取り、何処《どこ》かへ消えてしまっているのです」 「ははあ……では、小針《こはり》又三郎を私が助けたので、事が洩れてはと……?」 「そうとしかおもえませぬ」 「どうなさる」 「いま、これから行って、召し捕ってしまいます」 「あなた、一人で?」 「はい」 「よし。私も手つだおう」 「まことでございますか?」 「うむ。だが、上役に通じておかなくてよいのか?」 「いえ、銀平めに逃げられましては、それこそ一大事です。私の一存が間ちがっていましたなら、腹を切ればすむことでございます」  と、杉山米次郎は淡々という。  それだけに、かねてから杉山が、役職の責任《せめ》を、 「いのちがけで……」  負っている覚悟のほどが、大治郎にはひしひし[#「ひしひし」に傍点]と感じられたのである。  道場の柱へ括《くく》りつけ、鼻の傷口へ包帯を巻きつけられた百助の見張りを、飯田粂太郎《いいだくめたろう》少年にまかせ、大治郎は杉山と共に外へ出た。      八  杉山|米次郎《よねじろう》が秋山大治郎と共に、浅草|田圃《たんぼ》の柳川藩・下屋敷へ潜入したのは、八ツをまわっていたろう。  自分の藩邸へ忍び込む[#「忍び込む」に傍点]というのも妙なはなしだけれども、杉山が門を開けさせたりすれば、たちまちに悪者どもが気づいてしまう。  二人は、塀《へい》を乗り越え、勝手を知りつくしている杉山の先導で中間《ちゅうげん》部屋の出入口に立った。大名屋敷の中間部屋というのは、例外があるにしても大半は出入口が一つであった。  その出入口に、大治郎が太い棍棒《こんぼう》をつかんで待機し、杉山は一人で中へ入ろうとし、戸に手をかけると、これが開かない。  猛然と、杉山は体当りで戸を打ち破り、中へ駆け込み、 「下目付・杉山米次郎だ。小頭の銀平はおるか!!」  よばわりつつ、銀平の部屋へ進んだ。  ここ二夜、中間部屋は博奕《ばくち》を中止している。  蒲団《ふとん》にくるまっていた者や、あちこちにかたまり、冷酒をなめていた中間たちが、びっくりして総立ちとなった。 「銀平。出て来い」  すると、柵《さく》の中から躍り出した小頭の銀平が、いきなり、杉山へ脇差《わきざし》を叩《たた》きつけて来た。  銀平は旅仕度をしてい、四人ほどの腹心の中間と共に、飛び出して来たものだ。もはや「いい逃れはできぬ、と、おもいきわめたのであろう。 「ばかもの!!」  ひらりと体をかわした杉山米次郎は、早くも抜きはらった大刀を峰打ちに、銀平の胴を撃った。 「う……」  脇差を落し、がっくりと両ひざをついた銀平のくびすじ[#「くびすじ」に傍点]へ、さらに一撃。 「逃げろ」 「早く、早く……」  腹心の中間どもが、先を争って出入口へ逃げるのへ、 「待て!!」  追いすがった杉山が、またも二人を打ち倒した。  外へ逃げ出したやつどもへ、待ち構えていた秋山大治郎の棍棒が唸《うな》りを生じて打ち込まれる。  おもしろいように、 「うわ……」 「あっ……」  右に左に打ち倒され、すべて片がついたとき、大部屋の外に失神した中間は十一名におよんだ。 「な、何事だ?」 「火事か……」  わめきつつ、刀をつかんで飛び出して来た藩士たちへ、杉山が、 「下目付《しためつけ》の手入れでござる。おしずまり下さい」  と、叫んだ。  そして翌日の昼前に……。  秋山大治郎が小川|宗哲《そうてつ》宅を訪れると、床の上に半身を起し、脇息《きょうそく》によりかかった小針又三郎が、宗哲先生の碁の相手をしている。 「おお、大分に、よくなったようだな」 「秋山さん。おかげさまで……」  宗哲が身を乗り出し、 「大治郎さんよ。これはいい相手を見つけてきてくれたのう。ちょうど腕が互角じゃ。お前さんの親父《おやじ》より、打っていておもしろいわえ」 「それは、ようございましたな」  と、大治郎の微笑が小針へ向けられ、 「昨夜は、あんたをさそい[#「さそい」に傍点]に来るつもりだったが、急なことで、間に合わなかった。ゆるしてもらいたい」 「な、何のことです?」 「あんたの敵《かたき》を、やっつけに行ったのだがね」 「な、な、何ですと……」  小針の手から、白の碁石がぽとり[#「ぽとり」に傍点]と落ちた。      ○  半月後に、小針又三郎は江戸を発《た》った。  秋山|父子《おやこ》は、高輪《たかなわ》の七軒茶屋まで、小針を見送った。  ここは、東海道第一駅の品川宿の手前で、休み茶屋や飯屋などが七軒ならんでいる。ために、七軒茶屋とよばれた。  江戸を発つ人、見送る人は、先《ま》ず、七軒茶屋に待ち合せ、名残りを惜しむのである。  一昨日まで降りつづいた雨もあがって、急に、空が高く澄みわたり、小針が遅発ちにしたので、日は江戸湾の上へ昇りきっていた。 「いや、どうも……すっかり、お世話になってしまいましたなあ」  亀屋《かめや》という休み茶屋で酒を酌《く》みかわしつつ、小針又三郎が、 「それにしても、あの銀平のやつを、ぜひとも叩き伏せてやりたかったですなあ」 「いや、小針さん。あんたは、これから、島田宿へ立ち寄り、可哀相《かわいそう》な女を葬《ほうむ》ってやるという、大事なことをしなくてはならない」 「そうでしたな……それにしても、あの女、どうして、あの金を……?」  すると小兵衛が、 「わしがおもうに、女は、その金を何処《どこ》からか盗みとったのであろうよ」 「ははあ……?」 「それで、すぐに、何とかして、江戸にいる可愛《かわい》い弟へ送ってやりたかったのだろう。女というものは自分《おのれ》の弟を可愛がるものよ。まして手塩にかけたというのじゃから……姉は弟を、弟は姉を、それぞれの不幸を救おうとして、盗みをはたらき、強請《ゆすり》をかける。世の中のことは、みな、これよ。善悪の境は紙一重じゃもの」  もしやすると、おかね[#「おかね」に傍点]は、盗み金のことが発覚したときの覚悟をも、 「決めていたかも知れぬ、な……」 「さようですかなあ」 「いずれにせよ、むり[#「むり」に傍点]はせぬことじゃ。よいかな、小針さん。下手にくびを突っ込まずに、女の骨さえ拾って、その二十二両で手厚く葬ってやればよい」 「秋山先生。御言葉を肝に銘じておきます」 「は、はは……大仰なことを……」 「では、そろそろ……」 「来年、またおいで」 「はい」  茶屋を出て、小針又三郎は秋山父子を見返り見返り、品川の方へ遠去かって行く。  汐《しお》の香が、濃くただよっていた。  岸辺に寄せる、おだやかな波の音を聞きながら、秋山小兵衛が、 「ときに、柳川藩では、すべてを幕府《こうぎ》へ届け出たそうじゃな?」 「はい。なかなかに出来ぬことです」 「しっかりした家来がいるのう。それでなくてはならぬ。立花侯も大安心じゃ」 「何の、おとがめも……?」 「ないだろうとも。幕府は、ちゃん[#「ちゃん」に傍点]と見ているわえ。かの銀平らも、打ち首になるだろうよ」 「杉山米次郎は、重役方からほめられたそうです」 「ふむ、ふむ。杉山は大したやつだ。身分は軽いが、なかなかに、ああはゆかぬぞ。機を逃さず、いざとなれば腹切って死ぬる覚悟で、ただ一人で肚《はら》を決めて為《し》てのけた。いまどき、ああした男もいるのじゃなあ」 「三冬《みふゆ》どのも、何かと御老中へ口ぞえをしたらしいのです」 「そういえば佐々木三冬……いや、お前の恋女の始末を、これから、どうつけるつもりかよ?」 「あ……父上。小針又三郎が、遠くで手を振っております」 「はぐらかすな。ふ、ふふ……」  顔を赤らめ、手を振っている息子とならび、秋山小兵衛は、彼方《かなた》の小針へ杖《つえ》をあげて見せた。     解説 [#地から2字上げ]常盤新平 『剣客《けんかく》商売』にはときに気味の悪い怪物が登場する。「妖怪《ようかい》・小雨坊《こさめぼう》」はその一編だろうし、本書の表題作「白い鬼」も恐しい悪を描いてる。小雨坊の事件は安永八年(一七七九)であり、白い鬼である金子|伊太郎《いたろう》が秋山|小兵衛《こへえ》の「手段《てだて》をえらばぬ」剣によって捕えられたのは翌安永九年の二月である。  小雨坊は鳥山石燕《とりやませきえん》の絵本『百鬼夜行』に出てくる小雨坊にそっくりの異相の持主だが、金子伊太郎は「総髪をきれいに梳《す》きあげ、透きとおるような色白の顔に細く濃い眉《まゆ》。隆《たか》い鼻すじ、切長の両眼《りょうめ》」の美男である。彼が恐るべき異常殺人鬼だとは誰《だれ》も思わない。小雨坊と金子伊太郎に共通しているのは、恐しいほどの剣の遣い手であることだ。  このような悪を描くとき、作者の筆はいっそう冴《さ》えて、しかも力がこもってくる。渾心《こんしん》の力をふりしぼって悪を書くとき、小兵衛の小さな躰《からだ》がしだいに大きく見えてくる。  金子伊太郎の行方を追うのは「まるで、雲をつかむような」探索であるが、小兵衛は食べものから伊太郎の隠れ家を突きとめる。小兵衛が信頼する四谷《よつや》・伝馬町《てんまちょう》の御用聞き、弥七《やしち》の下働きをつとめる密偵《みってい》・傘《かさ》屋の徳次郎が白い鬼を尾行するのだ。 『剣客商売』は食べものの描写が魅力である。金子伊太郎が行きつけの、芝神明宮・門前にある〔上州屋吉兵衛《じょうしゅうやきちべえ》〕という蕎麦《そば》屋のくろい太打ちの蕎麦は、「白い鬼」を読んでいると、食べてみたくなってくる。  上州屋の蕎麦は生姜《しょうが》の汁《つゆ》だけで食べる。ほかに薬味はいっさいつかわぬ「上州ふう」なのだ。 「上州屋の酒は燗《かん》をしない。今戸焼の茶碗《ちゃわん》になみなみと冷酒《ひやざけ》をくんで出す。  蕎麦は、朱塗りの箱の蓋《ふた》のような容物《いれもの》へ、くろい太打ちの冷たい蕎麦をこんもりと盛って来る。  汁《つゆ》のかげんがどうなっているのか知れぬが、秋山小兵衛にいわせると、 『わずかに味噌《みそ》が混《まじ》っている……』  そうな。  その汁へ、生姜の搾《しぼ》り汁《じる》をたらしこむ。 『妙に、うまい』  のである」  右に引用した文章にたとえ署名がなくても、池波正太郎先生だとわかるだろう。これはもう池波先生の世界である。  こういう店に秋山小兵衛も行けば、金子伊太郎も訪れる。「善悪の境は紙|一重《ひとえ》じゃもの」(「たのまれ男」)という小兵衛のことばが思い出される。  いまさらいうまでもないが、『剣客商売』もまた食べものが一話一話に魅力を添えている。シリーズの第一話「女武芸者」は、秋山|大治郎《だいじろう》が根深汁《ねぶかじる》(ねぎの味噌汁)と大根の漬物《つけもの》だけで食事をしているシーンからはじまる。  道場をかまえたばかりで、弟子が一人もいない大治郎は朝も夕も根深汁に大根の漬物、それに麦飯であるが、「根深汁で飯を食べはじめた彼の両眼は童児のごとく無邪気なものであって、ふとやかな鼻はたのしげに汁のにおいを嗅《か》ぎ、厚い唇《くち》はたきあがったばかりの麦飯をうけいれることに専念しきっているかのよう」である。  空腹で、健康であれば、味噌汁と漬物だけで私たちはご飯をおいしく食べることができる。大治郎はじつにうまそうに食べているし、事実うまいのである。ファースト・フードや冷凍食品に慣らされた私たちには、大治郎のこの「食卓の情景」は新鮮に感じられる。  本書の「三冬の縁談」でも、女武芸者の佐々木|三冬《みふゆ》は大治郎の家で「茄子《なす》の角切《かくぎり》に、新牛蒡《しんごぼう》のささがきを入れた熱い味噌汁で、飯を三杯も食べて」しまう。御用聞きの弥七は「暗殺」では大治郎や弟子の飯田粂太郎《いいだくめたろう》とともに、飯を「四杯」も食べている。 「三冬さまの胃の腑《ふ》は、底なしでございます」と粂太郎少年は大治郎に告げる。しかし、よく食べるのは、三冬だけではない、秋山ファミリーはじつによく食べる。  食べものが出てくる小説は意外に少ない。食べものによって読ませる小説となると、ほとんどないだろう。池波先生は「小説の中の食欲」(『私の歳月』所収、講談社文庫)というエッセーでつぎのように書いておられる。 「私が書いている時代小説に、登場する人びとの酒食のありさまがよく出てくるのは、一つには、季節感を出したいからなのである。  いまの食物は、夏も冬もあったものではないけれど、戦前までは、四季それぞれの魚介や野菜のみを私どもは口にしていたのであって、冬の最中《さなか》に胡瓜《きうり》や茄子やトマトを食べたおぼえは一度もない」  また、「人間はね、高踏的じゃないんだ」(同文庫所収)というインタビューで先生は語っておられる。 「人間の生活が小説に出てくる以上、食べものというのは不可欠のものだからね」 「人間の生活が、よっぽど高踏的だと思うことが間違いなんですよ」 「人間はね、衣食住とそれからセックスが順調に満たされたら文句ないですよ。これはもう人間の最大理想でね。ぜいたくということじゃなくて、貧乏でも。人間の生活なんて、もうそれに尽きる」 『剣客商売』のみならず『鬼平犯科帳』など先生の小説は食べものによって季節感が色濃く出ている。『剣客商売』で江戸の四季を知ることができる。食べもののほかにも、池波先生は季節を知らせる風景を物語のなかに書きこんでゆく。 「春から夏へ移る、ほんのわずかの間だが、江戸の町は、一年のうちでもっとも快適な季節を迎える。日射《ひざ》しはかなり強《きつ》くなり、歩いていると汗ばむほどだが、その汗を吹きはらう薫風《くんぷう》には、まだ、いささかの冷気がふくまれてい、それがたとえようもなく心地《ここち》よいのだ」(「暗殺」)  本書のもう一つの楽しみは、大治郎と三冬の恋がしずかに進行していることである。三冬はいつのまにか大治郎を呼ぶのに、「大治郎どの」から「大治郎さま」に変っている。  二人の関係を見まもる小兵衛。小兵衛と大治郎との関係は、世なれた父親と世なれぬ息子のそれで、そこにおのずからユーモアがにじみでてくる。また、この親子の関係が『剣客商売』の一話一話に深い奥行をあたえている。小兵衛は融通無碍《ゆうずうむげ》であり、大治郎はあくまでも謹厳実直である。といっても、そこは青年らしく純粋な謹厳実直であって、つまり初心《うぶ》なのである。  このような若者に作者は同じほどに初心な佐々木三冬を配した。こころにくい組合わせである。そして、この二人のこころを確かめるような事件がもちあがった。それが「三冬の縁談」である。 「白い鬼」は恐しい殺人鬼を追う息づまる一編であるが、「三冬の縁談」は一転して軽いタッチの、梅雨の晴れ間のような、ほほえましい物語だ。大治郎と三冬の会話、大治郎と小兵衛の会話はユーモアにあふれていて、この三人に寄せる作者のおもいが感じられる。 『剣客商売』は父と息子の物語でもある。父が老い、息子が成長していく姿を描いた小説である。第一話からこの「三冬の縁談」までに秋山大治郎はずいぶん成長した。その間、三年ほどしか経過していない。小兵衛はかくしゃく[#「かくしゃく」に傍点]としていて、腹をこわし十日も寝たきりでいても、鮒飯《ふなめし》を三杯も食べると、翌朝、俄然《がぜん》、生気がよみがえってくるほどである。  小兵衛はいつもとちがう大治郎に業《ごう》を煮やして一喝《いっかつ》する。 「好きなら好きといえ。惚《ほ》れたのなら惚れたといえ。あの女武道が、お前は、それほど好きだったのか……ふうん……それほどとは、すこしも気づかなんだわえ。ふうん、そうか。そうだったのか……」  これは父親の声である。はじめは口調がきつくても、しだいにおだやかになっていく。そして、「大治郎、声もなし」  三冬に縁談がもちあがり、大治郎はなすすべもなく元気をなくしてしまう。三冬は縁談の相手と試合して負ければ、嫁がなければならない。三冬が自分よりも強い相手と結婚するというのは、彼女の父、田沼意次《たぬまおきつぐ》との約束である。こういう約束がなければ、小兵衛が三冬を知ることもなかっただろう。三冬の縁談がきっかけになって、小兵衛が彼女を助けるというのが、『剣客商売』のそもそもの発端だった。  けれども、こんどの相手は、大治郎の見るところ、とても勝てそうもない。三冬は「なれど、負けませぬ!!」と力んで言う。大治郎もおもわず「大丈夫」と答える。ここで二人がすでに愛しあっていることがわかる。  作者は悪女や妖艶《ようえん》な女を描く第一人者である。西村屋お小夜《さよ》などはその一人であるが、佐々木三冬だけは例外で、『剣客商売』のなかで「薫風」のような存在である。すっきりとした女である。 「例によって三冬は、若衆髷《わかしゅわげ》に御納戸色《おなんどいろ》の小袖《こそで》、茶の袴《はかま》。四ツ目|結《ゆい》の一つ紋をつけた黒縮緬《くろちりめん》の羽織。細身の大小という美しい男装である」(「西村屋お小夜」) 「大治郎と稽古《けいこ》をするつもりで、三冬は愛用の稽古着と袴を布につつみ、これを左の小脇《こわき》に抱え、右に雨傘《あまがさ》。袴を短めにつけ、白い素足に黒漆ぬりの足駄《あしだ》をはいた男装の佐々木三冬を、道行く人びとのだれもが振り向いて見ずにはいられない」(「三冬の縁談」)  三冬を描写する作者の筆はてきぱきとしていて、すがすがしい印象をあたえる。三冬を描くのにふさわしい文体になっていて、読んでいて、耳にこころよい。 『白い鬼』を読んだのは、これでなんどめだろう。これを読めば、つぎの『新妻』を読みたくなる。『剣客商売』もまたそういう癖がついてしまうシリーズである。 [#地から2字上げ](平成元年八月、作家) [#地付き]この作品は昭和五十年二月新潮社より刊行された。 底本:剣客商売五 白い鬼 新潮社 平成十四年十一月十五日 発行 平成十六年二月五日 五刷 [#改ページ] このテキストは、 (一般小説) [池波正太郎] 剣客商売 第05巻.zip 涅造君VcLslACMbx 35,486,576 8a0b17390565170d1de5f93f5bf1c021f019b673 を元にe.Typist v11と読んde!!ココ v13でテキスト化し、両者をテキストエディタのテキスト比較機能を利用して差異を修正した後、簡単に目視校正したものです。 画像版の放流者に感謝。